エルベ川沿いの古都ドレスデンは「エルベ川のフィレンツェ」「エルベ川の真珠」など、幾つもの異名を持つザクセン州の州都だ。ドイツの東端に位置し、ポーランドやチェコ共和国との国境はすぐ近くだ。
街の名前が歴史書に登場するのは13世紀。18世紀の選帝侯フリードリヒ・アウグスト王1世の時代に大きな発展を遂げた。この王は、アウグスト強健王、アウグスト鉄腕王などと呼ばれたが、芸術と建築に情熱を傾け、華麗なバロック建築群に彩られた街並みを造らせた。
エルベ川を大動脈に抱く街は、思いのほかコンパクトで散策しやすく、水辺の街ならではの開放感にあふれている。文豪ゲーテが「ヨーロッパのバルコニー」と呼んだ、エルベ川沿いのブリュールのテラスからは、数々のバロック建築群のシルエットとエルベ川を俯瞰することができる。
バロック散歩
バロック様式は、16世紀末から18世紀にかけて支配的だった建築様式だ。バロックの語源はポルトガル語のバロッコ(歪んだ真珠の意)。正円ではなく、楕円をモチーフとし、曲線を多用した、装飾的で複雑なデザインで、建築だけでなく、絵画や彫刻、室内装飾における様式でもあった。
17世紀末にイタリアとフランスを見聞したアウグスト王は、現地のバロック様式の建築群に感銘を受け、ドレスデンの街並みを同じスタイルで刷新した。ドレスデンが、北国でありながら南国的な雰囲気に満ちているのはそのせいだろう。
中でも、ザクセン公国の建築総監督、ダニエル・ペッペルマンの主導で建設された、後期バロック様式のツヴィンガー宮殿(1728年完成)は当時の最高傑作と言われる。宮殿の中庭は、早朝6時から夜20時(夏は22時半)まで自由に出入りでき、10時以降は宮殿屋上のテラスも無料開放される。屋上テラスをぐるりと一周する空中散策がおすすめだ。
隣接するゼンパーオペラは、ツヴィンガー宮殿完成から約1世紀後に建てられた、バロック様式とネオルネサンス様式が融合した劇場。当時の売れっ子建築家の1人、ゴットフリード・ゼンパーの設計で、1841年に完成した。1843年から47年までリヒャルト・ワーグナーが主任指揮者を務めたことでも知られる。音響効果を狙い、劇場内のバルコニーや壁面には、装飾的なカーブやレリーフが施されている。実用的かつ美的な内装は一見の価値がある。オペラやバレエなどのチケットが取れない場合は、日中の見学ツアーがおすすめだ。
ゼンパーオペラ前の旧カトリック宮廷教会(1754年完成)は、 イタリア人建築家ガエターノ・キアヴェーリの設計 。バロック様式のシルエットが美しいザクセン州最大の教会で、現在はドレスデン・マイセン教区の大聖堂である。
ザクセン王家の居城だった王宮には「緑の丸天井」と呼ばれる宝物館があり、 王家の豪華なコレクションを見学できる。ツヴィンガー宮殿に少し遅れて建設が始まった聖母教会は、戦後は長年、瓦礫の状態だったが、世界中から寄付を得て、2005年に修復作業が終わった。外壁の黒っぽい石がオリジナルの石で、パズルのように元にあった位置にはめ込まれている。
北緯51度。ピルニッツの極上ワイン
ザクセン地方のワインと言えば、マイセン地域のワインが良く知られているが、ドレスデン地域でも、繊細で秘めた力を持つ、秀逸な白ワインが造られている。昨年ご紹介したマイセンのプロシュヴィッツ醸造所のオーナーの勧めで、今度はドレスデンの南東、エルベ右岸のピルニッツにあるツィマリング醸造所を訪れた。
ドレスデン中央駅から、エルベ川沿い上流に建つピルニッツ宮殿を目指す。時間帯により、郊外列車、バス、フェリーなどを乗り継いで行く。川べりに立つ宮殿は幻想的な美しさ。アウグスト王はピルニッツ宮殿を自分好みに増改築させたという。宮殿のミュージアムは夏場だけのオープンだが、庭園と南半球の植物を集めたパームハウスは年間を通じて有料公開されている。醸造所は、宮殿から東に歩いて15分ほどのところにある。
ツィマリング醸造所のオーナー、クラウスさんは、もとエンジニア。趣味で始めたワイン造りだったが、ドイツ再統一後の1992年に醸造所を立ち上げた。優しい黄土色の砂岩に覆われた醸造所の屋根には、3人の女たちの彫刻が守り神のように配されている。中央に踊り手、右にギリシャ神話に登場するマイナス、左にはぶどう畑を見つめる人。いずれも、ポーランド出身の彫刻家の奥さん、マウゴジャータ・ホダコフスカさんの作品だ。
セラーに引き込まれた泉にも、 マウゴジャータさんの作品「夢みる人」が置かれている。夏場に背後のぶどう畑が乾燥してくると、泉の水量が減るため、畑の状態を確認するためのバロメーターとしても役立っている。セラーには、クラウスさんの造るワインと、向かいに建つマウゴジャータさんのアトリエから溢れてしまった彫刻の数々が並ぶ。
