昨夏、ハンブルク・バレエ団の芸術監督であり、バレエ界の巨匠と言われるジョン・ノイマイヤー(1939-)が引退した。ルドルフ・ヌレエフ(1938-93)、モーリス・ベジャール(1927-2007)、ローラン・プティ(1924-2011)などの大御所に続くノイマイヤーの振付は、日本でも高く評価されており、日本公演も時折行われている。ノイマイヤーが東京バレエ団のために創作し、振付を行った作品もある。筆者は2013年からノイマイヤー作品を観る機会を得たが、彼のハンブルク・バレエにおける最後の10余年を追ったことは、かけがえのない経験だった。
ノイマイヤーは、2015年に京都賞の思想・芸術部門を受賞、24年にはハンブルク・バレエ団芸術監督兼首席振付家としての半世紀にわたる活動が評価され、旭日中綬章を授与された。日本の伝統芸能である能や歌舞伎に関心を寄せ、日本的な要素を取り込んだ作品群を生み出したこと、日本人ダンサーの育成に寄与したことなどが評価されたのだった。

John Neumeier © Kiran West
ハンブルクの大きな幸運
ドイツ北部の経済の中心地ハンブルクはベルリンに次ぐ第二の都市だ。ブラームスやメンデルスゾーンの生誕地として知られ、2017年に、港湾再開発地区に斬新なコンサートホール「エルプフィルハーモニー」が完成し、音楽界の話題をさらった。ハンブルクは同時に、世界有数のバレエ都市でもある。しかし、1970年代の段階では、まだ「バレエ都市」と形容されることはなかった。変化が起こったのは、ノイマイヤーがハンブルクに着任してからのことだった。
ジョン・ノイマイヤーは米国ウイスコンシン州出身。父はドイツ系、母はポーランド系で、ともにカトリック教徒。彼自身もカトリック教徒だ。幼い頃から芸術に関心を寄せ、バーンスタインのミュージカル映画を見てダンスに憧れ、タップダンスやバレエを習う。大学での専攻は文学と演劇学だったが、ダンスの才能を見出され、シカゴのバレエ学校に通い、卒業後はロンドンに旅立つ。ロンドンのロイヤル・バレエ学校在学中にスカウトされ、1963年にドイツ、シュトゥットガルト・バレエ団に入団し、物語バレエの大家、ジョン・クランコの指導を受けた。やがて振付家として頭角を現したノイマイヤーは、69年にフランクフルト・バレエ団の芸術監督に就任する。そして73年、ハンブルク・バレエ団の芸術監督兼首席振付家に任命され、51年間にわたりハンブルク・バレエ団を率いた。
ダンサーの身体の表現力を可能な限り引き出すだけでなく、深い人間心理をも表現しようとするノイマイヤー作品には、彼の文学や演劇、音楽への深い造詣が結実しており、独自の作風は現代のバレエ界をリードしてきた。演劇的バレエ、抽象的バレエのいずれにおいても、自らのスタイルを確立し、舞踏芸術の新しい地平を開いた。ノイマイヤー・バレエは観る者の知的好奇心をくすぐる。感情を浮き彫りにする演出は、時空を超えて人々の心に響く。
160を超えるレパートリーは、シェークスピア文学を素材とする作品、ヴァーツラフ・ニジンスキーの波乱の生涯を描く大作、バッハやマーラー、ベートーヴェンなどの音楽作品のバレエ化、聖書を素材とする作品、古典バレエの新解釈、テネシー・ウイリアムズの戯曲のバレエ化、実験的なダンスなど幅広い。ノイマイヤーには多くの「引き出し」があり、どの引き出しにもいっぱいの魅力が詰まっている。ハンブルクの劇場を訪れる観客の年齢層は幅広く、あらゆる世代の人々が彼のバレエに魅了されている。
個人的には、「オテロ」「椿姫」「ニジンスキー」そして「マーラー交響曲第3番」などが、深く心に残っている。マーラーの音楽をバレエ化した作品は15作もあり、ノイマイヤーの傾倒ぶりが伺える。ハンブルク・バレエの本拠地であるハンブルク州立歌劇場では、1891年から97年までグスタフ・マーラーが主任楽長をつとめていた。マーラーとノイマイヤー、2人の巨匠は、同じ劇場で時代を超えて繋がっている。

