目黒でビストロレストラン「BEARD」のオーナーシェフを務めていた原川慎一郎さんと、カリフォルニアの「Chez Panisse(シェパニーズ)」で25年間務めた元総料理長のジェローム・ワーグさんが、神田駅の近くでレストラン the Blind Donkey(ブラインド ドンキー)を始めて約5ヶ月が経つ。

内神田のエリアは、オフィス街や飲み屋が軒を連ね、スーツ姿の人たちが往来している。賑やかな周囲とは違う、ガラス張りのモダンな外観、お店の前には柚子やブラッセル・スプラウツなどの植木が置かれている。

All photos by Misa Nakagaki

店内には長いオープンキッチンのカウンターテーブルと、入り口と奥にテーブル席があり、ロバの置物やリンゴの木の薪、スワッグなどが飾られている。もう何年かやっているかのような落ち着いた雰囲気。天井が高く開放感のあるこの建物は、もともと製薬会社の倉庫だったそうで、内装デザインは人気の設計事務所、Studio Dougnuts(スタジオドーナツ)が手掛けた。温かみがあり、ストレスがなく落ち着いてゆっくりとできる場所。原川さんがお店の空間作りで大切にしていることだそう。

お店のシグネチャーでもある目隠しされたロバの絵は、ジェロームさんの友人が描かれたそう。メニューの裏面にプリントされており、スタッフの方が一枚一枚、手刷りで擦っている。カウンター越しには、食器や調味料が置かれた使い勝手が良さそうな棚があり、陶芸家の郡司庸久さんと慶子さんが作られた、シンプルなお皿が重なっている。ジェロームさんは料理の仕込みをしている最中で、カウンターテーブル越しに仕込みの様子を見せていただきながら話を聞かせてもらった。

包丁を研ぐ小気味良い音。ジェロームさんは岩手山形村の短角牛の大きな塊を、「I’m not vegetarian」と言いながら、切れ味の良い包丁と両手を使ってダイナミックに捌いている。

現在、料理を作るのはジェロームさん、ワインやお酒をサーブしたり、事務的なことは原川さんが担当している。ディナーは基本的にお任せコース1本。カウンター手前のスペースでは、軽いおつまみとお酒を楽しめるバー・スペースとなっている。取材時の週のメニューは、カブのマリネ、玉ねぎとアンチョビのタルト、ビターグリーンサラダ、五島列島の真鯛と仙台サフランのポワレ、柑橘と山椒のリゾット、山形短角牛のブレゼといった内容のコース料理。

メニューの構成はどのように決められているのでしょうか?

原川慎一郎氏
「ジェロームが考えていますね。その時節にもよりますが、最初は1ヶ月ごとくらいに大枠を変えていこうかなと話していたのですが、農家さんが作る野菜の生産量は限られていますし、冬は季節外れの突然の吹雪に襲われたり、天候が全く読めない状況もあるので、それに応じて変えていく感じです。先週から牛肉をお出ししていますが、来週は無いかもしれないですしね。だいたい1週間は同じメニューが続きます」。

レストランで使われている食材は、すべて有機農法で作られたもの。できる限り農家さんの畑へ足を運び、仕入れるものを決めているそうだ。お店を始める以前は自由に旅をして産地を巡っていたが、最近はジェロームさんがファーマーズマーケットで出会った農家の方々とのやりとりなどで仕入れることもあるそう。

ジェローム・ワーグ氏
「食材選びは、旬のタイミングを尊重することが一番です。カリフォルニアと日本の季節や旬な素材は違うので、それを学びながらですね。もうひとつは、農家さんが重要です。食材を分けてくださる方々がいかに自然に寄り添って農業をされているか、そういう方達と一緒に仕事をさせていただくことを大切にしています」。

アルコールのラインアップも食材と同じように、自然派の飲み物が揃う。ノエラ・モランタン、ジュリアン・メイエ、プリサ・マタなどの化学肥料不使用や亜硫酸が入っていないワイン。逗子のヨロッコビール、岐阜県の玉泉堂酒造のピークウイスキー、滋賀県の冨田酒造の日本酒や奄美大島山田酒造の黒糖焼酎などをセレクトされている。食材も飲み物も、ほとんど作り手の顔が見えるものばかり。

「自然の料理」というのは、どのようなカテゴリーになるのですか?

