聖地のワイン

スペインのガリシア地方は、かつてはケルト文化圏だったが、その後、エルサレムやバチカンと並ぶキリスト教の聖地、サンティアゴ・デ・コンポステラがあることで広く知られるようになった。今日もなお、世界各地から年間約30万人の巡礼者たちが、大聖堂を目指して、長い道のりを歩いてやってくる。

サンティアゴ・デ・コンポステラへと向かう巡礼道は、ヨーロッパ大陸に網の目のように張り巡らされている。私が住む北ドイツの街、ハンブルクにもその道は通っており、市の中心街には、巡礼者の拠点であるザンクト・ヤコブ教会がある。ドイツ語では、サンチアゴのことをザンクト・ヤコブ、巡礼道を「ヤコブの道」と言う。

サンティアゴ・デ・コンポステラの大聖堂

聖ヤコブはキリストの十二使徒の1人で、スペインの守護聖人でもある。813年、サンティアゴ・デ・コンポステラで、聖ヤコブが葬られたと思われる史跡が見つかった。当時のイベリア半島は、レコンキスタ(イベリア半島での国土回復運動)の最中で、聖ヤコブはイスラム教勢力に対抗するキリスト教徒のシンボルとして熱狂的に崇められた。今日に残る大聖堂は、史跡があった場所に建てられている。巡礼が始まったのは10世紀の中頃で、聖ヤコブのシンボルである帆立貝は、巡礼のシンボルにもなった。

大聖堂内部。巨大な振り香炉(ボタフメイロ)を揺らして香りを大聖堂内に満たす準備

巡礼者が行き交うガリシア地方は、白ワイン、アルバリーニョの産地である。この品種は、イベリア半島北西部の固有のもので、ガリシア地方のほか、隣接するポルトガルのヴィーニョ・ヴェルデ地方でも栽培されており、みずみずしく、品の良い果実味が印象的なワインができる。ガリシア地方のワインの99%が白ワインで、そのうち、アルバリーニョの比率は94%に及ぶ。

スペイン貿易投資庁(ICEX)ドイツ事務所のパブロ・カルボさんは「スペインは赤ワインの産地というイメージが強すぎて、十数年前には、アルバリーニョのような魅力的な白ワインがあることはほとんど知られていなかった」と語る。しかし今では、アルバリーニョは、世界各地の大都市を中心に人気が高まっている。

マルティン・コダックスからの眺め

アルバリーニョとムール貝

アルバリーニョというぶどう品種名が先に広く知られるようになったが、産地名はリアス・バイシャスと言う。 リアは入江、バイシャは低地という意味で、日本語の「リアス海岸」という言葉は、このガリシアの沿岸地域の名称に由来する。日本の「リア」同様、ガリシアの「リア」でも沿岸漁業が盛んで、ムール貝の一大養殖地となっている。スペイン産ムール貝の生産量は中国に次いで世界第2位だが、そのほとんどがガリシア産だという。ボイルしたムール貝には、辛口のアルバリーニョが定番だ。

ムール貝は海の「棚」で養殖されているが、ぶどうは多雨多湿な地域ゆえ、陸の「棚」で栽培されている。なだらかな丘に連なる、ペルゴラと呼ばれる棚式栽培のぶどう畑は、日本のぶどう産地の風景を思い起こさせる。リアス海岸での海産物の養殖も、棚式栽培のぶどう畑も、日本人にとって親しみのある風景だ。

マルティン・コダックスのテラス

海を臨む半島のアルバリーニョ

リアス・バイシャスには、5つのサブ・リージョンがある。初夏にそのうちの3つ「オ・サルネス」「オ・ロサル」「コンダード・ド・テア」を訪れた。

サンティアゴ・デ・コンポステラに近い「オ・サルネス」は半島にあり、島のようなロケーションで、海を最も間近に感じることができる地域だ。大西洋を見下ろす、なだらかな高台にある醸造所「ボデガス・マルティン・コダックス」は創業1985年。小さなワイン博物館が併設されているほか、テイスティング・プログラムが豊富で、訪問しやすい協同組合組織の醸造所だ。

マルティン・コダックスは、ガリシア出身の13世紀のトルバドゥール(吟遊詩人)の名前。彼が残した詩の多くには、ガリシアの海が歌われている。醸造所では、郷土の誇りであるガリシアの詩人を広く紹介するため、写本の抜粋をワインのエティケットのモチーフに使用している。

