北ドイツ、バルト海を臨む古都リューベックは、かつて「ハンザの女王」と呼ばれた。ハンザ同盟都市として、中心的な役割を果たしていたのである。ハンザ同盟は、都市商人の利益と安全を守るために結成され、13世紀から17世紀にわたって活動していた都市間の経済共同体だった。同盟都市は互いに海路で繋がっていた。

ホルステン門の隣には塩の倉庫だった建物が修復されて残っている

14世紀、北海海域ではタラ漁に加え、ニシン漁が盛んになり、保存のための塩の需要が高まった。リューベックの90km南には、かつて塩泉が湧き、塩の産地として名を馳せたリューネブルクの街がある。採取された塩は「塩の道」を経由して、まずリューベックに運ばれ、さらに北欧諸国をはじめとする各地に船で出荷された。リューベックは塩と塩漬け魚で富を築いたが、リューベックとビスケー湾地域間の商取引が盛んになると、商船は帰路にフランスの樽ワインなどを積んで戻ってくるようになったという。

やがてリューベックは、北ヨーロッパのワイン取引の拠点となった。主に扱われたのは、ボルドー産を始めとするフランスの赤ワインで、「ロートスポン(Rotspon)」の名で親しまれた。ロートスポンとは赤い樽、すなわち赤ワインで染まった樽という意味だ。人気商品となった「ロートスポン」は、バルト海沿いにフィンランドにまで届けられた。

リューベックの市庁舎

フランス革命後のナポレオン戦争では、ドイツ諸邦も一時的にフランスに占領された。1806年、ナポレオン軍の兵士らは、北の果てのリューベックも占領し、ワイン商の蔵のフランス産ワインを没収した。兵士らは、リューベックのワインを味わった時に、母国で飲んでいたワインよりも美味しい、と言ったそうだ。このエピソードが「ロートスポン」をさらに有名にした。

兵士たちがフランスでどんなワインを消費していたかはわからないが、リューベックのワイン商が貯蔵していたのは、 北ヨーロッパの上流階級が味わっていた最高品質のフランスワイン。ワインは北方海路で運ばれる間に、うまい具合に熟成したのだろうと言われる。北国の気候も熟成に適していた。

リューベックでは、今日に至るまで「ロートスポン」の伝統が受け継がれている。フランスワインをドイツで熟成、ボトリングした、現代版「ロートスポン」をリリースしている2軒のワイン商を訪ねてみた。

カール・テスドルフ(Carl Tesdorpf) のファサード

創業1678年のカール・テスドルフ(Carl Tesdorpf)は、リューベック最古の現役ワイン商だ。創業者のペーター=ハインリヒ・テスドルフは、1715~23年までリューベックの市長を務めた人物でもある。ショップマネジャー、クリスチャン・ブレーデさんの話によると、テスドルフ家は門閥家で、政治的にも、文化的にもリューベック市に大きな影響力を持ち、「ロートスポン」の取引においても中心的な役割を果たしたという。過去の顧客リストには、北欧の王室、ロシア帝室、プロイセン王室などが名を連ねる。

カール・テスドルフ(Carl Tesdorpf)のショップマネジャー、クリスチャン・ブレーデさん

テスドルフの拠点であるメング通りには、ブッデンブロークハウスがある。 トーマス・マンの長編小説「ブッデンブローク家の人々」から名付けられた邸宅は、マンの父方の祖父母の住居だった。現在は文学ミュージアムとして公開されており、ともに作家として活躍したハインリヒ・マン、トーマス・マン兄弟の資料を管理する研究機関「マン兄弟センター」を兼ねる。大のワイン好きだったトーマス・マンは、テスドルフの得意客だった。テスドルフは小説中に「ワイン商キステンマーカー」の名で登場する。

テスドルフが現在リリースしている「ロートスポン」は、南仏ペイ・ドック産とボルドー産の2種類だ。ペイ・ドック産はカベルネソーヴィニヨン6割に、シラー、グルナッシュを2割ずつブレンド。ボルドー産はメルロ主体でカベルネソーヴィニヨンを1割ブレンド。いずれもバランスの良い充実した味わいだ。

テスドルフ社には、17世紀に赤ワインと白ワインの双方が輸入されていたという記録が残っている。右は「ロートスポン」の姉妹ワインとしてリリースした「ヴィットスポン(白い樽)」というネーミングのペイ・ドック産シャルドネ

メング通りに並行して、ベッカーグルーベという通りがある。この通りに店を構えるフォン・メレ(von Melle)は創業1853年。同社の「ロートスポン」のコレクションは多彩だ。

コレクションの1つに、17世紀にリューベックのワイン商人として活躍した、トーマス・フレーデンハーゲンの名前がつけられた「ロートスポン」がある。南仏ペイ・ドック産、シラーとメルロのブレンドワインだ。

フレーデンハーゲンは「ロートスポン」の品質向上と販路の拡大に力を入れたことで知られる 。彼は「我々が必要とするワインは、人間の荒々しさや頑固さを和らげ、それぞれの人生と人間関係に優しさをもたらすものであるべき」と考え、樽ワインを温度が異なる複数のセラーで寝かせたり、テイスティングを何度も繰り返して、ボトリングに最適なタイミングを判断するなどの技術を磨いた。フォン・メレ社の「ロートスポン」は、フレーデンハーゲンの哲学を今日に伝えようとしているのである。

ボルドー産「ロートスポン」も生産されており、1つはカベルネソーヴィニヨン、カベルネフラン、メルロの典型的ボルドーブレンド。もう1つはレゼルヴで右岸のラランド・ド・ポムロール産。メルロ主体でカベルネフランが少量ブレンドされている。

リューベックのもう一つの名物は、アーモンドの粉と砂糖の練り菓子「マジパン」。マジパンはスペイン、イタリアなどヨーロッパ各地にある伝統菓子だ。1806年創業のニーダーエッガー本店には、カフェやミュージアムもある。

このほかに、ルシヨン地域コート・カタラン産の「ロートスポン」もある。シラー、グルナッシュ、カリニャン、メルロのブレンドで、甘口と辛口の両方がリリースされている。

ハンザ商人が活躍した時代、リューベックとボルドーは海上ルートで密接につながっていた。ドイツとフランスの思いがけない接点は、現代の旅人に新しい視点をもたらしてくれる。


All Photos by Junko Iwamoto

Carl Tesdorpf
Mengstr. 64
23552 Lübeck

H.F. von Melle
Beckergrube 86
23552 Lübeck


岩本 順子

ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com