原川氏
「私たちはオーガニックなナチュラルレストランですよ、と提唱しているわけではなくて、『自然を尊重している料理』という意味ですね。自然の環境や状態をストレートに表現したいという想いでこの言葉を選びました。イタリアンとかフレンチとか和食ではないし、新しく自分たちでやっていることに何か名前を付けられないかね、と思い悩んだ結果、このような表現になりました」。

おふたりの出会いは、2011年に原川さんがシェパニーズを訪れたのがきっかけで、親交を深められて現在に至るそうですが、ご一緒にやられる確固たる決め手、みたいなものはあったのでしょうか?

ジェローム氏
「2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたことですね」。

原川氏
「農林水産省のホームページに掲載されている中に、『和食の定義とは、四季の移ろいと文化を重んじて語るうえで簡素に提供するもの』と書かれてあります。それはまさしく、ジェロームがシェパニーズでやってきたことだと、僕は感銘を受けました。もともと日本はそうだったはずなのに、今は色んな理由でかけ離れてしまっています。改めて、現時点で僕らの思っている感覚を再解釈して実践していけたら良いな、という感じです」。

ホームページの和食の定義は、「日本語と英語の訳が全然違っていて、英訳の翻訳が素晴らしい」と原川さんは言う。ちなみに英語版は、「和食とは、Respect for nature (自然の尊重)、Uniting family and reqion (家族と地域を繋ぐ)、Wish for health and longevity (健康と長寿を願う)、Umami (うま味)」という記載。日本語版では、「多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重。健康的な食生活を支える栄養バランス。自然の美しさや季節の移ろいの表現。正月などの年中行事との密接な関わり」と言う解釈だ。

和食の話をお伺いしたところで、おふたりが好きな日本食を尋ねてみた。

ジェローム氏
「天ぷらや蕎麦職人の打つ蕎麦も、ラーメンも、寿司も……、寿司は素晴らしいですね。あとは懐石料理などですね。特に具体的な何か、というわけではなく、日本食の持つ多様性が好きです」。

原川氏
「味噌汁とご飯、納豆と海苔があれば良いですね」。

店名は禅語の”瞎驢(かつろ)= 目の開かないロバ"に由来し、盲目のロバのように謙虚でありたい”というジェロームさんの想いから名付けられたそうですね。以前は禅の修行を行っていたそうですが、日本に来てからも禅を行っていますか?

ジェローム氏
「数年前は座禅を組んでいましたが、今は日々の練習はしていません。2年間カリフォルニアにある曹洞宗の禅のスタジオで学んでいましたが、その時の学びが常に身に付いていますから」。

今年の4月1日をもって廃止されることが決まった種子法や、日本の食の危機などについて思うことはありますか。

ジェローム氏
「僕らはチャンスだと思っています。ここでどうやったら、自然の食事を感じてもらえるかチャレンジですし、重要なことです。私たちはそれに抗う農家と協力するレストランを目指しています。例えば、農業をする際に自分たちの種を使えるように、種を保存する方法を教えている長崎の農家を新しく発見しました。また、もし将来若者たちが自ら農業をするようになり、TPPに対立するようなカルチャーを作ることができるなら、高齢化と時代遅れな日本の農業システムに起因する日本の農村部の問題を対処することができると思います。今、色んな危機的な状況だからこそ、変化を遂げなければならない局面であり、私たちも可能であればその変化に関わりたいです。だからこそこのレストランを、農家や漁師、酪農家の作物を味わえる場にしていきたいと思います」。

原川氏
「なんとなく多くの方々が、晴れている日は、太陽が気持ち良いな、ちょっと浴びたいな、くらいの感覚で同じような方向に向かっていければ良いのかなと思います。そこは、押し付けがましくならないように、レストランは各々がそれぞれの目的で楽しむ場所なので、そこを大事にしています」。

ここは神田明神にも近い場所。原川さんは毎年、三社祭に参加しているそうだ。
「お祭りのときにでもローカルの方と何かしらの形で協力できたら面白いなと思いますけどね」と原川さん。

2年前にバークレーから日本に来日したジェロームさん、目黒で評判の店を構えていた原川さん、おふたりを台頭に共に働くスタッフさん達が一丸となって、日本各地の自然を味わう楽しみを、歴史の深い下町の趣のある場所・神田から広めていく。地に足のついた食事は、自然に寄り添った旬な食材をそのままの美味しさで楽しむこと。一口ずつ噛み締めてみると、大事に身体に染み込ませる気持ちで、しみじみありがたく思う。きっとその日を特別にしてくれる。

All photos by Misa Nakagaki


the Blind Donkey

東京都千代田区内神田3-17-4 1F
Tel: 03-6876-6349

Open hours
火曜~土曜 17:00~23:30(レストラン 18:30~)


中垣美沙 | 写真家

雑誌や書籍を中心に撮影し、自身の作品制作も行う。

http://misaphotos.com