ボスニア・ヘルツェゴビナにある3つの世界遺産の一つが、モスタル旧市街の古い橋のある地区。
オスマントルコが16世紀に建築した橋は今、この国の観光の要だ。

東にトルコのオスマン帝国、西にはイタリアのローマ帝国、北には中央ヨーロッパのハプスブルク帝国と、歴史の中で勢力を極めた国々に囲まれているバルカン半島。その東側はアドリア海に面している。地図を見ると国土が狭い小国が複雑に国境を接していることに気が付く。

激しい内戦からまだ23年

有力な国に囲まれたこの地域は、昔から民族や宗教に関わる争いが絶えず、また度々大国に支配された。現在のボスニア・ヘルツェゴビナは、第2次世界大戦後にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国に併合された。

1992年に独立を宣言したものの、独立推進派のイスラム系人民とクロアチア人と、連邦残留派のセルビア人との間で内戦が始まった。非人道的な虐殺などにより、20万人以上が犠牲になり、220万人の難民が生まれたといわれる。

内戦の爪痕が残る市街

モスタルのバスターミナルは旧市街に近い新市街にある。バスを降りて最初に目に入るのは生々しい銃痕が残る集合住宅だ。すぐそばの川沿いのカフェの側壁にも弾痕がそのままになっている。内戦が終わり和平が成立したのは1995年。それまでここは戦場だったのだ。

「Red Army」とスプレーで書かれた民家の壁があった。書かれた後に、その上からまた消されている。社会主義時代に関係したものかと聞いてみると、Red Armyとはモスタルにあるサッカーチームのサポーターグループの名前だという。スポーツという平和な時代の象徴の隣の空き地には、ひっそりと花束が手向けられていた。この場所では酷い虐殺があったのだと現地の人がいう。街のあちこちには、破壊された建物がそのまま残っている。紛争が終わってからたった23年しか経っていないのだと、改めて感じさせられる。

ボスニア・ヘルツェゴビナ初めての世界遺産

その美しい世界遺産になった石造りの橋の名前は「スタリ・モスト」だ。紛争中に破壊されたものの2004年に再建された。橋の上には、ネレトヴァ川に飛び込むプロの飛び込み屋がいる。金をとって飛び込むというのだ。高さは24メートル、毎年夏には飛込大会で盛り上がる。夜には恋人たちが集う、デートスポットになる。

週末の夜のモスタルの繁華街のカフェでは、地元の若者たちのグループや家族連れで盛り上がっていた。イスラム教徒が多いので、酒を飲むという習慣はない代わりに、おしゃべりと一緒に楽しんでいるのがスイーツ。コーヒーと一緒にアイスクリームや、パフェを食べている。それにしても、ワイワイガヤガヤと大騒ぎ。店員にアイスクリームの人気のフレーバーを聞くと、ダークチョコレートだという。特に男性が好むらしい。なるほど、ビターな味わいが男らしいということなのかもしれない。

とはいえ、1階にカフェが入っているビルの上部は廃墟のままで、外壁には無数の銃痕が残っていた。平和っていうのは、とっても脆いものだし、平和を持続するにはその意志と努力を継続する強さが必要なのだと教えられる。

甘いものを食べて「しあわせ」と感じる喜び

翌朝、早くから開いているベーカリー見つけた。この土地の代表的なものはなにかと尋ねるとバクラヴァだという。他のイスラム国でも好まれているが、様々なレシピがあるようだ。モスタルのものは、フィロという薄いパイ生地と砂糖で煮たクルミとバターを幾層にも重ね、その表面にバターを塗ってオーブンで焼き、たっぷりのシロップを回しかける。圧倒的に甘い。アイスクリームなどない古い時代から永く受け継がれてきたものだ。

甘いものはいつでも、幸せな気持ちにしてくれる。そして、甘いものを楽しめる日常が、平和ということなのかもしれない。

今ボスニア・ヘルツェゴビナは、EUへの加盟を次の目標として未来へ進もうとしている。今だからこそ見ることができるこの国の姿を見ておくことは大事かもしれない。


All photos by Atsushi Ishiguro

石黒アツシ

20代でレコード会社で音楽制作を担当した後、渡英して写真・ビジネス・知的財産権を学ぶ。帰国後は著作権管理、音楽制作、ゲーム機のローンチ、動画配信サービス・音楽配信サービスなどエンターテイメント事業のスタートアップ等に携わる。現在は、「フード」をエンターテイメントととらえて、旅・写真・ごはんを切り口に活動する旅するフードフォトグラファー。「おいしいものをおいしく伝えたい」をテーマに、世界のおいしいものを食べ歩き、写真におさめて、日本で再現したものを、みんなと一緒に食べることがライフワーク。
HP:http://ganimaly.com/