総計500ヘクタールに及ぶ協同組合員の畑には、古木のぶどうも多く、起業当時には品種やクローンの調査が必要だったという。醸造所では現在、それぞれに個性豊かな6種類のアルバリーニョがリリースされている。ステンレスタンクで醸造したフレッシュさを生かしたもの、1年にわたって酵母と寝かせ、2か月にわたってバトナージュを行ったもの、優れた畑のぶどうを厳選し、フレンチオークの小樽で発酵させたもの、収量を切り詰め、自然発酵を促したものなどのバリエーションがある。創業メンバーの1人である醸造家、ルシアーノ・アモエドさんの話によると、現在、ドローンを活用して厳密な地形調査を行い、畑を格付けする作業を進めているところだという。ぶどうはアルバリーニョ1品種、土壌は花崗岩が支配的だが、実際の畑の姿は多様だ。畑を標高や土壌構成が異なる複数のゾーンに区分し、それぞれの区画の特徴をより活かしたワインを醸造し、アルバリーニョの可能性を広げるための準備が着々と進められている。

マルティン・コダックスの醸造家、ルシアーノ・アモエドさん

醸造所を後にして、近くにあるトラゴーベの港から、観光ボートに乗って、リア・デ・アロウサの海に出た。沿岸にはおよそ2000の養殖棚が設置され、ムール貝を中心に、帆立貝や牡蠣なども育てられている。ムール貝は18ヶ月ほどで食べ頃になるそうだ。ボート上で、ガリシアの海風をたっぷりと浴びながら、ボイルしたてのムール貝とアルバリーニョを味わった。ビゴを始め、ガリシアの幾つかの港からは、船上でアルバリーニョとムール貝を楽しめるボートツアーが実施されている。

ミーニョ川流域は固有品種が多彩

翌日はビゴを拠点に 「コンダード・ド・テア」に向かった。ミーニョ川の中流地域にある「パツォ・デ・サン・マウロ」は、1840年にリオハ地方で創業したマルケス・デ・ヴァルガス家が、ガリシア地方で経営する醸造所だ。醸造所の傍には、1582年に建てられたチャペルがあり、サン・マウロが祀られている。聖人の祝日である1月15日には、チャペルが一般開放され、ミサが行われる。マルケス・デ・ヴァルガス家がこの地にぶどう畑を手に入れ、ワインを造り始めたのは2003年のこと。醸造所の建物も、チャペルと同時代に建てられた屋敷だ。パツォ・デ・サン・マウロでは、アルバリーニョ100%のワインに加え、アルバリーニョに、やはり固有の白品種であるロウレイロをブレンドしたものもリリースしている。晩熟のロウレイロは、アロマが豊かで、アルバリーニョとブレンドすることでワインに新しい表情が生まれる。

3日目はミーニョ川の下流域、「オ・ロサル」の「アデガス・バルミニョール」を訪ねた。こちらの醸造所では、アルバリーニョ100%のほか、ロウレイロ100%、アルバリーニョとロウレイロに、トラハドゥーラ、またはカイニョ・ブランコをブレンドした白ワインに出会った。同じく固有種のトラハドゥーラは柑橘系の風味が印象的、カイニョ・ブランコはリンゴや花のアロマを持つ。

アデガス・バルミニョールのワイン。白いエティケットがロウレイロ100%のワイン

オ・ロサル地域では、かつてアルバリーニョ、ロウレイロ、トラハドゥーラなどが混植されていたという。3品種をブレンドしたワインは伝統的なワイン造りを継承したものだ。とりわけアルバリーニョとロウレイロは互いの風味を補完しあうという。

カイニョ・ブランコはオ・ロサル地域のアイデンティティとも言える品種だそうで、同地域の「ボデガス・テラス・ガウダ」でも出会った。粒が小さく、晩熟で、収量が少ないため、アルバリーニョに植え替えられてしまうケースが多いそうだが、造り手にとっては非常に魅力ある品種だそうで、テラス・ガウダでは栽培面積を増やしたという。アルバリーニョ単独でなく、品種が多様であれば、気候変動にも柔軟に対応できる。

ボデガス・テラス・ガウダのカイニョ・ブランコ主体のブレンドワイン

海の幸のベストパートナー

ガリシア地方の食の楽しみは、何と言っても海産物だ。ムール貝や帆立貝をはじめとする貝類、牡蠣、海老、ペルセベス(カメノテ)、タコのガリシア風などは、地元の白ワインの良きパートナーだ。このほか、サンティアゴ・デ・コンポステラ近郊のパドロン周辺が主産地である、ピメント・デ・パドロンと呼ばれる青とうがらしのソテー、地元産のサラミやチョリソ、チーズが揃えば、充分に豊かな食卓となる。 アルバリーニョを始めとするガリシア地方の白ワインは、和の柑橘類を連想させる爽やかな風味を持つので、日本の食卓にも気軽に取り入れられそうだ。

ガリシア地方の地元の人たちが行く居酒屋では、白い磁器のカップでワインが供されることもある


All photos by Junko Iwamoto

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com