ハードボイルド作品や代表作『三国志』、「大水滸伝」シリーズなど中国を舞台にした人気作品を世に送り出してきた作家の北方謙三さん。78歳を迎えた今でも第一線で活躍し、「最後の長編小説」と位置づける最新作『森羅記』では鎌倉時代の元寇をテーマに、男たちの激動の生涯を描く。「森羅記」第1巻の刊行を前に、創作へのこだわりやキャラクターへの思い、さらに長編を読むコツなど存分に語ってくれた。自身を投影する「人が生きる」歴史小説の妙味とは-?
自身の一部を吹き込む「魅力的なキャラクター」
歴史エンタメ小説の重鎮、北方さんの作品の魅力といえば、硬派な男たちの生きざまが圧倒的な熱量で描かれるところだろう。英雄も悪党も、脇役も、それぞれが強烈な個性を放ち、まるで物語世界から立ち上がるように表現される。
代表作『三国志』は、いわゆる「北方三国志」として知られ、幅広い世代に読み継がれている。魏・呉・蜀の三国が覇権を争う群雄割拠の人間ドラマは、パブリックイメージを問い直し、独自の新しい解釈を加えた。残忍な悪党として知られる武将の呂布も、北方作品では家族思いな一面に光を当て、悲哀あふれる人間味のあるキャラクターとして描かれる。「登場人物はみんな好き。呂布は何だかかわいそうで、書いているうちにどんどん好きになって、格好良くなっていったね」。史実から人物のイメージがわき上がることはなく、ご飯の食べ方や刀の触り方、癖を描くことで、史実には出てこないたくさんの個性を持った〝人間〟が完成する。
最新作『森羅記』では、鎌倉幕府8代執権の北条時宗と、チンギス・カンの孫で元の初代皇帝クビライが、海を越えて死闘を繰り広げる。「描きたいのは、やっぱり人間ですよ」と北方さんはしみじみと語る。
「物語にはすごい数の人間が出てくるけど、あれは全部自分。自分に似たところが必ず出てしまう。卑怯なやつを書いたら、『俺もこんなところあったな』と思うし、『こうありたかったな』という理想を入れることもある。どんな細かい人物でも全部自分が入る」

舞台を変えて描き続ける「ハードボイルド」
北方さんは、『弔鐘はるかなり』で注目を集めて30代で人気ハードボイルド作家に。40代で南北朝を舞台にした初の歴史小説『武王の門』を発表。40代後半で『三国志』を刊行し、女性読者を含む新たな読者層を獲得した。
「ハードボイルドだけを書いていたら、世界はどんどん矮小化していく」。そう感じたことが、歴史小説執筆の契機になった。ただし、ジャンルは変わっても意識は変わらない。
「歴史物だろうと、中国物だろうと、俺の中では全部ハードボイルド。今を生きている人の感覚で、歴史という舞台を借りているだけ」
親しい編集者からの勧めで『三国志』を書くことになったが、執筆時、中国史の知識はほとんどなかった。「勉強しながら書いたのがかえって良かった。詳しすぎると、細かいことを書きたくなってしまうからね」。人物をどう生かすかに集中できたことが魅力的なキャラクター作りにつながったという。

子どもの貧困で突きつけられた問い
多忙な執筆の合間を縫って、北方さんは世界各地を旅してきた。中国やモンゴル、さらに西アフリカのブルキナファソ、かつて存在したネパール領のムスタン王国、ペルー南部の都市アヤクーチョなど、カメラマンや編集者を伴って僻地を訪れた。
「旅は好きだから行く。小説のために行くようなことはしない」ときっぱりと言い切るが、鮮烈な体験は結果として物語の中に深く刻まれてきた。
中でも忘れられないのがブルキナファソの奥地で目にした光景だ。飢餓状態の子どもたちの腹部が膨れ上がっている現実を見て言葉を失った。
「フランスの哲学者で作家のサルトルが『飢えた子どもの前では文学は無力だ』と言ってノーベル賞を断った。当時はそれを聞いて腹が立ったが、実際に見たら本当に文学は無力なんだと思った。このまま小説家を続けていいのか、と」
衝撃を受けたまま真冬のパリに戻り、レストランでカキをやけ食いした。「カキ食って死んでやる、なんてね」。店員に止められて我に返ったが、そのときのショックは今でも残る。

旅で感じた「生きる」という実感
「その場にある一番おいしいものを食べたい」という信条から、旅先では現地の珍味を好んで口にした。カンボジアではコオロギ、ラオスではタガメ……。青唐辛子とタガメをつぶし、ふかしたうるち米にのせて食べた。
旅先での景色や食文化、人との出会いを重ね、都会で味わえない「生きる実感」を目いっぱい体感した。過酷な土地でたくましく生きる人々の姿は、目に焼き付き、ペルーのアンデスを舞台にした『風群の荒野』『風の聖衣』などの「挑戦」シリーズや、『チンギス紀』などに発表した。その土地の空気や匂い、手触りなどは作中で息づき、挑戦シリーズは、北方ハードボイルドの最高傑作との呼び声が高い。
「書くのはつらい」
不動の人気を誇り、数々の文学賞の選考委員を務めてきた北方さんだが、執筆は今でも苦労を伴う。「時々、自分は才能がないと思う。1日1日がつらいし、やめたいと思うこともある。映画でも見て、趣味の釣りをしていた方が良いかなと思うこともある」。それでも書き上げた原稿を見ると「やっぱり書いて良かった」と自身の作品に励まされるという。
20代で純文学を書いていた頃は、書籍化に至らない不遇の日々が続いた。「書くという行為がまずあって、結果として本になる。書籍にならないから書かないということはない。今こうして好きなことを仕事にできるのは幸福なこと」

大長編を読むコツ
「大水滸伝」シリーズは全51巻の大長編だ。登場人物の多さにひるむ読者も少なくないが、北方さんは読者にこう助言する。
「人物を全員覚えようとせず、ただ読めば良い。さーっと読むと忘れられない人がいる。最後まで名前が残る人が読者にとってリアリティのあるキャラクター」。精読しようと肩肘を張らずに、ストーリー全体をつかむことが肝心だとアドバイスする。
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Photography by Ryota Amegi
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北方謙三
1947年佐賀県唐津市生まれ。中央大法学部卒。「弔鐘はるかなり」でデビュー。「破軍の星」で柴田錬三郎賞、「楊家将」で吉川英治文学賞、「水滸伝」で司馬遼太郎賞、「大水滸伝」シリーズで菊池寛賞。2020年から23年まで直木賞選考委員を務めた。2020年に旭日小綬賞。

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取材後記
「時間はいくらでも取るから、聞きたいことはなんでも聞いて」。連載の合間を縫って、多忙な中で取材に応じてくださった。中学生のころ、北方三国志に魅せられた私にとって、原作者にお目にかかれるまたとない機会だ。3時間に及ぶロングインタビューでは、創作活動から世界各地の旅の思い出まで、真摯に、そして楽しそうに語ってくれた。サービス精神旺盛で、きっと人と関わることが好きな人なのだろう。文学賞の贈呈式などでお見かけする際も、いつも輪の中心にいる人だった。「作品を好きになると、俺を好きになるよ」という言葉通り、魅力的なキャラクターを描く作者もまた、人間味のある魅力的な人だった。
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住吉沙耶花
ソロ旅ジャーナリスト。都内の報道機関で文化部記者として勤務。訪れた国は欧州を中心に60カ国以上。
