パリの展覧会場・美術館のグラン・パレの一角に3月末までの期間限定で作られた洞窟、『グロッテスコ』を訪ねた。洞窟といっても地下ではなく、長い階段を上った部屋の中にある。石ではなく、段ボールで作られた夢想空間だ。『グロッテスコ』展に展示されている大小約20点の作品は、パリ出身のアーティスト、エヴァ・ジョスパン(Eva Jospin 1975年生まれ)によるもの。パリで話題沸騰中と噂されるだけあり、筆者が訪れた平日も大勢の人が鑑賞に来ていた。
インスピレーションンは、マニエリスム様式の洞窟から

Vue d’exposition, Grottesco, 2025, Grand Palais, Paris © Benoît Fougeirol Courtesy Eva Jospin © Adagp, Paris, 2025
細長く湾曲した展示空間に入ると、床や壁に無骨な茶色い作品群が現れた。遠くから見ると、段ボールで作られているとは到底思えない。しかし、作品に近付くと、岩、木々、草、丸屋根、柱など、すべてが段ボールを重ねて切ったり彫り込んで作られていることが明らかになる(着色されているのは、ごく一部)。ジョスパンの作品を見るのは初めてで、そのきめ細かな手仕事と、段ボールが持つアートの主要な素材としての可能性に言葉を失うほど驚いた。
他の鑑賞者も、作品の上部、側面、内部の細工に見入っていた。緻密な細工とともに、まるで洞窟(あるいは廃墟の庭園)の奥行きを眺めるように、手前の作品と奥の作品の遠近感を観察するのも楽しかった。

Eva Jospin Diorama, 2025 Carton, peinture à l’huile, graphite, verre, led 35,5 x 53,5 x 17 cm © Benoît Fougeirol Courtesy Eva Jospin et Galleria Continua © Adagp, Paris, 2025
出入り口は1か所のみ。最初の作品『ジオラマ』(2025年)から1番奥の『パノラマ(パート1)』(2016年)まで自由に歩き、また好きなように歩いて戻る。ジョスパンは、本展のインスピレーションをローマ皇帝ネロの黄金宮殿が発見されたときの逸話、マニエリスム様式の洞窟(16世紀にイタリアで流行した貴族の庭園に作られた人工の洞窟。現実と幻想が入り混じった夢のような雰囲気が特徴で、人工洞窟はヨーロッパの庭園建築の定番となった)、19世紀の奇抜な建築物から得たと述べている。各作品から漂うミステリアスな雰囲気が、空間にあふれている。
「パリにいることを忘れないように」というジョスパンの意向により、窓は覆われていない。窓から見えるパリの【現実の風景】と、洞窟の【幻想的な雰囲気】が対照的に際立っている。ジョスパンは、小説『不思議の国のアリス』も参考にしたという。確かに、アリスが穴に落ちて奇妙な冒険をするイメージは、鑑賞者が未踏の洞窟に迷い込む姿と重なった。
多種多様な段ボールを使う
ジョスパンは幼少期から絵画と演劇が大好きで、10代の頃は、舞台デザイナーになることを夢見ていた。パリ国立高等美術学校で古典絵画を学び、2002年に卒業後、“彫刻”の道を歩み始めた。最初は古新聞を使って小さい作品を作り、次第に引っ越し用の段ボール箱を使って大きな作品を制作するようになった。

portrait Eva © Laure Vasconi
その後もコンスタントに作品を発表し、2010年代、パリで公開した巨大な段ボールの森の彫刻で一躍有名になった。以来、ルーブル美術館やヴェルサイユ宮殿といった著名な場所や国外でも展示を行い、ラグジュアリーブランドとのコラボレーションも行っている。日本では、2024年から25年にかけて、金沢21世紀美術館で開催されたグループ展(テーマ:新しいエコロジー) すべてのものとダンスを踊って―共感のエコロジー|金沢21世紀美術館 | 21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawa.に参加した。
『グロッテスコ』展の作品を観察すると、段ボールにも様々な種類があることに改めて気付かされる。段ボールは、表面の紙と裏面の紙の間に、波形の芯材である紙を挟んだ3層構造で、段の高さ(厚み)によって波のサイズも変化する。色も均一ではない。ジョスパンは、こうした微妙な違いを巧みにデザインに生かしている。「制作するディテールに応じて、特定の木目や枝の模様などを表現できる段ボールを選びます。豊かな表現にするために、段ボールの質を多様化することが重要です」(※本展資料より 以下※印も同)と語っている。
切削用(振動カッター)や研磨用(研磨ヘッドを付けたドレメル)の小型工具、大型の研磨機、複雑な形状の切り抜きに最適なエグザクトナイフなど、多様な工具を駆使しているそうだ。 段ボールはそのままでは光沢がありすぎるため、ほぼすべてを研磨しているという。
大小の作品に吸い込まれる感覚

