異色の紅茶文化圏

ドイツではフランスやイタリアなどと同じく、日常的にはコーヒーが多く飲まれているが、北部のオストフリースラント地方だけは例外で、お茶の消費量が圧倒的に多い。人々はコーヒーも楽しんでいるが、それよりもはるかに多くのお茶を消費する。同地方の1人あたりの年間のお茶の消費量は約300リットルで、ドイツ全体平均の10倍以上。お茶の消費量が多い英国でも、1人あたりの年間消費量は200リットルに満たない。

オストフリースラント地方は、オランダと国境を接し、北海に面する沿岸地域だ。塩分をたっぷりと含んだ海風、広大な湿地帯、青々とした牧草地が、この地域のかけがえのない財産である。漁業のほか、畜産・酪農業が盛んだ。

お茶はシルクロード経由でもヨーロッパに伝わっていたそうだが、一般に広まったのは、17世紀初頭にオランダ東インド会社の商人が海路で大量に運ぶようになってからのことだ。オランダに隣接するオストフリースラントでは、どこよりも早くお茶が知られることになった。

18世紀に入ると、オストフリースラントでは、コーヒー、紅茶、緑茶の3種類を楽しむことが、裕福な人々にとってのステータスだったという。ただ、コーヒーは家庭で焙煎しなければならず、淹れるのに手間がかかった上、風味がオストフリースラントの人々の嗜好に合わなかった。やがて、コーヒーよりも手軽で、しかも安価だったお茶が主流になった。以来この地域では、300年にわたってお茶が愛されている。

19世紀には「オストフリースラント・ブレンド」という名前の、地域独自のブレンド・ティーが生まれた。北国の厳しい冬のイメージを呼び起こす、力強い味わいの紅茶だ。インド東部、アッサムで6月から収穫されるセカンドフラッシュを主体に、スリランカ産のセイロン、インドネシアのジャワ島やスマトラ島産をブレンドする。多い場合は10種類以上の紅茶をブレンドするそうだ。毎年、茶葉の品質を見極めつつ、ブレンドを調整し、バランス良い味わいの「オストフリースラント・ブレンド」が作られている。

お茶の街、レア

オランダ国境から10キロ、エムス川の下流にある人口3万5千人ほどの街、レア(Leer)を歩いた。19世紀には港町として栄えたという。ハンブルクから列車で行く場合は、ブレーメンで乗り換えで2時間半ほどで着く。レアには、オストフリースラント地方最古の家族経営の茶商「ビュンティング」の本社がある。本社の両隣に「ビュンティング・コロニアーレ」という店舗と小さなミュージアムがある。

1806年に、スパイスを中心に扱う「コロニアル商店」を創業した初代ヨハン・ビュンティングは「オストフリースラント・ブレンド」を調合し始めた1人だ。コロニアル商店とは、欧州各国が植民地(コロニー)を支配していた時代、欧州にない食材や食品類を扱っていた店で、コーヒー、タバコ、米、カカオ、スパイス、コーヒー、お茶などが販売されていた。ビュンティングはブレンド・ティーの販売に成功したことで、お茶を専門に扱うようになった。

ミュージアムでは、お茶の製造方法や企業史を知ることができる。見学後にはオストフリースラント・ブレンドのお茶が振る舞われ、ティー・セレモニーについて教えてもらえる。現地ではストレートで飲むことはほとんどなく、クルンチェと呼ばれる白い氷砂糖(カンディス)と生クリームを入れる。ティーセットはごく薄手の磁器製で、オストフリースラントのバラ、と呼ばれる赤い花が大きく描かれている。

ドイツ流ティー・セレモニー

ひと歩きしてから、街のティーハウスを訪れ、オストフリースラント式のお茶を味わった。この地域には3時のお茶の習慣があるが、ちょうどその時間で、地元の人たちが沢山集まってお茶と焼き菓子を楽しんでいた。

オストフリースラントでは、お茶は必ずポットでサービスされる。テーブルには保温のための小さなキャンドルが灯された「ストーヴ」が用意される。お茶は、小さなトングでカップにクルンチェを入れてから注ぐ。この時に、クルンチェがパチパチと音を立てるのを聞いて楽しむ。お茶を注ぎ終わったら、専用のスプーンで生クリームを入れる。クリームはカップの縁にスプーンを当ててそっと落とす。カップの底に落ちたクリームは、しばらくすると雲が湧くように浮いてくるので、ヴュルクイェ(雲)と呼ばれる。

オストフリースラントの人は、お茶を決してスプーンで混ぜない。ひんやりした生クリーム、熱々のお茶、カップの底で溶け始めた甘い砂糖が、徐々に混ざりあっていく、その過程を味わうのだ。お茶は、一口味わうたびに、より甘く、クリーミーになる。

自宅でティー・セレモニーを行う場合は、ティーポットを熱湯を入れて温めておき、1リットルの紅茶を入れる場合は、8~10グラムの茶葉を使う。まず、ポット入れた茶葉が隠れるくらいの熱湯を注ぎ、4分ほど蒸らしてから、残りの熱湯を注ぐ。ちょうど良い濃さになったら、温めておいたもう一つのポットに茶漉しを使って移し替えておくと、濃くなりすぎない。オストフリースラント地域は軟水なので、お茶の香りが良く出るという。

日本には茶道、中国には茶芸があるが、オストフリースラントでも、美味しいお茶を入れて、友人同士、家族同士の絆を深めてきた。ドイツのユニークなお茶の文化は、2016年にユネスコ無形文化遺産に認定されている。

お茶を運ぶ少女像


All Photos by Junko Iwamoto

Bünting Teemuseum, Leer
ミュージアムではティーセミナーも定期的に開催されている。

Ostfriesische Teemuseum, Norden
近郊のノルデンという街にもお茶のミュージアムがある。

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com