ハガイに出会ったのは、去年のハロウィーンの頃だった。
冬がすぐそこまで来ていたので、毎週末、開かれていたファーマーズマーケットもあと数回で終わってしまう。その日も少し肌寒かったが、農家から直送された野菜などを買い求める人々でにぎわっていた。その中に「モト・スピリッツ (MOTO Spirits)」という大きなバナーを掲げたベンダーを見つけた。
ポケット瓶にはきれいな琥珀色のウイスキーが入っている。以前、マンハッタンの市場でワインを買ったことがあるが、我が家の近所、ここブルックリンのブッシュウィックに立つ小さな市場に、ウイスキーがあることがちょっと不思議だった。
「飲む?」と、ハガイが言った。まだ昼前で、アルコール度数の高いお酒が少々苦手な私が、う〜ん、と悩んでいると、横にいた主人が「はい!」と嬉しそうに返事をした。ゴクッ。「旨いな、コレ!」
彼の美味しそうな顔を見て、ハガイは笑っている。聞けば、モト・スピリッツはブッシュウィック初のウイスキー蒸留所で、味見をさせてもらったのは、アメリカ東海岸ではここでしか造っていないというライスウイスキー。クロアチア語で「リンゴ」を意味する「JABUKA」というリンゴのオリジナルウイスキーも並んでいる。
思えば6年前、近所にできた「ザ・サンプラー(The Sampler)」というクラフトビール・バーが始まりだった。
古い倉庫や工場が建ち並ぶブッシュウィックには、マンハッタンや当時人気急上昇中のブルックリン・ディスティネーション、ウィリアズバーグにあるような居心地のいいレストランや、何度でも通いたくなるバーがまだまだ少なかった。でも、増えそうな気配だけは、確実に、漂っていた。2000年代半ば頃から、広い制作スタジオを求めて、多くのアーティストが移住し始めたからだ。 ニューヨークでは昔から、「アーティストたちが新しい街をつくる」と相場が決まっている。
後に、通いつめることになったそのザ・サンプラーは店名の通り、当時ブームになりつつあったクラフトビールを試せる専門店で、国内外の銘柄200以上、生ビールなら常に20種類が用意されていた。
クラフトビールとは小規模で醸造され、伝統を守りながらも独自に進化し続けるビールのこと。オーナーのひとりだったラファエルは、行くたびに、見たことも聞いたこともないクラフトビールを飲ませてくれ、すっかり私の先生になった彼はこんなことも教えてくれた。
「このブームをあと押しているのは、ニューヨーク州。小規模醸造所のライセンスを簡単に取れるようにしたことが大きいんだ。しかもブッシュウィックには禁酒法の前、10軒以上のビール工場があったんだよ」
それから3年。
駅3つ向こうのとなり街、イースト・ウィリアムズバーグに「インターボロー・スピリッツ・アンド・エールス(Interboro Spirits and Ales)」がオープンした。その数ヶ月後、今度は徒歩5分の場所に「キングス・カウンティ・ブリュワーズ・コレクティブ(Kings County Brewers Collective)」が完成し、1976年を最後に姿を消したビール工場が、40年ぶりにブッシュウィックに復活したと話題になった。
「以前ここにはバイクのカスタム工場があったの。だから私たちは最初、たった46㎡の場所でウイスキーを造り始めたのよ。いまは全部のスペースが使えるからテイスティングルームにしているの」
ハガイの10年来の友人で、モト・スピリッツのコ・オーナーでもあるマリーはこう言いながら、歩いて15分で到着した蒸留所の中を案内してくれた。2人ともバイクが大好きで、よく一緒に食べたり、飲んだりしていたそうだ。そして、すべての始まりはハガイが6年前、ベトナムにツーリングに行ったことだったと言う。
「旅の途中、ある田舎の民家に泊めてもらったんだけど、都会じゃ、あり得ないよね、見ず知らずの人間を家に上げて、ご飯と自家製のライスウイスキーを振る舞ってくれるなんて」 ご自慢のウイスキーを片手に、ハガイはまた笑っている。
「だから、そんな彼らの手厚いもてなしとライスウイスキーが、その旅のシンボルになったんだ。それでブルックリンに帰って来て、必死に探した、あのウイスキーを。でも、ぜんぜん見つからなくて」
