複雑なバルカン半島の近代史と「飛び地」

「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアのドゥブロヴニクは、中世の海洋共和国時代の繁栄を思わせる美しい港町だ。城壁にぐるりと囲まれたこの町は独立したラグーサ共和国として、東のオスマン帝国にも、西のローマ帝国にも属することはなかった。

しかし、19世紀初めにはオーストリアのハプスブルグ家の帝国にの支配され、第1次大戦後にはユーゴスラビア社会主義連邦の一部になった。その後、1990年代にはクロアチアは独立した。バルカン半島の他の国々と同様に、複雑な歴史背景があり、民族と宗教の対立の潮流にもまれたのは事実なのだ。

地図を見ればわかる通り、クロアチアは北にハンガリーと国境を接する内陸部から、アドリア海沿岸に細く伸びる地域からなるのだが、ドゥブロヴニクへ陸路で行くには一度ボスニア・ヘルツェゴビナを通らなければならない。いわゆる「飛び地」なのだ。鉄道はないので、空路か車、または船で訪れることになる。陸路の場合、クロアチアの本土からこの飛び地へ行くために、一度出国し、ボスニア・ヘルツェゴビナに入国し、また入国するという手間がかかり、パスポートコントロールも2度ある。面倒なのだが、この土地の歴史の背景を思えば軽く緊張感を覚える。

しかし、訪れたドゥブロヴニクは圧倒的に明るかった

訪れたこの城壁都市は光に溢れていた。そして大勢の観光客たちが、アイスクリームを片手に散策している。旧市街を少し離れた丘の上から見れば、オレンジ色の屋根瓦の建物が不規則に並ぶ雑多で密集したという印象なのだが、実際に城門を入れば、メインの大通りは広く、解放感もある。その両側に複雑に小道が入り組んでいるのは、万が一攻め込まれた時の防衛のため。ゆっくりと散策すると、たくさんの小道と方角に少しずつ慣れていくが楽しい。

実はクロアチアのアドリア海沿岸の都市は、ハプスブルグ時代から観光の名所だったのだという。オパティア、ザダールなどの港町と共にドゥブロヴニクも人気だった。この地域の最初のガイドブックは1845年に発行されたという。1930年頃にはブームが訪れ、旅行税が導入され、観光地には両替所も開設、国内・国際の航路も整備された。

1979年、ドゥブロヴニクは世界遺産に登録される。これがまたドゥブロヴニクの人気を後押しした。社会主義の時代ながら、1980年代には年間の観光客数が1000万人を超えた。ドイツ、スロベニア、オーストリア、イタリア、チェコ、スロバキアから、ツーリストが押し寄せた。しかし、独立の混乱でその数は250万人まで激減したものの、2005年には以前の活気を取り戻し、さらにその人気には拍車がかかっている。

クロアチアならではの魚料理と、紫のソースが美味しいステーキ

前述したとおり、クロアチアは海あり山ありの土地で、アドリア海の新鮮なシーフードや、内陸部の川魚料理、北部はオーストリア、ハンガリーの影響もうけた肉料理が旨い。

透明度の高い沿岸の牡蠣は絶品だ。米とエビなどの海産物を一緒に炊いたリゾットも裏切らない。しかし、クロアチアならではの魚料理と言えば「クロデット」だろう。使うのはアンコウ、スズキの仲間のダスキーグルーバー、カサゴに似たレッド スコーピオンフィッシュ、タイの仲間のシャープスノート シー ブリーム、アブラツノザメといった、しっかりとした味の魚。裏漉ししたトマトと、白ワインで煮込むのだが、シンプルながら奥が深い一品だ。

ドゥブロヴニクの食堂で食べた肉はステーキ。そのソースが絶品だった。テーブルに運ばれた皿を見れば、たっぷりの紫色のソースに度肝を抜かれる。このソースのベースは、いわゆるフレンチのグリーン・ペッパー・ソース。緑色のままの生のコショウをつかってスパイシーに仕上げるクリーム系のソースに、この店では赤ワインを入れるようになり、今は店の人気メニューだという。

伝統的な肉料理には、ピーマンの肉詰めや、煮込み料理などがあるが、鶏肉を裏漉ししたトマトとデザートワインとプルーンで煮込んだティングレットはこの土地ならでは。ジャガイモのニョッキと一緒に食べる。

日本に帰って作ってみた!

クロデットには、タイ、サバ、ヒラマサ、カジキマグロを使った。数種の魚を使ったほうが味わい深く仕上がるという。シンプルなパンを焼いて、ソースをぬぐうようにして楽しめる。一方のディングレットは濃厚で、あっさりとした鶏によく合う。重めのソースはモチっとした食感のニョッキによく絡む。

中世に繁栄した城壁に囲まれた海の交易都市の時代から、バルカン半島の社会主義国家の一部といった時代を過ぎても、きっとこの土地の人たちは、かわらずにこういった旨いものを食べてきたのだなと、そして食文化の陽気な強さのようなものを感じた旅だった。


クロアチア政府観光局

All photos by Atsushi Ishiguro

石黒アツシ

20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。
HP:http://ganimaly.com/