ニューヨークで養蜂をやっている人たちがいる。<エンプレス・グリーン>という屋号で、スタテン・アイランドで農業と養蜂をやっている団体だ。農業を営み「ファーム・シェア」と呼ばれるサブスクリプション(定期購買)システムを通じて農作物を売ったり、airbnbの「体験(experiences)」プラットフォームを使って養蜂のワークショップをやっている。
スタテン・アイランドというのは、ニューヨーク市を構成する5地区(その他はマンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ザ・ブロンクス)のひとつで、なかなか用事のない住宅地だが、他の4地区に比べて自然はふんだんにある。ところが指定された場所に行ってみると、意外にも近代的なマンションが建っている。通常は週に1度行っているというワークショップを、この日は、仕事で1日だけニューヨークにいるというフライトアテンダントのジェニファー・コリンズさんのリクエストで特別に開催していた。「母と妹と一緒に養蜂を始めたくて、勉強に来ました」。
<エンプレス・グリーン>のファウンダーのひとりであり、養蜂家のアッシャー・ランデスが屋上に案内してくれた。「ワークショップで体験できるのは、養蜂家のある日の活動の一コマ。蜂の巣を見て、蜂とはちみつの状態をチェックする作業。今日は、養蜂という作業がどういうことかを体験して帰ってもらう」。
ハチに刺されないための心得えを聞きながら、スーツと手袋を着用して、蜂の巣の入った箱を開けることに備える。
スタテン・アイランドはその名の通り島である。ブルックリンをつなぐヴェラザノ・ナローズ橋という巨大な橋がアッシャーの後ろにそびえ立っている。「1960年代にこの橋ができるまで、スタテン・アイランドの大半は農地だった。住民の多くが農業やガーデニングに従事していて、蜂を育てるには最適な場所だった。もちろん今はそういう場所ではなくなってしまったけれど」。
アッシャーが『スモーカー』と呼ばれる道具のなかで火を起こし、蜂の巣が入った箱に煙を差し込み入れる。「蜂たちの神経を鎮めるための伝統的な手法だ。本当に蜂たちの神経を鎮めることができるのか、科学的に証明されているわけではないけれど、古典的な養蜂家が好むやり方なんだ」。
カギは、できるだけ恐怖心を持たないこと。人間が恐怖心を持つと、蜂も恐怖心を持つ。人が蜂に刺されるのは、恐怖心を持つからだ、と説明される。煙を入れてから、少し時間をあけて、アッシャーが箱を開けて、木枠の周りに形成された板状の蜂の巣をチェックするやり方をデモンストレーションする。「ほら、これが女王蜂だよ」というように。
ジェニファーから「蜂に砂糖水を与える方法はどう思う?」という質問が飛ぶ。
「それには賛否両論ある。僕は好まない。人工的だし、近代になって始められた方法だからね。大規模な商業養蜂によって導入されたやり方なんだ」。
今、自分の口に入れるものを自分で作りたい、という人たちの関心によって、素人による養蜂への関心が高まっている。だからこそ、このような養蜂のワークショップが成立している、とアッシャーは言う。一方で、養蜂のハードルはかつてより上がっている。
「正直なところ、都会で養蜂をやることは簡単ではない。環境の変化や異常気象によって、蜂が逃げたり、死んだりすることも多い」。
時間も労力もかかる。一方で、はちみつ産業は一大ビジネスで、育てた蜂の巣が盗まれたりすることもあるという。
自分で養蜂を始めるためのコツについての説明を一通り聞いたあと、<エンプレス・グリーン>が階下に展開する農場に案内されて、ここで作られたはちみつと、そのはちみつを使って作られたワインのテースティングで終了した。アッシャーが作ったはちみつは、これまで味わったことがないほど素朴で濃密な味だった。
「このはちみつを買うことはできるのですか?」と聞くと、
「このやり方で売るほどの量を作ることはとても難しいんだ」という答えが返ってきた。
ニューヨークで商業的な養蜂を行うにはコストがかかりすぎる。そのかわり、体験した人たちが、自分たちの手で養蜂を行うようになることが目標だという。
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Text/Photo Yumiko Sakuma
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エンプレス・グリーン
https://www.empressgreen.com/
https://honeysi.splashthat.com/
ワークショップの参加費は50ドル。
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佐久間裕美子
ニューヨーク在住ライター。カルチャーから社会問題までを幅広く考察する。
著書に「ヒップな生活革命」(朝日出版社)、ニューヨークの女性たちの姿を描くエッセイ「ピンヒールははかない」(幻冬舎)。