120年前の流行「アール・ヌーヴォー」が息づく町、ブリュッセル

ベルギーと聞いて、何を思い浮かべるだろうか。チョコレート、ワッフル、それともビール? 多くの日本人にとっては、訪問スポットよりも食べ物のことが先にくるかもしれない。だが、美食の国として知られるこの国に、もう1つ、世界の人々を惹きつけてやまないものがある。

日差しをふんだんに取り入れ、動植物柄、女性像、アラベスク(幾何学的文様)などの装飾を施した優美な建物の数々だ。1900年をはさんで約20年の間だけ建てられたこのデザイン様式は「アール・ヌーヴォー(新しい芸術)」と呼ばれた。単なる鑑賞のためではなく、日常の中で使うデザインで、生活用品、装飾品、イラストもこのスタイルが使われた。アール・ヌーヴォーはヨーロッパの国々で広まり、アメリカ、日本にも伝わった。

ブリュッセルは、アール・ヌーヴォー建築が生まれ、隆盛した町だ。ベルギー人の建築家ヴィクトール・オルタが大学教授タッセル氏の依頼で作った私邸と、同じく建築家のポール・アンカールが建てた自宅(ともに1893年完成)が、最初のアール・ヌーヴォーの家だった。タッセル邸もアンカール邸も、いまでも残っている。

自然界をモチーフにし、曲線美がある手の込んだこの様式が流行したのは、イギリスで興ったアーツ・アンド・クラフツ運動(美術工芸運動/工芸品におけるデザイン活動のこと)や日本の浮世絵などの影響を受けたからだった。伝統的な芸術とは違うものを求めたものの、特殊過ぎて短期間で勢いを失って、壊された物もたくさんある。それでもブリュッセルには、まだ数百のアール・ヌーヴォー建築が残っているという。(ただし、屋内は限定公開や非公開という建物も少なくない)

点在する、宝の建物たち

町の中心部に点在する、主要なアール・ヌーヴォー建築のマップを手に入れた。私邸、美術館、レストランなどが30か所もあって、今回の半日の旅では見切れない。ブリュッセルに住んでいる知人に聞いてみたら、アール・ヌーヴォーの巨匠、ヴィクトール・オルタが設計した繊維会館(現在はベルギー漫画センター)や、オルタの自宅兼アトリエ(現在はオルタ美術館)など、とりわけ大事だと思われる場所をすすめてくれた。

まずは、繁華街にあるベルギー漫画センターへ向かった。世界遺産として名高い広場グラン・プラスから徒歩10分だ。道路に面した正面の壁は、13枚の巨大な窓が大部分を覆っている。その形は、ほんのり丸みを帯びている。玄関ドアもガラスだ。中に入るとホール状になっていて、柔らかな光に包まれた。電灯の光も照らしていたが、ガラスの天井から日の光が差しているのだ。

採光は、アール・ヌーヴォー建築のポイントだ。産業革命によって鉄とガラスを新しい建築材として使うことができるようになって、日の光が建物に調和した。ホールを囲むようにして、図書室、本屋、オルタ・ブラッスリー(レストラン)があり、こちらもたくさんのガラスで仕切られ、明るさと開放感が感じられた。ガスに代わって電気で明かりを灯すことを取り入れたのも、当時のイノベーションだった。

展示場へは、手すりに波打つ形状を取り入れた階段を上って2階へ行く。上階の手すりも同じように曲線使いで美しい。この華麗さもアール・ヌーヴォーのポイントだ。ほかにも、電灯を花の形にしたり、ステンドグラスを使ったり、窓の外側の手すりに草花を模したり、床に曲線を描いたり、壁に女性を描いたりと、エレガントな装飾は随所に見られる。

オルタ美術館も訪れた。数年かけて作ったこの家はアール・ヌーヴォーの傑作と言われる通り、建築のポイントが盛り込まれていて、まさに圧巻だった。幸い、訪問者は少なめだった。部屋の1つ1つを目に焼き付け、流れる空気を吸い込み、静けさに耳をかたむけ、肌で天井からの日の光を感じ、手すりや階段にふれてと、まるで建物の住人になったひとときだった。(館内は撮影不可。14時~17時半のみ開館/午前は予約制ガイドツアーのみ)。

