ジョルジオ・アルマーニにとって、常に主役は“服”だった。そして、その服はすべて“素材”から始まった。

他のファッション帝国がハンドバッグやシューズで収益を上げる中、アルマーニの魅力は常にアパレルにあった。アパレルこそが、彼の100億ドル規模の帝国の中核だった。

木曜日、91歳で逝去したアルマーニは、1980年代のパワースーツを柔らかく再解釈したこと、ハリウッドとの数十年にわたる実りあるコラボレーション、そしてイタリアのラグジュアリー・レディ・トゥ・ウェアを象徴する存在として記憶されている。

しかし同時に、彼は独立を守り続けた鋭い経営者であり、革新的なコミュニケーターであり、ビジネスのあらゆる側面を掌握するボスでもあった。

「キング・ジョージはすべてにおいて最初だった。しかし唯一ではない」と、1999年から2015年までイタリアファッション協会の会長を務めたマリオ・ボセッリは語る。「彼はラグジュアリー・レディ・トゥ・ウェアの巨匠だった」

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ジャケット

アルマーニをファッション界のスターに押し上げたのは、分解され、柔らかな肩線をもつアルマーニのジャケットだ。1980年の映画『アメリカン・ジゴロ』でリチャード・ギアが着用したことで注目を浴び、やがて女性のワードローブの中心アイテムとなった。

「有名なアルマーニジャケットは、女性が日常生活のあらゆるシーンでアルマーニの服を着られる発見だった。仕事からデートまで、アルマーニは女性を朝から夜まで、あらゆる場面に完璧に装わせることができた」とボセッリは語る。

アルマーニ自身も2015年の自伝で、「男性に女性を見る目を新たにさせる新しい“女性らしさ”を作りたかった」と書いている。

「女性には大きな敬意を抱いている。彼女たちは、飾り立てなくても、十分に魅力的でいられる」とアルマーニは記し、アメリカの女性たちを「私の仕事と大胆さを最初に理解してくれた」と称賛した。

ジャケットは数十年にわたりコレクションの核であり続けた。しかし、パワースーツのデザイナーというイメージに対抗するため、時を経てレディ・トゥ・ウェアにオートクチュールの要素を取り入れるようになった、とミラノ在住の写真家でThe Sartorialistファッションブログを運営するスコット・シューマンは語る。

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素材

すべてのコレクションは、巨大なテーブルに並べられた布地の山から始まった。アルマーニ自身が、チームによる第一次選定後にひとつひとつ手に取り、確認した。

「コレクションのムードや雰囲気は、布地から始まる」と、アルマーニのデザインチームで7年間働き、2013年に自身のブランドを立ち上げたオーストリア人デザイナー、アルトゥール・アルベッサーは語る。

「彼から学んだのは、布を手に取り、異なる布や色の濃淡を組み合わせて色のグラデーションを作るということだ。」

ボセッリがアルマーニと出会ったのは45年前。彼は家族経営の繊維会社の営業担当として、ジャージーの生地サンプルを持ってボルニョーノーヴォのオフィスを訪れた。

「彼は全ての布を見て、個人的に選んだ。それは誰にでもできることではない。時間と手間をかけ、他人の仕事への敬意を持つこと。それが彼だった」とボセッリは回想する。

シューマンは、アルマーニの店に足を踏み入れた瞬間の感覚を「感覚の洪水」と表現する。

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美の創造

アルマーニの最優先目標は、ただひとつ、「美を創ること」だった。

時代を超えたエレガンスの美学は一貫しており、時にはファッション評論家から「時代遅れでは?」と問われることもあった。しかし、アルマーニには常に支持者がいた。リスクを最小限に抑えつつ華やかな装いを求めるハリウッドスターから、朝から夜まで着られる上質なテーラードルックを求める一般の人々まで。

「アルマーニは美の流れそのものだった。立ち寄っても、去っても、そこには連続性があった」とシューマンは語る。

ファッションニュースレター『The Impression』創設者ケネス・リチャードは、アルマーニを「オリジナルのゲームチェンジャー」と称した。自ら築き上げた帝国の規模、ディテールへの徹底的なこだわりで、ホームデコールやホテル事業にもブランドを広げたことを評価している。

「アルマーニのホテルに泊まり、下の階でフィッティングを受け、レッドカーペットイベントに出ることができる。他にそんな場所があるか? アルマーニのシーツで眠り、アルマーニのベッドで休み、アルマーニのソファでくつろぐ。それもすべてアルマーニの所有だ」とリチャードは語る。

ランウェイでは、アルマーニは50年間、一貫した声を貫いた。

「彼の美学は洗練され、親しみやすかった。繰り返し同じことをしていても、手の届く存在でなければ、100億ドルのブランドにはなれない。人々は彼の服を着たがった」とシューマンは言う。

これから

ジョルジオ・アルマーニの最後のコレクションは、今月末のミラノ・ファッションウィークで、彼のファッションハウス50周年を記念するイベントで披露される予定だ。

アルマーニは、企業が分裂しないように財団を設立して継承計画を整えた。イタリアのファッション界では珍しく、外部に会社の一部すら売却することはなかった。

また、クリエイティブな後継は長年の協力者レオ・デルオルコと姪のシルヴァナ・アルマーニに託される予定で、彼らはメンズウェアとウィメンズウェアの各コレクションを統括してきた。

世代交代は、家族経営が中心のイタリアファッション界において常に難題である。50年前に立ち上げた帝国のあらゆる細部に関わったアルマーニの存在は、後任にとって大きな壁となるだろう。

「彼は始めから終わりまで、あらゆるプロセスに関与していた。すべての写真、フォント、すべて。そこが違いを生む。今の時代、これほどすべてを掌握するボスやクリエイティブディレクターはいない。そこに魔法があり、だからこそこれから何が起こるか予測が難しい」とアルベッサーは語る。


By COLLEEN BARRY AP Fashion Writer

MILAN (AP)