どこからでも2時間もあれば、どこかの海岸に到達できるような島国に住む日本人にとって、モンゴルは全く心もとない気分になる国かもしれない。地図を見れば北はロシア、南は中国の2つの大国に挟まれていささか窮屈そうだ。チンギス・ハンの時代(13世紀)のモンゴル帝国は、東は朝鮮半島から東ヨーロッパ、さらに中東まで侵攻してユーラシア大陸の広大な地域を治めたものの、14世紀には帝国は解体した。その後、支配されていた中国から独立したのが1921年。そして1924年から68年間は、社会主義の国だった。

ウランバートルから大平原へ

東京から6時間弱のフライトで首都のウランバートルに着いたのは夜。9月だというのに冬の気配が感じられるほどの寒さだった。大陸性の気候なので、昼と夜の気温差が激しいのだ。日本の4倍の国土を有するモンゴルの人口はほんの318万人ほどで、その50%はウランバートルに集中している。翌日の朝、ホテルのカーテンを開ければ、社会主義時代に作られた住宅が整然と並んでいた。早速、手配していた車で大平原のど真ん中にある、ゲルの宿泊施設へと向かう。ウランバートルの市街地を出れば、火力発電所の巨大な煙突が見え、工業地帯が広がった。

さらに20分も走ると、どこまでも続く平原の道を進むことになる。道の脇には、ところどころに道祖神が祀られている。モンゴルではチベット仏教の信者が多いという。

ゲルに泊まり遊牧民を訪ねる

平原では、野宿を別とすれば旅行客向けのゲルを提供する宿泊施設以外には宿泊の手段はない。宿泊したのは、ウランバートルから3時間ほど西に走り、舗装路をはずれて更に走った先にあるツーリストキャンだった。

荷物を片付けているとやってきた近隣のゲルに住む遊牧民の男性に、馬の乗り方を教わって、そのまま砂漠まで足を伸ばす。馬にも慣れた夕方に、彼のゲルを訪れた。息子夫婦と隣り合わせで住んでいる。ここは夏の間にテントを構えて遊牧する場所で、冬が来る前に他の場所へ移動するという。遊牧とは言え、夏と冬それぞれの場所は毎年同じで、郵便物の受け取りも問題ないそうだ。

一つの大きな丸い部屋になっているゲルに入ってすぐ右には台所が、正面にはテレビと棚が、左には寝台がある。日本の大相撲の生放送を一緒に見た。彼の目当てはもちろんモンゴル出身の関取たちだ。台所の大鍋では、羊肉の塊がグラグラと煮えていた。

お茶を飲み相撲を楽しんだら、これから家畜を見に行くという。外に出ると、2重の虹が大きな弧を描いていた。

毎食楽しむモンゴルの羊料理

モンゴルの家畜は約5600万頭で、その45%が羊だ。もちろん家畜の種類の中では第1位。ゲルでの毎日の食卓に並ぶ料理は、羊肉を使ったものが多い。味付けは羊からとったスープに岩塩と、全く素朴だ。他にはジャガイモ、ニンジンなどの根菜に、牛乳も使われる。

キャンプにはダイニングのある建物があり、3食提供される。なにしろ平原の真ん中に、食事ができる店などないから、どこにでも一日中開いているコンビニがある日本とは全くの別世界だ。作ってくれる人の顔も分かるし、温かい手作りの料理が嬉しい。

写真は、シッッゲンボタ(羊肉とジャガイモが入れた雑炊)、ツィワン(短い焼きうどん)ゴリルタイ・シュル(羊肉と麺のスープ)、スーテイ・ボダー(牛乳とご飯)、ボーズ(小さめの肉まん)入りのスープ、ガンビル(薄く焼いたパン)、直径15㎝程の皮で羊肉と野菜の具を包んであげたホーショールだ。

そう、パンを除けば、どれにも羊肉が使われているのである。

カラコルムの遺跡へ

クルマで4時間ほどかけて、モンゴル帝国の首都だったカラコルムの遺跡に出かけた。チンギス・ハンの息子が作ったカラコルムには、その征服した各地の民族も住みかなり賑やかだったという。14世紀から20世紀まで忘れ去られていたとういうが、そこは風が吹く平原で、広大な遺跡と言われてもにわかには信じられないの状態で、それでもしょうがないという気になる。

現在まで残っている姿を見ることができるのは、エルデニ・ゾー寺院だ。今でも寺院として機能している。大きなゲルが一つあって、中では参詣する信者と僧侶が対話をしていたり、修行僧が写経をしていたり、また女性が縁起物を売っていたりする。信仰の場でありながらも俗っぽいところは、日本の寺社の門前町を思い起こさせる。

シンプルな生活を楽しむツーリズム

モンゴルの旅の醍醐味は、平原のゲルに宿泊し、遊牧民と交流し、夜になって寒ければゲルの中の薪ストーブに火を起こし、素朴な食事を楽しむといったとてもシンプルな生活を体験することだ。日本に比べれば圧倒的に何もないのに、何かがある。それが贅沢なのだと教えられる。

日本に帰ってホーショールを作ってみた。確かにおいしい。しかし、平原の澄んだ空気の中、温かくてありがたいと感じたおいしさは、そこでなければ味わうことができないものだった。


モンゴルの農牧業
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All photos by Atsushi Ishiguro

石黒アツシ

20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。
HP:http://ganimaly.com/