エルベ川沿いの港町ハンブルクは、かつてハンザ商人の活躍により繁栄し、その後も貿易港として発展し続けているドイツ第二の都市だ。2017年に港湾再開発地区ハーフェン・シティに、未来的な造形のコンサートホール「エルプフィルハーモニー」がオープンし、世界の注目を集めた。エルプフィルハーモニーはクラシック音楽だけでなく、すべてのジャンルの音楽に開かれている。

港を一望できるテラス「プラザ」は、深夜24時まで無料開放されており、カフェやレストランも営業している。新しいランドマークを得たハンブルクは、音楽都市としてさらに飛躍しようとしているところだ。

エルプフィルハーモニーから徒歩15分、街のシンボルである聖ミヒャエル教会とコンサートホール・ライスハレに挟まれたノイシュタット地区に、18世紀ごろのハンブルクを彷彿させる小路、ペーターシュトラーセがある。伝統的な家屋が並び、戦災を免れた一角のようだが、戦後に別の通りの古い建造物を運んできたり新たに伝統様式で建て、昔ながらの町並みを再構成したものだ。この通りに、ブラームス博物館と、KQ博物館(Komponisten Quartier/作曲家街区)がある。ブラームス博物館の建物だけは、戦禍を免れた築1751年の商館だ。

音楽の巨匠たちに出会う、2つの小さな博物館

ハンブルクはブラームスの生誕地。1971年にオープンした博物館は、世界各地からファンが訪れる「ブラームスの聖地」である。呼び鈴を押して待つと、スタッフが扉を開けて迎え入れてくれる。久しぶりに訪問したその日は、定年後にガイドを始めて11年になるという、ヒルデガルト・シュライさんが案内してくれた。ガイドになってから、関連書籍を貪るように読んだという彼女は、まるで知人について語るように、ブラームスについて教えてくれる。博物館のハイライトは、1859年製造の「スクエアピアノ」。唯一、ブラームスが実際に使用したことが確認されているピアノで、3月末に修復を終え、博物館に戻ってくるそうだ。

KQ博物館は昨年、全ての展示が揃ったばかり。ハンブルクゆかりの音楽家である、ゲオルグ=フィリップ・テレマン、ヨハン=アドルフ・ハッセ、カール=フィリップ=エマヌエル・バッハ、ファニー・メンデルスゾーンとフェリックス・メンデルスゾーン姉弟、グスタフ・マーラーの仕事を、数々のヴィジュアルと音楽で紹介している。

バロック音楽の巨匠テレマンは、その半生をハンブルク市の総合音楽監督の仕事などに取り組み、教会音楽をはじめとする数多くの作品を生んだ。作品数最多の作曲家の1人としても知られ、その数は3600曲を超えるという。

「ハンブルクのバッハ」と呼ばれたカール=フィリップ=エマヌエル・バッハは、 ヨハン=セバスチャン・バッハの次男。父の親友だったテレマンのスタイルを受け継ぎ、古典派の基礎を築いた。展示コーナーには、彼が好んだというクラヴィコード(1765年製をモデルとし、2014年に製作されたもの)が置かれ、自由に演奏できる。

ハンブルクのバッハのコーナー。左のクラヴィコードは残存する1765年製を、2014年に復刻したもの。音楽家も弾きにやってくる

ロマン派作曲家として名を馳せたフェリックス・メンデルスゾーンのコーナーでは、女流作曲家のパイオニアでピアニストだった、姉のファニー・メンデルスゾーンにも多くのスペースを割き、2人が共同で音楽ビジネスに取り組み、ファニーがフェリックスに代わって、幾つも作品を生み出していたことを教えてくれる。

マーラーは30代の時、約7年にわたってハンブルク州立歌劇場の音楽監督を務めた。彼はハンブルクの街を愛し、発展するハンブルク港の騒音にも感銘を受け、音楽のインスピレーションを得ていたという。

マーラーのコーナー。新しい物好きのマーラーは、ハンブルクで、展示されているようなタイプの自転車を乗り回していたという

ちなみに、現在の州立歌劇場の音楽監督は日系米国人3世の指揮者ケント・ナガノ。世界的に知られるバレエ振付家の巨匠、ジョン・ノイマイヤー率いるハンブルクバレエも、同歌劇場を拠点とする。ノイマイヤーはマーラーの交響曲をはじめ、多くの音楽作品をバレエ化している。

ビートルズの足跡を訪ねて

ノイシュタット地区に隣接するザンクト・パウリ地区には、ビートルズが下積み時代を過ごした歓楽街がある。

リバプールで結成されたばかりの「シルバー・ビートルズ」がハンブルクにやって来たのは 1960年8月。当時のハンブルクには、時代の先端を行くクラブがあり、英国各地から数多くのバンドが出稼ぎにやってきていた。「シルバー・ビートルズ」はバンド名を「ビートルズ」に変更し、グローセ・フライハイトの「インドラ・クラブ」で毎夜、長時間にわたって演奏していた。 

「インドラ・クラブ」に続いて、同じ通りにある「カイザーケラー」で演奏していた時、彼らは女流カメラマン、アストリッド・キルヒヘアとその友人たちに出会う。アストリッドは、ハンブルク時代のビートルズをとらえた優れた写真作品を世に出した。

ビートルズは年末に一旦ハンブルクを去るが、翌1961年に再訪し、レーパーバーンの「トップテン・クラブ」で演奏活動を行い、1962年にはグローセ・フライハイトの「スタークラブ」にも出演した。その後の彼らの活躍を知らない人はいない。

ハンブルク時代のビートルズの足跡を訪ねる最善の方法は、ハンブルクで活躍する女性歌手、ステファニー・ヘンペルの英語ツアーに参加することだ。ステファニーは、ハンブルク時代のビートルズのエピソードに通じた最強のガイド。ビートルズ・ツアーは彼女自身のアイディアだ。ウクレレを手に、ビートルズのナンバーを歌いながらの、オリジナリティーあふれるガイドは15年目を迎え、世界中のビートルズファンが、彼女のツアー目当てにハンブルクにやってくる。

ステファニー・ヘンペルのビートルズガイド ©Hempels Beatles Tour

ビートルズ広場の傍にあったビートルズ博物館は、2012年に閉館となったが、ローターバウム地区の英国パブ「Kemp‘s」は、アストリッド・キルヒヘアが撮影したハンブルク時代のビートルズの写真が飾られた、ビートルズ・ギャラリーといった趣きのパブだ。オーナーのギブソン・ケンプは元ドラマー。リバプールのバンド「ローリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ」でリンゴ・スターの後任となり、その後「キングサイズ・テイラー&ザ・ドミノス」のドラマーとしてハンブルクへやってきた。世界各地で音楽ビジネスに従事していたが、2002年に「Kemp‘s」を開業。こちらも世界中のビートルズ・ファンが訪れる店だ。


ブラームス博物館
KQ博物館
ステファニー・ヘンペルの英語ツアー

岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com