さて、ここからがすごい。ハガイは自宅で圧力釜を使い、自らその味を再現し始めたのだ。ベトナムに連絡してレシピを尋ねたり、ニューヨークにある他の蒸留所に出向いてアドバイスをもらったりしながら。
「実験だよ、実験。で、マリーには味見をしてもらっていたんだ」
「そう、最初は毒かと思ったわ」 マリーも笑っている。
「趣味」以上のものになるまで1年を費やした。そして、ついにあの時の味が再現され、2016年2月、マイクロ蒸留所、モト・スピリッツは初出荷を果たした。
「もちろん、僕とマリーがバイク好きだからここを『モト・スピリッツ』と名づけたけど、僕は14歳でイスラエルから移民としてやって来て、アメリカで多様な文化を学んだんだ。ここを始める前は、よくアパートの屋上でマリーや、どこの誰だか知らない人たちと一緒に酒を飲み、ご飯を食べていた。あれはまさにメルティングポット!でも、バイクで世界を旅していても同じことだった。酒を酌み交わすのに言葉はいらない。そうするだけで壁が溶けていく。だから僕らの『スピリッツ』には、分かち合い、友達をつくるというもうひとつの意味があるんだよ」と、ハガイ。
するとマリーが、「このとなりに、日本酒を造り始めた人がいるから一緒に会いに行きましょう!」と言って私を連れ出してくれた。
「カトウ・サケ・ワークス(Kato Sake Works)」のオーナー、加藤忍さんは改装まっただ中の酒ブリュワリーの中にいた。「まだ準備中なので、皆さんに来ていただけるようになるのはもう少し先になりますが、楽しみにしていてくださいね」。
そう、ここ数年、ブッシュウィックとその近所には、圧倒的な速さで、たくさんの醸造・蒸留所が出来上がった。
2017年の暮れには、スペインのバスク地方で古くから親しまれているハードサイダーの文化をそのままこの街に再現した「ブルックリン・サイダーハウス(Brooklyn Cider House)」もやって来た。もうひとつのとなり街、クイーンズのリッジウッドには「ブリッジ・アンド・トンネル・ブリュワリー (Bridge and Tunnell Brewery)」、「クイーンズ・ブリュワリー(Queens Brewery)」「イーヴィル・ツイン・ブリューイングNYC(Evil Twin Brewing NYC)」と、それぞれ雰囲気の違う3つのクラフトビール醸造所がそろっている。
マリーは言う。「ブッシュウィックはアーティストが作ったフロンティアの街。その街で新しいことを始めることは、理にかなっている」
ついでに私が、「あの市場で買ったライスウイスキー、主人が全部飲んじゃって、味見も出来なかった」とマリーに告げ口をすると、「じゃあ、これは彼にあげちゃ、ダメよ」と言いながら、蒸留されたばかりの「ニューポット」と呼ばれるウイスキーの赤ちゃんを小さな瓶に入れてくれた。アルコールの心地よい刺激とともに広がったのは、炊いたばかりのお焦げご飯のような、香ばしい香り。
現在、モト・スピリッツのウイスキーは市内のリカーショップやワインストアで購入できるほか、「ナイトフォーク・シネマNitehawk Cinema」という映画館では、映画を観ながら食事と一緒に楽しむこともできる。でも、本当のおすすめは、予約をとって、テイスティングルームに足を運んでもらうこと! そして、その足で他の醸造所にも遊びに行ってもらうこと!散歩をしながら、造り手たちに出会い、樽から直接、酒を注いでもらえるなんて、幸せすぎないか?
もちろん、ニューヨークには本当にいろんな楽しみ方がある。でも、ほかではなかなか味わえないと思う、この街らしい、この贅沢は。
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Photos by Nahoko Hayashi
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林菜穂子(はやしなほこ)
東京出身。ニューヨークでライター、フォトエディター、撮影コーディネイター、広告制作などに携わる。1997年、独立。現在はブルックリンのブッシュウィックを拠点に、アート関連の活動にも取り組んでいる。
Instagram: @14cube