オルタ美術館の近くには、アンカール邸があり、アンカールが画家シャンベルラーニのために設計した家(本記事のタイトル部の写真)もある。

当時の裕福なブルジョワジー(中産階級)が、アール・ヌーヴォー建築をたいそう気に入って注文したのは、明るさ、温かさ、安らぎが詰まった空間に魅了されたからだ。労働者階級の人々もアール・ヌーヴォー様式を生活の一部にできた。市営住宅や小学校といった公共施設がアール・ヌーヴォー様式で作られていったのだ。

食事も、アール・ヌーヴォー様式にひたりながら

ブリュッセルに来たら、ぜひともアール・ヌーヴォー様式の雰囲気の中で食事を取りたい。気軽に入るなら、先の漫画センター内のオルタ・ブラッスリー、楽器博物館(旧高級百貨店オールド・イングランド)の最上階のカフェ、住宅街にあるLa Porteuse d’Eau(ブリュッセル南駅から徒歩10分)などだろう。

広場グラン・プラスのすぐそばにも、いくつか良いレストランがある。今回は、イタリア人のフランチェスコ・チリオがオーナーだった「Le Cirio」に入ってみた。アール・ヌーヴォーに少し先駆けて1886年に建てられたが、流行期に改装が行われて正面部分(細い木枠の大きな窓、テラスの屋根のメタル部には曲線)、半楕円形の鏡、花形のランプなどアール・ヌーヴォーらしさを保っている。ベルギー料理は揃っているが、典型的な蒸したムール貝と、ベルギー特有の2度揚げフライドポテトを食べなくてはと思った。

伝統菓子「キュベルドン」もおすすめ

アール・ヌーヴォーが目的の旅だったとはいえ、ブリュッセルを訪れて、広場グラン・プラスと、約70の店やカフェが連なるショッピング街ギャルリー・サンテュベールを見ない人はいない。70×110メートルもの長方形の広場には、ゴシック建築のブリュッセル市庁舎や、王の家(市立博物館)がそびえ立つ。

ギャルリー・サンテュベールは、グラン・プラスの目と鼻の先にあり、ヨーロッパで最も古いアーケード街の1つだ。一見、アール・ヌーヴォー建築に思えるが、これより前のネオクラシック様式(古代ギリシャ・ローマのデザインを取り入れた過度に甘過ぎない様式)だ。

3本の通りギャルリー・ドゥ・ラ・レーヌ、ギャルリー・ドゥ・ロワ、ギャルリー・デ・プランスがT字のようになっていて、1つ1つの店をじっくり見ていたら、きっと1日では足りない。

おみやげを買おうとお馴染みのチョコレート屋の数々、ワッフルとビスケットの老舗DANDOYをのぞき、お菓子屋La Belgique Gourmandeで、キュベルドンという伝統菓子を見た。三角錐の砂糖菓子は、シロップを乾燥させて作ってあり、外側が薄く硬くて、かじると、まだやわらかいシロップがトロリと出てくる。アール・ヌーヴォー建築が花開く以前、薬としてのシロップが偶然にも外側だけ硬くなっていたのを見た薬剤師がいた。そこから、このお菓子を思いついたと伝えられている。作っているメーカーはみな、伝統のレシピにのっとっている。

もっとも、どこも、よりおいしいキュベルドンにするための秘密は隠しているそうだから、アール・ヌーヴォー探訪と合わせて、キュベルドン探しも楽しいだろう。

おみやげはこれに決まった。家で食べた家族は様々なフルーツの風味の食感に大喜びで、いつの間にか自分の分がなくなっていた。

アール・ヌーヴォーにも伝統菓子にも、歴史あり。ほかのアール・ヌーヴォー建築を見るため、そしてキュベルドンを買うため、またブリュッセルに行かなくては。


All photos by Satomi Iwasawa

岩澤里美

ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/