台湾の伝統人形劇「布袋戯」(ポテヒ)をご存じだろうか。現代でも、祭事の場で彩りを添えるパフォーマンスとして人々に親しまれている。大阪万博の期間中には、野外プログラムの一つとして、大阪市中央公会堂で「新勝景掌中劇団」(シンショウケイ・パペットシアター)による演目が上演され、多くの日本人が楽しんだ。同劇団は、兄が団長、弟が演出担当を務め、最新のテクノロジーを取り入れた〝新しいポテヒ〟で注目を集めている。兄弟の父で劇団創設者の死により一時は解散も危ぶまれたが、兄弟で力を合わせて見事に劇団を立て直した。台中市へ取材に向かい、朱兄弟にその道のりを聞いた。
最新テクノロジーの演出
市中央公会堂でお披露目された演目「デーモンハンター伝説・白光剣の再現」は、名刀の白光剣を巡って英雄たちが魔物に立ち向かうストーリー。鮮やかな衣装を着た人形がさまざまに登場し、細やかで生き生きとした肢体の動きに圧倒される。最新技術を駆使して、雨や雪、花が散る様子などのプロジェクションマッピングや、工夫を凝らした音響の効果により観客は物語に引き込まれる。舞台下部には日本語字幕が示され、より深く作品を理解することができる。さらに、台中を拠点とする伝統芸能団「九天民族技芸団」による太鼓のパフォーマンスも演劇を盛上げた。
- 布袋戯の野外プログラム=大阪市中央公会堂
- 布袋戯の野外プログラム=大阪市中央公会堂
- 布袋戯の野外プログラム=大阪市中央公会堂
- 布袋戯の野外プログラム=大阪市中央公会堂
ポテヒの歴史と劇団の歩み
ポテヒは、中国の福建省泉州地方で誕生し、18世紀頃に移民を介して台湾に伝わった。鮮やかに色づけされた舞台で、あでやかな服をまとった人形が動き、火薬や煙を使った演出が舞台を盛り上げる。武侠劇や忠義などが人気で、現代でも季節の行事や神様のための捧げ物として寺院などで上演されている。近年は後継者不足で市場規模は縮小しているが、今も庶民にとって身近な芸能だ。日本統治時代には日本語での上演が求められ、民間信仰の題材が規制されたこともあったが、寓話や歴史劇に置き換えて脈々と伝統を受け継いできた。
新勝景掌中劇団は1996年に台中市豊原で設立。初代団長を務めた朱清貴は、2015年に死去。当時劇団員だった長男の朱勝珏が団長に就任した。父の人間関係を引き継ぎ、事業を継続しようと思った矢先、取引先からは「今後は他の劇団に依頼する」と言われた。台湾では人間関係の情がビジネスで重視されるため、密にコミュニケーションを取れていなかったことで打ち切りが相次いだ。「非常にショックだった。人付き合いの欠如が原因だった」(朱勝珏さん)。13歳から父に人形の操り方を学び、腕に自信はあったが、寡黙で職人気質な性格のため厳しい状況に立たされた。 さらに、市内の都市化や娯楽の多様化もあって、上演機会が減少して存続の危機を迎えた。
兄弟で力を合わせて 伝統×テクノロジーの融合
その頃、弟の朱祥溥さんはアニメーション業界で働き、充実した日々を過ごしていた。劇団の苦境を知り、それまで勤めていた映像の会社を辞め、劇団に合流。国の補助金やかつての職場から協力を得て2018年には、さまざまな効果音やBGM、映像などのアニメーション技術をふんだんに取り入れた「プロジェクションマッピング布袋戯」を発表した。 伝統劇を支持する一部の古参のファンからは反発もあったというが、「全ての人を満足させるのは難しい。むしろ、若い世代にポテヒを見に来てもらえるようにしたいという思いが強くなった」(弟の朱祥溥さん)
劇団は現在、朱兄弟を中心とした計5人のコアメンバーで活動している。兄は人形遣いや寺の伝統舞台を担当し、弟はアニメーションや脚本、絵コンテなどの演出を担当する。「僕は視覚デザイン技術、兄は操り人形を扱い、それぞれの専門性を融合して革新的な芸術表現をしています」と充実した表情を見せる。 台中市にある劇団本拠地は、1階が練習場所で、2階に団員が寝泊まりできる簡易な休憩場所がある。かつて朱一家が暮らしていた家を改築した、思い入れのある稽古場だ。倉庫にはさまざまな種類の人形が用意され、公演の際には一体ずつスーツケースに丁寧に梱包して運ぶ。人形は職人にオーダーメイドしたもので、近年は職人不足により出来上がりまで1体3~5年は待つという。
朱祥溥さんはうれしそうな様子で稽古場を案内してくれた。「この部屋は昔は僕の部屋で、こちらは両親の部屋でした。亡き父と母、家族みんなで暮らした思い出の場所なんです」。かつて使用していた、くもりガラスをはめ込んだ木枠の窓は処分することができず、今も廊下に置かれたままだ。伝統芸能一家の、原点と家族の絆を見ることができた。
- 演出家の弟・朱祥溥さん。人形頭部は細かい血管まで表現されている=台中市にある新勝景掌中劇団の稽古場
- 人形はスーツケースに一体ずつ入れて大切に運ぶ=台中市にある新勝景掌中劇団の稽古場
- 劇団の本拠地=台中市
- 1階の稽古場
思い出の演目「南侠一生伝」
伝統的なポテヒの依頼があれば、舞台セットごと車でけん引し、各地を訪れる。7月下旬には、台中市内の寺で神への捧げ物として上演した。厳かな場所で、団長と若い劇団員の2人が人形を操る。この日は「南侠一生伝」を上演した。主人公の南侠(なんきょう)が、武力に秀でた達人たちを集めて邪悪な勢力に立ち向かう勧善懲悪の物語。定番の作品で、台湾中央に位置する南投地域では特に人気だ。黒のマントに身を包んだ南侠が電光石火のごとく剣さばきを披露し、鮮やかな服を身にまとった人形もそれぞれ派手な動きをする。時に宙返りをし、激しい動きで舞台を目いっぱい使ったパフォーマンスが見どころ。煙がふかされ、火花が飛び散る圧巻の演出もあり、見応え十分だった。 この「南侠一生伝」を改編し、アニメーション効果で新しく生まれ変わらせたのが2018年に発表したプロジェクションマッピング布袋戯。父である先代の朱清貴と、現団長の朱勝珏が共に好んだ演目で、親子で芝居作りをしていたころの記憶が詰まった思い出深い作品だ。
- 伝統的なポテヒを操る団長の兄・朱勝珏さん(右)=台中市
- 板を鮮やかに塗り付けた舞台=台中市
- 舞台ごとトラックでけん引して各地を回る=台中市
伝統を受け継ぎながらも、最新のテクノロジーを取り入れた現代のポテヒ。国外にも広く発信するようになり責任も増えたが、朱祥溥さんの表情は明るい。「子どもの頃から親しんだポテヒを単なる『思い出』ではなく、『現代の表現力ある芸術』として再構築したい。昔は兄とケンカばかりしていたので、父が天国から見守ってくれているとうれしい」

新勝景掌中劇団の初代団長、朱清貴氏
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一部提供写真「新勝景掌中劇団」
住吉沙耶花
ソロ旅ジャーナリスト。都内の報道機関で文化部記者として勤務。訪れた国は欧州を中心に60カ国以上。