訪問した日は、2月半ばというのに、気温は15度まで上がり、醸造所の前にはテーブルと椅子が並べられ、大勢の人々が訪れていた。ハイキングの途中に立ち寄ったという人たちもいる。ドイツの醸造所は、サイトなどに明記されている営業時間内であれば、アポイント無しで訪れ、試飲をしてワインを購入することができる。
クラウスさんと一緒に、ユニークな地形のぶどう畑に登った。畑の名前は「ケーニヒリッヒャー・ヴァインベルク」。王家のぶどう畑という意味で、その名が示す通り、かつてはアウグスト王のための畑だった。クラウスさんが単独で所有しているのは、そのうちの「リッセルクッペ」と名付けられた一角。花崗岩や片麻岩の風化土壌だ。リッセルは、17世紀に畑の所有者だった人の名前。クッペは丸屋根を意味する。畑は2つの丸屋根が並んだように見える。
醸造所に近い夫妻の自宅の食卓で、クラウスさんが最も力を入れているリースリングを中心に、テイスティングをさせていただいた。ボトルのエティケットは全て、マウゴジャータさんの彫刻作品で彩られている。クラウスさんのワインはいずれも透明感があり、かっちりとした芯とそれを包むような柔らかさをあわせ持つ。収穫量は1ヘクタールあたり20〜30ヘクトリットルと極度に少なく、凝縮感のあるワインとなっている。創業時からオーガニックワインを目標とし、近々認証を取得するという。コレクションは、政府主催の晩餐会などでも提供されるほど高く評価されている。
クラウスさんのワインは、小ぶりの0,5リットルボトルに詰められている。生産量が極めて少ないので、できるだけ多くの人に届けたいとの思いからだ。
旅人の小さな楽しみ
再びドレスデンへ戻ろう。ツヴィンガー宮殿内には、マイセンの磁器にはじまり古伊万里や柿右衛門様式の名品も揃う「磁器コレクション」、ラファエロの「システィーナのマドンナ」を始め、レンブラント、ルーベンス、フェルメールなどの名画に出会える「アルテ・マイスター絵画館」などの美術館がある。コレクションはフリードリヒ・アウグスト1世とその息子フリードリヒ・アウグスト2世が系統的に収集したものだ。人気のフェルメール作品は2作が収蔵されているが、「窓辺で手紙を読む女」は現在修復中だ。
今回久しぶりに訪れて目に留まったのは、スイス、ジュネーヴ出身の画家、ジャン=エティエンヌ・リオタールの「ショコラを運ぶ女性」(パステル画/1744年頃作)だった。使用人の女性の一瞬を捉えた絵だ。フェルメールの約1世紀後に大活躍したリオタールは、マリー・アントワネットなど宮廷の人々を始めとする、肖像画を多く残した。
美術館を出た後で、王宮沿いのシュロスシュトラーセに、カモンダス(Camondas)というチョコレート専門店を見つけた。「ショコラを運ぶ女性」を見たばかりだったので、導かれるように店に入った。店舗はチョコレートミュージアムも兼ねている。ドレスデンが19世紀にドイツの「チョコレートのメトロポール」とも呼ばれていたという話は初耳だった。カカオシュトゥーベ(カカオの部屋)と呼ばれるカフェでは、豊富なショコラのメニューが楽しめる。熱々のショコラは3種類、ホワイトチョコレートにはカレーやジンジャーのパウダー、ミルクチョコレートには、シナモンやナツメグ、ダークチョコレートにはチリやレッドペパー、カルダモンなど、相性の良いスパイスを一緒に注文することができる。
現在のドレスデンは、チョコレートよりもシュトレンの街として良く知られている。日本でもすっかりお馴染みになったシュトレンは、ドレスデンの周辺では、中世から作られていたようだ。シュトレンが好物だったアウグスト王が、巨大なシュトレンを作らせたという記録も残っているという。ドレスデンでは1994年から、毎年、クリスマス前にシュトレン祭りが開催され、巨大なシュトレンを山車に積んで練り歩く。シュトレンはクリスマスシーズン限定のお菓子だが、市内に複数の店舗を構えるエミール・ライマンでは年間を通じて手に入れることができる。
このほか、ドレスデンはバウムクーヘンの老舗、クロイツカムが1825年に創業した街としても知られ、旧店舗は存在しないが、「アルトマルクト・ギャラリー」に新店舗とカフェがある。旧市街の対岸のノイシュタット(新市街)地区には、世界一美しい牛乳屋と言われる、 内装が美しいタイルで彩られた 乳製品の店「ゲブリューダー・プフント」がある。団体客も訪れる観光名所。2階のカフェでは地元のチーズを味わうことができる。
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岩本 順子
ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com