ニジンスキーガラ2024 © Kiran West

ニジンスキーガラ2024 © Kiran West
ゼロからのバレエ都市構築
ノイマイヤーの半世紀にわたる活動は、綿密に計画されていたかのようだ。就任した年にまず始めたのが、一般向けのバレエ鑑賞講座「バレエ・ワークショップ」だった。この講座により、ノイマイヤーは、まず観客を育てようとしたのである。ワークショップは年に5回ほど開催され、在任中に250回近く行われた。講座内容は様々だが、新作についてであれば、その作品を生み出すことになった動機やそこに込められた意味などを、ノイマイヤー自身が舞台上で語ってくれる。講座に合わせて、レッスン着のダンサーたちが、彼が語るそのシーンを演じてくれる。クリエイションの現場に居合わせるかのような臨場感ある講座は、発売直後にチケットが売り切れるほどの人気だった。

ワークショップJan. 14 2024 © Kiran West
74年には「若き振付家たち」というプロジェクトを始動させ、カンパニーのメンバーに、振付に取り組むことを奨励し、発表の機会を提供し始めた。75年には「Ballett-Tage(バレット・ターゲ)」と呼ばれる、2週間にわたるバレエ・フェスティバルをスタートさせた。「バレット・ターゲ」は毎夏、ノイマイヤーの初演作品で幕を開け、シーズン中の演目を2週間にわたって日替わり上演する。毎年異なるゲスト・カンパニーも客演し、ニジンスキー・ガラで幕を閉じる。多くの作品を集中的に鑑賞できる絶好の機会で、会期中は日本をはじめ、世界各地のバレエファンがハンブルクを訪れる。
78年にはバレエスクールを創立、2011年には若手ダンサー8人で構成されるナショナル・ユース・バレエ団を創設し、自ら芸術監督に就任した。ノイマイヤーはハンブルク・バレエ団を引退した現在も、ナショナル・ユース・バレエ団の監督の仕事は継続している。パンデミック後の2022年からは、毎夏、ハンブルク市庁舎前のオープンエア・ステージで、市民のための無料公演も行っている。

ノイマイヤー振付中 エピローグ2024 © Kiran West
ノイマイヤーはバレエ研究所を兼ねたミュージアムも構想している。彼が収集したバレエ関連資料や美術品のコレクションは膨大で、書籍は約1万1500タイトル、油絵、彫刻、版画、写真などの作品は、約1万1000点に及ぶ。なかでもニジンスキー関連のコレクションが充実しており、すでに世界各地での展覧会に貸し出されているほどだ。コレクションは06年に設立されたジョン・ノイマイヤー財団が管理しており、近年中に開館の運びとなるだろう。ハンブルクのブラームス博物館が、世界中の音楽家や音楽愛好家の巡礼地であるように、ノイマイヤーが構想するバレエ・ミュージアムは、世界中のダンサーやバレエ愛好家たちの巡礼地になることだろう。

ジョン・ノイマイヤーとコレクション © Kiran West
ノイマイヤーと日本の伝統芸能
あれは確か、2014年だったと思う。ノイマイヤーの「バレエ・ワークショップ」で、彼が過去の作品の映像の一部を披露してくれた。それは「HAIKU」と題された1966年の作品で、ノイマイヤーがシュトゥットガルト・バレエのダンサーだった時に創作したものだ。ドビュッシーの音楽が流れる中、一人のダンサーが短い黒の「着物」を着て、扇を手に持ち、軽やかに舞う映像が、今も記憶の片隅に残っている。舞台上のノイマイヤーが「あの着物は自分で縫ったんです」と言ったことをよく覚えている。