Eva Jospin Panorama (partie 1), 2016 Carton 480 x 900 x 450 cm © Benoît Fougeirol Courtesy Eva Jospin et Noirmontartproduction © Adagp, Paris, 2025
本展の作品をいくつか見てみよう。一番奥に置かれた巨大な森の彫刻『パノラマ』は、過去の作品のひとつ。2016年に、ルーブル美術館の中庭クール・カレの十角形パビリオンのために制作した作品の一部だ。中庭に、鏡張りの外装を持つパビリオンが現れ、中に入ると、360度の視界に密集した木々の彫刻が広がるという演出だった。これは彼女にとって、初めての本格的な没入型インスタレーションで、洞窟と森のイメージを融合させた世界だった。
ジョスパンにとって、森は切り離すことができないテーマだ。「森は常に神話や伝説の中心にありました。しかし今日、研究によって全く新しい世界が開かれました。植物間のコミュニケーション、菌糸体ネットワーク、菌類、樹木の間の警告など…私たちは生態系について実に新しい理解を得ています。まるで洞窟に再び入り、さらに深い何かを発見するようなものです」と説明している(※)。
来場者は作品に触れることはできないが、間近に立つことはできる。筆者も感じたように、木々の間に入っていけそうな錯覚に陥るかもしれない。



高さ7メートルを超える大聖堂『ドゥオーモ』(2025年)も、とても印象的だ。“精霊が宿る場所”をテーマに、本展のために特別に制作された。下部は洞窟状で、開口部には鍾乳石が縁取られ、ドーム屋根は岩に匹敵する重厚感を放ちながら自然環境に溶け込んでいる。乾いた段ボールで作られているにもかかわらず、しっとりした感じさえ受ける。外部の細やかな作業とともに、内部や天井に施された不思議な装飾にも目を見張る。内部の照明により、燃えているようにも見える。
ドゥオーモのような大型作品は、運搬を容易にするためパーツが取り外せる設計になっている。全体の構造と各パーツの繋がりも綿密に検討され、完成作品がイメージ通りの仕上がりになるよう配慮している。

Vue d’exposition, Grottesco, 2025, Grand Palais, Paris © Benoît Fougeirol Courtesy Eva Jospin © Adagp, Paris, 2025
出入り口付近には、上から見降ろすことができる小作品群が “傑作”としてまとめられている。建物がそびえ立つ2つの崖を描いた『カプリッチョ』と『グロリエッテ』(2024年)、シャンパーニュ地方のブドウ畑の風景と歴史ある地下貯蔵庫からインスピレーションを得た『クレイエール』と『バッサン』(2023年)、精霊を連想させる装飾的な建物とアーチを組み合わせた『ニンフェオ』と『アルシュ』(2025年)だ。
建物、断崖、小道、階段、梯子などを見ていると、精巧なミニチュアに思えてくる。まるで自分の体がミニチュアサイズになり、作品の世界に浸りきったかのようだった、実際、ジョスパンは、鑑賞者が彼女の仮想的な世界の中で物語を自由に紡いでほしいと願っている。
なお、本展では刺繍画も展示されている。ジョスパンが描いたデザインを、インドの刺繍職人たちが刺繍の画に仕上げた(彼女自身は刺繍制作しない)。
段ボールに興味を持ち始めた頃、刺繍にも興味がわいたという。自分のドローイングが刺繍とどこか似ていると感じたことが、刺繍を取り入れるきっかけだった。さらに、刺繍は糸の層であり、段ボールを重ねることに似ていることも決め手になった。色合いが似ている段ボールの作品群に刺繍作品を加えることで、全体の色彩が豊かになることにも気づいた。最近は、1つの作品に段ボールと刺繍糸や刺繍した布を組み合わせている。

作品を通して、見る人に希望を与えたい
ジョスパンの『グロッテスコ』展は、決して華やかな空間ではない。幸せな空想を呼び起こす一方で、洞窟や自然、破壊された建物は不安もかき立てるかもしれない。
そんな人たちに向けて、ジョスパンはこう語る。「人々が夢を見続けられるような、温かい空間を作りたいです。(自然の)変化について、最も恐ろしいビジョンを提示したいわけではありません。また、すべては元に戻せるということも伝えたいです。私たちは今、自分たちの行動が元に戻せると絶対に信じなければならない局面に立っています」(※)
個展で深く感動したのは久しぶりだった。展示は間もなく終了するが、本展を訪問できない人にも、いつか、彼女の段ボール彫刻を実際に見てほしい。
会期:好評につき延長され、2026年3月29日まで開催
本展は、ノートルダム大聖堂の新しいステンドグラス(2026年末に設置予定)のデザインを紹介する『Claire Tabouret, D’un seul souffle』展と同時開催。
—
岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/
