山形県酒田市は、山形県北部の日本海沿岸の港町だ。日本海へと注ぐ最上川の河口である立地を生かし、山形県の内陸部との交易の要であるとともに、北海道から日本海の港から大坂、江戸に、米や魚、特産物を運ぶ船のルートの拠点の一つとして栄えた。江戸時代に整備されたその海のルートを走る船は「北前船(きたまえぶね)」と呼ばれた。

北前船が走る航路は2つのルートがあった。ひとつは津軽海峡から太平洋に出て南下し江戸へ向かう東回り航路で、もう一方が日本海を南下して関門海峡から瀬戸内海に入り、大坂、江戸に向かう西回り航路だ。東回り航路は黒潮の流れが強いために、日本海を行く西回りのほうが安全でかかるコストも低く、盛んに利用されたのだという。

港を見下ろす日和山公園近辺の北前船の名残

今は日和山公園と呼ばれる港を見下ろす丘には、日本最古級であるという六角灯台、旧宮之浦灯台がある。明治28年に建てられたもので、より港に近い場所で航路を見守ってきたのだが、昭和33年に建てられた新しい灯台にその役目を譲り、ここに移築された。その日和山公園の池には、1/2スケールで復元された北前船が設置されている。白い帆をかけ、日本海を行き来していたこの船には、米を一千石積むこともできるという意味から「千石船」とも呼ばれていたという。

北前船はものを搬送するための船であるとともに、移動する商社といった役目も果たしていた。立ち寄った港に、積み荷の商品を高い値で買う者がいれば売り、その港では安くて質が高い品物を仕入れ、また他の港に寄っては売るといった具合だ。北前船で大坂と北海道を一往復して商売をすれば、千両の利益が出たという。千両といえば、今なら6000万円から1億円。それが酒田に豪商がいくつも生まれた理由の一つだ。

日和山公園から道を渡り、赤い鳥居を進み壮大な「荘厳門」と言う名の木造の門をくぐったその先に、酒田の「産土神」、その年を守る鎮守の神である下日枝神社が、凛とした風格で佇んでいる。慶長14年(16009年)以来続く例大祭は酒田市街のもう一つの日枝神社「上日枝神社」と共に開かれる祭事で、今は「酒田まつり」と呼ばれている。5月に開催されるこの壮大な祭りには大獅子、小獅子、笠鉾の行列や、高さ20メートルを超える立て山鉾で盛り上がるという。

豪商たちが通った華やかな料亭

下日枝神社の参道を出れば、昔栄えた豪商をしのぶことができる街並みが残されている。山王くらぶは明治28年築の料亭だが、今は酒田の歴史や文化を紹介する施設として公開されている。酒田でトップを争うという格式の高さで、建具も、床の間も、銘木をふんだんに使用しているという。ちなみにこの「酒田くらぶ」という名称は創建以来のまま。往時のロマンが感じられる。

一年を通して展示されているのが、酒田に伝わるつるし飾り「傘福」。九州・柳川のさげもん、伊豆稲取のつるし飾りと共に、日本三大つるし飾りに数えられる。傘福の飾り物のの製作体験ができるワークショップも開催されている。

江戸から続いた相馬楼で酒田舞妓に会う

江戸時代から「相馬屋」として賑わってきた料亭は、今は相馬樓として一般に公開されている。現在の建物は明治27年の酒田大震災で焼失したのちに建て直されたものだ。その広間の絢爛豪華な様子には息をのまされる。鮮やかな色彩の襖絵に、朱色に塗られた床の間。畳は半畳サイズで、山形特産の紅花で染められたものと、素の色のものが交互に敷かれた市松模様になっている。

1階の隠れ階段から上がることができるのが隠し部屋。お忍びで訪れる実力者たちが、どんな密談を交わしたものかと想像させられる。建物に囲まれた庭は風情があり和の静けさに満たされていた。また、現役の舞娘は、昼食時には演舞を披露してくれるという(こちらは要予約)。また、館内の案内もしてくれて、説明をしてくれるのが気軽でいい。

江戸時代の料亭の厨房を覗く

鐙屋は、酒田三十六人衆として江戸時代の日本海海運の要でもあった廻船問屋。旧鐙屋と呼ばれる今の建物は、相馬楼同様に明治の震災後に再建されたものだ。江戸時代にはこの通りに何軒もの廻船問屋が連なっていたというが、特に鎧屋は別格とされ、井原西鶴の『日本永代蔵」』には「北の国一番の米の買入、惣左衛門という名をしらざるはない」と、当時の主、池田惣左衛門が紹介されるほどだったそうだ。

建物は「石置杉皮葺屋根」の典型的な町屋造りで、庄内地方で用いられたもの。また江戸時代の帳場の様子や、厨房が再現されているのはわかりやすくて楽しめる。

いま酒田で食べたいもの飲みたいもの

京料理の影響を受けた酒田の料理は、昆布をつかった出汁、餡掛けでまとめた椀物、餅なら丸餅と洗練されているといった印象だ。もちろん、昔からの料亭で出されたであろう料理を楽しむのもよいが、あらためて今食べてほしいものを紹介したい。

酒田では古くから割烹で鰻料理が出されていたという。市内には、鰻割烹、鰻料亭として旨い鰻を提供している店もあり、古く趣のある座敷で食事することもできる。関東風に蒸してから焼くか、それとも関西風にダイレクトに焼くのかと聞いてみれば、そのいずれもあるとのこと。店によってまちまちだそうだ。江戸・大坂を巡る北前線の寄港地ならではだと納得できる。

最近は「酒田ラーメン」も盛り上がっている。面白いのは「鯛の煮干し」や「トビウオの煮干し」を使っていること。透き通ったしょうゆ味が基本であるようだ。店によっては、極薄で面積が広い生地を使ったワンタンが入っているものなど、様々なバリエーションがある。

日が暮れたなら、93歳になる現役バーテンダーがシェーカーを振る「創作甘味茶房ケルン」に出かけるのもいいだろう。1959年にサントリーの前身の壽屋主催のコンクールでグランプリを受賞したのが「北国」というカクテル。グラスのリムにつけられた砂糖の甘さが今となっては新鮮な、昭和のカクテルだ。

北前船の航路は、鉄道の物流に変わり、さらに道路を行き来するトラックへと変わってきた。いまは、酒田に残された北前船の遺産が、人を引き付け、人の流れを生んでいる。静かで奥深くも、絢爛な北前船の文化に触れて、思った以上に心にしみる旅になった。

All photos by Atsushi Ishiguro

石黒アツシ

20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。
HP:http://ganimaly.com/