ドイツには、ロマンティック街道、古城街道、メルヘン街道、エリカ街道など、観光ルートとして知られる様々な街道がある。ワイン産地に出かけると、必ずワイン街道がある。

最もよく知られているのが、1935年に整備されたドイツワイン街道だ。フランス国境へと続くファルツ地方にあり、ライン川の左岸を縦断している。最北のボッケンハイムから最南のシュヴァイゲンまで、全長約85キロメートルの街道筋には魅力的なワイン街が連なっている。

ダイデスハイム周辺の眺め ©DWI

ワイン文化のホットスポット、ダイデスハイム

ドイツワイン街道の中央に位置するダイデスハイムは、人口3800人ほどの小さな街だ。街の興りは9世紀ごろ。都市権を与えられたのは1395年だった。ワイン造りに関しては、記録上8世紀からの伝統があり、19世紀の半ばに繁栄期を迎えた。ダイデスハイムを拠点としたヨルダン家の一族が、ワイン造りと品質の向上に尽力した。

19世紀の後半から20世紀にかけて「ファルツの偉大なる3B」と称された、頭文字Bで始まる3つの醸造所がある。バッサーマン・ヨルダン醸造所、ライヒスラート・フォン・ブール醸造所、そしてビュルクリン・ヴォルフ醸造所だ。

このうち、バッサーマン・ヨルダン醸造所とライヒスラート・フォン・ブール醸造所は名門ヨルダン家から枝分かれした醸造所だ。同じくダイデスハイムを拠点とするフォン・ヴィニング醸造所も同系列である。

21世紀に入り、企業グループ、ニーダーベルガー社が、これら3つの独立した醸造所のオーナーとなり、それぞれの醸造所の個性を最大限に生かして刷新、注目を浴びた。同社の革新的な動きは、他の醸造所にも良い刺激となり、現在、ダイデスハイム地域は ワイン文化のホットスポットとして活気づいている。

日本の感性が造るドイツワイン

ダイデスハイムにはもう一つ、頭文字Bで始まる注目すべき醸造所がある。日本人の経営であるヨーゼフ・ビファー醸造所だ。オーナー醸造家の徳岡史子さんは、1879年創業のヨーゼフ・ビファー醸造所と1892年創業のカトリーネンビルト醸造所を共に引き継いで統合し、2013年に新生ヨーゼフ・ビファー醸造所として新たなスタートを切った。いずれの醸造所も、徳岡さんが継承しなければ、歴史から名前が消えてしまうところだった。

ヨーゼフ・ビファー醸造所。ダイデスハイム駅前にある

徳岡さんはラインガウ地方のガイゼンハイム大学で醸造学を修めた後、同大学の研究機関で長年にわたり酵母の研究に取り組んでいた。そのかたわら、2013年まで父親の徳岡豊裕さんが経営していた、上述のライヒスラート・フォン・ブール醸造所で、ケラーマイスターのミヒャエル・ライプレヒトさんと共に醸造に関わり、優れたワインの数々を世に送り出した実績がある。

ヨーゼフ・ビファー醸造所はゼクト造りとワイン造りの双方のスペシャリストだ。ぶどうはダイデスハイムのほか、近隣のフォルスト、ヴァッヘンハイムなどのポテンシャルの高い畑で、オーガニック基準で栽培している。醸造には徳岡さんの専門である酵母の研究が生かされている。ワインはいずれも、長期間にわたって酵母と一緒に接触させておく「シュール・リー」と呼ばれる製法で造られる。フランス、ロワール地方、ミュスカデ地域の伝統製法だが、世界各地で実践されている。

オーナー醸造家、徳岡史子さん

同醸造所では、ワインの場合、少なくとも15ヶ月酵母と共に熟成させている。ゼクトはシャンパーニュと同じ伝統的瓶内二次発酵製法で造られ、少なくとも6年、瓶内で酵母とともに熟成させる。ワインもゼクトも、酵母と長期間接触させておくと、酵母の自己分解(オートリーゼ)によってうま味が加わり、風味が豊かになる上、生き生きとした味わいが長期間保たれる。

徳岡さんの案内で、19世紀末に建てられたセラーに入った。湿り気を帯びたひんやりとした空気が肌に気持ちいい。セラーの空気はとても澄んでいる。「発酵が始まるときには、空気の動きを感じるんです」。長年の経験で培った研ぎ澄まされた感性で、徳岡さんは個々のワインの生育を見守っている。

シュール・リーの過程のワインをテイスティング

「フェルツァー・キュヴェ」と「パックス・ヴェリタス」

ヨーゼフ・ビファー醸造所のゼクトには、リースリング、ヴァイスブルグンダー、シュペートブルグンダーなどの単一品種のものと、ファルツ地域の典型的なぶどう品種を総動員したアッサンブラージュ「フェルツァー・キュヴェ」とがある。「フェルツァー」は「ファルツの」という意味。リースリング、ヴァイスブルグンダー、シャルドネ、グラウブルグンダー、シュペートブルグンダーなどを、毎年異なるブレンドでリリースしている。ブレンドの技によるバランスの取れた、包容力ある味わいだ。

ワインにおいては、とりわけ優れた畑のぶどうから造られるリースリングと、バリック樽で熟成させたシャルドネとヴァイスブルグンダーを「パックス・ヴェリタス(PAX VERITAS)」という名称で展開している。ラテン語で「真の平穏」を意味する言葉には、あるがままの自然を大切にし、誠実な仕事を行うという醸造所の意志が込められている。

旧カトリーネンビルト醸造所が、ヨーゼフ・ビファー醸造所の本館となっている。レストラン「fumi」もここにある

和食にドイツワインを提案

ヨーゼフ・ビファー醸造所のもう一つの魅力は、醸造所本館にある和食レストラン「fumi」だ。ドイツワインとオーセンティックな和食のマリアージュが楽しめるレストランは、ワイン通の間で人気が高まっている。

「fumi」は、ワインバーのような居心地の良さが魅力

「fumi」のメニューの中で、特に好評なのが、5種類の前菜の盛り合わせ。醤油、ごまだれ、辛子味噌、ぽん酢と言った、和食を代表する異なる味付けで、季節の食材を楽しむことができる。4月のコースメニューは、前菜で始まり、白菜と鴨肉がたっぷりのお出汁のスープ、寿司の盛り合わせ、仔牛肉のグリルに味噌味のディップ、デザートはゆず風味のチーズケーキと季節のフルーツ。 料理に合わせて、ヨーゼフ・ビファー醸造所のグラスワインを提案している。

前菜に合わせたシュペートブルグンダーのロゼのゼクト、寿司に合わせたリースリング、仔牛肉に合わせたバリック仕込みのシャルドネは、いずれも美しいハーモニーをなす。ゼクトは2012年産、ワインはいずれも2013年産で、長年寝かせた、落ち着いた味わいのワインが、素材を生かした和食によく合うことを気づかせてくれた。デザートには2005年産のリースリング、カビネットが供された。時を超越した気品ある甘口ワインは、チーズやフルーツとうまく調和する。

寺島シェフ。柿田シェフと2人で厨房を担当する

「fumi」では、家庭的な味わいの料理が、プロの手によって、洗練された形で供される。ヨーゼフ・ビファー醸造所の清楚なワインは、和食とほどよい均衡を保つ。ダイデスハイムで懐かしい日本の味を楽しみながら、ドイツワインの懐の大きさをあらためて実感した。


Weingut Josef Biffar
Im Kathrinenbild 1
67146 Deidesheim

ヨーゼフ・ビファー醸造所のワインは日本でも入手できる。
www.tokuoka.co.jp/item/country/DE/PR/34406

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com