落ち着いた態度とクールな感性で、ファッション業界の常識を揺さぶり、ブラック・クリエイターとして大きな足跡を残したヴァージル・アブロー。2021年、41歳という若さでこの世を去ってから数年が経った今も、彼のビジョンと影響力は色あせていない。
ピューリッツァー賞を受賞したライター、ロビン・ギヴァンは、最新著書『Make It Ours: Crashing the Gates of Culture with Virgil Abloh(邦題未定)』の中で、アブローがいかにしてラグジュアリーファッションのトップへと登り詰め、多くの人々の心をつかんだかを丁寧に描いている。
ギヴァンは、イリノイ州ロックフォードでガーナ移民の家庭に生まれ、建築を学び、カニエ・ウェストとの親交を深めていったアブローの歩みを追う。

Crown社より刊行された、ロビン・ギヴァン著『Make It Ours: Crashing the Gates of Culture with Virgil Abloh』の表紙。Crown via AP
ストリートからラグジュアリーへ
ルイ・ヴィトン初のブラック・メンズ・クリエイティブ・ディレクターに就任する以前、アブローはアート、建築、DJ、デザインなどあらゆる創造活動に没頭。Been Trill や Pyrex Vision などのストリートブランドを通じて、ファッション界へと飛び込んだ。
やがて設立した『Off-White』は、白い斜線や引用符、赤いジップタイ、クリーンなフォントといった特徴的なデザインで知られ、IKEAとの「KEEP OFF」ラグ、Nikeとの10足に及ぶ再構築コラボレーションなど、多彩な展開で注目を集める。
その姿勢に惹かれた“スニーカーヘッズ”や“ハイプビースト”たちはSNSを通じて熱狂的なファンとなり、ショーの会場前に集まった。アブローはSNSを単なる発信の場ではなく、双方向的なコミュニケーションの場として活用していた。
ギヴァンのまなざし:最初は懐疑的だった
ワシントン・ポストのシニア・クリティックであるギヴァンは、当初アブローの人気に懐疑的だったと正直に語る。
「ファッション界内外でこれほど影響力を持つ存在が、なぜ“服そのもの”ではなく、何か別のものによって評価されているのか。そのギャップが興味深かったんです」

ロビン・ギヴァン著『Make It Ours: Crashing the Gates of Culture with Virgil Abloh』の表紙(左)と、ニューヨークで開催されたグローバル・シチズンNOWカンファレンスに登壇したギヴァン(右)Crown via AP, left, and AP
ロビン・ギヴァンへのインタビュー(Q&A)
Q:アブローの時代背景を描くことの意味は?
Givhan: ファッションは真空の中で生まれるものではありません。人は家庭や環境、タイミングなど、さまざまな要素から影響を受けて行動します。何がその人の中に流れ込んでいたのか、それを掘り下げたかったのです。
Q:彼の創作活動をどのように整理しましたか?
Givhan: スケーター文化、DJの経験、それらがファッションにどう影響したのかが鍵でした。DJのように既存のものをリミックスし、観客の反応を取り入れていく姿勢は、彼のデザイン哲学と一致していました。
Q:彼がファッション界に残したものとは?
Givhan: 「クリエイティブ・ディレクターとは何か?」という問いを業界に突きつけました。また「ラグジュアリーとは何か?」という価値観の再定義も促しました。それは“美しいもの”以上の、「欲望」や「所属感」そのものかもしれません。
Q:SNSの活用については?
Givhan: 一方通行ではなく、双方向の対話がありました。ファンと本当に“つながる”ことで、彼は神格化されつつも人間味ある存在として受け入れられたのです。
Q:カニエ・ウェストとの関係は?
Givhan: 対照的な性格が、互いの創造性を刺激していました。残念ながらカニエ本人のコメントは得られませんでしたが、アブロー自身が語った未公開のインタビューを引用し、その関係性に光を当てています。
Q:彼のレガシーはなぜ続く?
Givhan: 圧倒的な創作量と、“途中で止まった物語”という切なさがあるからです。ジョージ・フロイド事件以降の社会変化を受けて、彼がどう表現したかを想像せずにはいられません。
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By BEATRICE DUPUY Associated Press
NEW YORK (AP)
