2015年までグルジアと呼ばれていたのが現在のジョージア。アルメニアとアゼルバイジャンとともに、コーカサス3国と呼ばれる。北にロシアとの国境を分けるのは、5,000メートル級の大コーカサス山脈。南の小コーカサス山脈を越えればトルコとイランだ。そして東にはカスピ海、西には黒海と二つの海に挟まれている。東西の貿易の要衝だったこともあって、他の文化の影響を受けながら、独自の食文化を育んできた。
ジョージアの食事に影響を与えた食文化
ジョージアの歴史は、他の民族・国家に侵略されてきた歴史でもある。
紀元前からローマとペルシャ(トルコ)の支配下におかれ、6世紀にはアラブ、9世紀からはいくつかの封建国家が現れて、10世紀の終わりには統一国家が成立。その後は一度落ち着いたものの、13世紀にはモンゴルが来襲して100年間の支配が続き、その後国家は分割支配され、16世紀にはイランとトルコが支配を始める。そこにロシアが介入してトルコとの争いに勝ち、ジョージア全土はロシア領となった。1936年にはソビエト連邦の共和国の一つとなり、ソ連が崩壊した1991年に独立した。
春のはじめ、ジョージアのトビリシから車で2時間ほどかけて、カヘティ州のパンキシ渓谷の村に出かけた。その目的はジョージア料理の一つ「ヒンカリ」の作り方を、村に住むレイラさんに教えてもらうためだ。
まるで小籠包といった見かけのヒンカリ
この日は、よく晴れて比較的暖かく、レイラさんのキッチンの扉は開け放たれて、テラスのテーブルへと続いていた。庭にはレイラさんのお母さんがいて、植栽の世話をしている。日中は10度を超えて暖かい。
ヒンカリはその見た目がまるで中華料理の小籠包で、直径は5cmほど、皮はいくつもの襞でねじり上げられたようになっていている。
小麦粉で作った皮で包む料理は、チンギス・カンが中東、東欧まで伝えたものだとも言われている。中華料理の点心に、チベットならモモ、ロシアならペリメリ、トルコのマンティ、ポーランドのピヨロギと、ユーラシア大陸のどこにも存在している。
地元の新鮮な材料がシンプル
「街のヒンカリと村のヒンカリは少し違います」とレイラさんは言う。街のレストランで提供されるヒンカリの中には、大型の施設で製造されたものを調理しているだけというものもあり、また材料も大量消費のためのルートで入手したものを使っているところが多いのだ。
レイラさんは、小麦粉と水で作った生地と、2種類の具を用意してくれていた。
生地はいたってシンプル。餃子の皮も同じだが、基本的には小麦粉と水でしっかり練って数時間寝かせたものだ。ただし、ジョージアの小麦粉が面白いのは、ベーキングパウダーなど入れていないのに、少しふっくらと膨らむところ。寝かせた生地を触ってみるとふっくらと弾力がある。
二つの具のうちのひとつは牛肉と玉ねぎに畑で育ったハーブに水を加えたもの。牛肉は屠殺から販売までの時間が短く、色は明るい赤でかなり新鮮だ。もうひとつは、少しえぐみがあり、また歯ごたえもあるいちごの葉に似た野菜をみじん切りにしたもの。日本では見たことがないものだった。
作りかたもシンプルだがテクニック次第
さて、材料の下準備が全て整えば、いよいよヒンカリを成形する段だ。
生地を広く薄く伸ばしたら、木製の枠取りのための道具で円形にくりぬいていく。この段階でも生地はふかふかと柔らかい。くり抜いたものを少し広げたら、真ん中に具を乗せる。生地の端を片方の手の指でつまんで、もう一方の手の指でその先端を集めていく。そうしてたくさんの襞を作って、小さな巾着袋のようになる。襞が集まった突起の上の部分はちぎって捨ててしまう。これがなかなか難しい。レイラさんと娘さんが次々と成形していくのだが、そうなるにはかなりの熟練が必要そうだ。
成形が終われば、大きな鍋にグラグラと湧いているお湯に入れて茹でていく。ヒンカリは鍋の中で少し膨らんで、つやつやとしてくる。そのまま6−7分。ザルですくえばパッと湯気が広がって、小麦を茹でた馴染みの香りがキッチンに漂った。
これをお好みで、脂肪分の少ない自家製のチーズと一緒にいただく。
手作りのシロップもまたシンプル
テーブルには、桃といちごのシロップを使った飲み物が置かれていた。ただカットした果物をそれぞれ水につけたものだそうで、数ヶ月もつという。日本であれば雑菌が繁殖することが心配されるが、湿気が少ない気候であるためか問題ないのだと言う。
食後には、クルミの実をシロップに漬けたものを、少し乾燥させたミントをお湯に浸しただけのミントティーで。クルミの実は甘く柔らかい。渋皮が残っているので、栗の渋皮煮にも少し似ているように感じる。あまりにもシンプルなミントティーは、素材の魅力を感じられて、体にすっと染み込むようだった。
テロリストたちの温床と言われたパンキシ渓谷
実はこのパンキシ渓谷は、19世紀にはチェチェンからの移民が住み始めた土地で、イスラム教の信者のコミュニティだ。ジョージアではジョージア正教徒がほとんどで、イスラム教徒はかなり少ない。
レイラさんとその家族もイスラム教徒であり、息子さん二人はシリアへ行き宗教に関連する活動の中で亡くなったのだそうだ。それからしばらく経った今、レイラさんは同じ敷地に宿泊施設を整えている最中で、間も無く営業を始めるのだと言う。テロリストの温床と言う過去の汚名を挽回したいのだと、明るく語ってくれた。
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All photos by Atsushi Ishiguro
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DTACジョージア(グルジア)観光情報局
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石黒アツシ
20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。
HP:http://ganimaly.com/