南半球の桜と言われる、淡い紫色のジャカランダーが咲く10月に、ブラジルを旅した。欧州は秋だが、ブラジルは春爛漫だ。

まず、リオ・グランデ・ド・スル州の北東部にあたる、セハ・ガウーシャ地方のワイン街、ベント・ゴンサウヴェスを訪れた。同州はウルグアイ、アルゼンチンと国境を接するブラジル最南端の州で、ベント・ゴンサウヴェスはワイン産地の心臓部に相当する。

欧州からだと、リオかサンパウロで国内線に乗り換え、ポルト・アレグレ空港へ向かう。ポルト・アレグレ市内のバスターミナルからベント・ゴンサウヴェスまでは、バスで3時間程度だ。ブラジルでは、鉄道網が整備されていないため、飛行機とバスが主な移動手段となる。

今回初めて、ポルト・アレグレ空港からベント・ゴンサウヴェス行きのバスに乗った。空港にあるバス会社のカウンターで、市内のバスターミナルからベント・ゴンサウヴェス行きのバスの時刻を尋ねると、空港からバスが出ていることを教えてくれた。これまでは、空港からバスターミナルまでメトロなどで移動していたので、ずいぶん便利になった。

セハ・ガウーシャ地方には、1824年からドイツ移民が、1875年以降はイタリア移民が定住し始めた。ベント・ゴンサウヴェスはイタリア移民が興した街のひとつだ。彼らの多くは、ピエモンテ州、ロンバルディア州、ヴェネト州など北部出身の農民だった。移民たちは、ぶどうを栽培、ワイン造りをはじめとする、イタリアの食文化を継承しつつ、ブラジル南部のガウーショ(ガウチョ)の食文化を取り入れていったのである。

ワインの首都、ベント・ゴンサウヴェス

ベント・ゴンサウヴェスは、標高約700メートルの山頂にある都市だ。市内へは、ワイン樽の形をした市門をくぐって入る。街中にあるサン・ベント教会もワイン樽の形をしていて、祭壇も樽の形をしている。市庁舎の前の噴水からは、赤ワインの色をした水しぶきが上がっている。メインストリートにはワインをはじめ、地元の物産品を販売する「ワインの家」と呼ばれるブースが常設されている。

同市は、ブラジル最大規模のワイン産業フェア「フェナヴィーニョ(FENAVINHO)」の開催地としても知られる。

1967年にスタートしたワインの総合見本市で、一般客にも開放されたお祭りのような市だ。次回は2020年6月に、地場産業博覧会「エキスポ・ベント(ExpoBento)」と共同で開催される予定だったが延期となった。ブラジル農牧研究公社(Embrapa)のぶどう・ワイン研究所や、連邦立大学の醸造学部のキャンパスもある。

中心街にあり、気軽に訪問できるのが、アウローラ醸造所(Vinicola Aurora)だ。1931年に16の農家が共同で立ち上げた組合組織の醸造所で、現在の組合員数は1100農家に達しており、業界のリーダー的な役割を果たしている。アポイントなしでも訪問でき、無料でセラーの見学と試飲ができる。

ワインの谷へ

ベント・ゴンサウヴェスはワインツーリズムのハブ都市であり、どの観光ルートにもアクセスしやすい。最も良く知られているのは、「ヴァレ・ドス・ヴィニェドス(Vale dos Vinhedos)」つまり「ワインの谷」と呼ばれる、ワイナリーが集中する地域を一回りするルートだ。ヴァレ・ドス・ヴィニェドスは、ブラジルのトップクラスのワインを生産しており、2012年にブラジル初のワインの原産地保護地域(D.O.)に指定されている。

1907年に建てられたヴァレ・ドス・ヴィニェドスの教会。当時、乾燥で水が不足し、農家がそれぞれ300リットルのワインを漆喰用に提供することで完成した。

多くの醸造所が、ワインツーリズムに熱心に取り組んでいる。人気が高いのは、カーサ・ヴァルドゥーガ醸造所(Casa Valduga)とミオーロ醸造所(Miolo)だ。ヴァルドゥーガ家は1875年にブラジルに移住、1973年に醸造所を起こした。卓越した伝統製法のスパークリングワインで知られる醸造所だ。ミオロ家の移住は1897年で、醸造所を立ち上げたのは1989年。ボルドースタイルの赤ワインのクオリティで抜きん出ている。

ヴァレ・ドス・ヴィニェドスから少し北に外れるが、1878年に移住したサルトン家が、1910年に創業した、サルトン醸造所(Salton)も、ワインツーリズムの人気スポットだ。100年あまりの伝統を誇る、ブラジル最大規模のワイナリーのひとつである。

ブラジル南部は四季があり、湿潤で、チリやアルゼンチンのように極度な日照りや乾燥に悩まされることがない。中でもセハ・ガウーシャ地方は、標高が500mから800mで、イタリアの北部地域との地形的な共通点もあり、優雅なワインができる。とりわけ、スパークリングワインの品質が高いことで、世界的に知られている。

食卓いっぱいのコロニアル料理

セハ・ガウーシャ地方のイタリア移民の街では、「コロニアル料理」と呼ばれるイタリア料理が供される。イタリア移民が、ブラジルの地で、母国の味を伝承したものだ。

例えば、鶏ガラでとったスープにアグノリーニ、あるいはカペレッティと呼ばれるパスタを浮かべたもの、塩胡椒、ニンニクと玉ねぎ、白ワインで下味をつけ、炭火焼にした若鶏「ガレット」、カットして表面を焼いたポレンタ、ハジッチやルッコラなどの、ほろ苦い葉野菜に、カリカリに揚げたベーコンを添えたサラダ、マヨネーズで和えたポテトサラダ、トマトソースやチーズソースのパスタ、ジャガイモのニョッキ、リゾットなどで、いずれも素材の良さが決め手となるシンプルな料理だ。訪れたレストランのオーナーが「イタリアからやってくる観光客が、母国のイタリアで食べるより美味しいと褒めてくれることがあるんだよ」と話していた。

スープを食べ終えると、料理が次々にテーブルに運ばれてくる。日本のように、食卓はたちまちお皿でいっぱいになり、めいめいが好きなだけとりわける。家庭で食卓を囲んでいるような気楽さがブラジルらしくていい。デザートの「サグ(Sagu)」 は、タピオカパールを赤ワインと水と砂糖を加えて煮詰め、シナモンとクローブで風味をつけたもの。かつてはサゴヤシのデンプンで作るサゴパールを使っていたので、サグと言うそうだ。セハ・ガウーシャ地方の定番デザートで、これも移民がもたらしたものだという。

コロニアル料理に地元のワインは欠かせない。今日のブラジルワインの伝統は、イタリア移民が、割り当てられた土地と新たに開墾した土地で、ゼロから築いたものだ。初期の頃はアメリカ品種を栽培していたが、美味しさと品質を追求し、どの醸造所もすでにヨーロッパ品種へとシフトしている。カベルネ・ソーヴィニヨン、メルロ、シャルドネなどの世界的に栽培されているフランス品種がポピュラーだが、近年ではイタリア品種にも力を入れている。ブラジルワインは、太陽の恵みを十分に享受した、柔らかで親しみやすい味わいなので、食中酒にはぴったりだ。

アウローラ、カーサ・ヴァルドゥーガ、ミオーロ、サルトンのワインは日本にも輸出されている。


岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com