Fotograf unbekannt(撮影者不明), John Neumeier Stiftung
当時「HAIKU」には、かなりの反響があったようだ。この作品が成功したことで、ノイマイヤーは、他のカンパニーから振付のオファーを受けるようになったそうで、それがフランクフルト、さらにはハンブルクでの芸術監督の仕事へと繋がったようだ。「HAIKU」の映像は、その断片を見ただけだが、若きノイマイヤーがダンサー時代に、このようなテーマに挑戦したことをとても興味深く思った。「HAIKU」における試みは、その後も彼の作品において、何らかのかたちで表現されているはずだ。
ノイマイヤーは若い頃から英訳された俳句に親しんでいたそうだ。米国での大学時代には、日本に研究滞在したことがある演劇科の講師を通じて、能と歌舞伎を知ったという。英文学と演劇学を専攻していたノイマイヤーだから、アイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツ(1865-1939)が能からインスピレーションを得て書いた戯曲「鷹の井戸」や、イェイツと交流があり、共同で能の研究をしていた米国の詩人、エズラ・パウンド(1885-1972)が能について書いた文章なども知っていたことだろう。
ノイマイヤーの初来日は1986年である。若い頃から思いを寄せていた、俳句や能の国に降り立った時の感動は、いかほどのものだっただろうか。彼はのちに「私が日本の演劇に魅了されるのは、詩的な引用がふんだんに盛り込まれた戯曲の美しさと、ゆったりとした優雅な踊りである。若い頃に極東の演劇と舞踊を知り、私の中に、東洋と西洋の架け橋となる振付を構築したいという願望が生まれた」と語っている。
「HAIKU」は、のちに「月に寄せる7つの俳句」(1989)という作品へと昇華した。東京バレエ団の創立25周年に寄せて、ノイマイヤーが振付けたオリジナル作品である。ノイマイヤーは正岡子規や松尾芭蕉らが月を詠んだ俳句と、アルヴォ・ペルトやバッハの音楽とを融合させた。
「HAIKU」と「月に寄せる7つの俳句」を観る機会はいまだ巡ってこないが、劇場に通い続けた間、いくつかの作品に、ふと日本的なエッセンスを感じることがあった。中には、ノイマイヤー自身が「能や歌舞伎からインスピレーションを受けた」と語っている作品もある。
「人魚姫」(2005)がそのひとつだ。これは、デンマークの詩人、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの生誕200周年記念プロジェクトとして創作された作品である。舞台の手前に青く光るネオンチューブが水平線を描き、このチューブが上下することで、観客は海底に降りていったり、陸地に上ってきたりする感覚を味わう。海底世界の住人である人魚姫の顔は、歌舞伎役者のごとく白く塗られ、黒い袴姿の魔法使いの顔には隈取に似たメイクアップがほどこされている。人魚姫の足は、魚の尾を象徴する青い長袴のような衣装に包まれて見えない。バレリーナが舞台上で足を見せないこと自体、革新的な試みだった。黒子のような3人の男性ダンサーに支えられて宙を泳ぐ人魚姫の姿は、人形浄瑠璃を連想させた。ノイマイヤーは、日本の伝統的な演劇の手法が、普遍的であることを世界に示してくれたかのようだった。

The Little Mermaid , Dancers: Silvia Azzoni, Carsten Jung , Role: Hans Christian Anderson | Hamburg Ballett John Neumeier

The Little Mermaid Dancer: Silvia Azzoni | Hamburg Ballett John Neumeier
「マタイ受難曲」(1980)にも日本的な要素がある。初演はハンブルクの聖ミヒャエル教会内の祭壇前に設置された舞台で行われ、その後も劇場と教会とで上演されている。教会での上演では、特設舞台に41人のダンサー全員が、最初から最後まで留まることになるため、演出には独自の工夫が必要だった。ノイマイヤーは「『マタイ受難曲』では、ポータブルでミニマルなバレエを模索した。どこでも即時に上演できるバレエ、極端に言えば、地下鉄の中でも上演できるバレエ。道具が不要で、内容こそが大切なバレエを目指した」と語っている。「マタイ受難曲」の演出で、彼が参考にしたのが能だった。何もない舞台では、 ダンサーの個人としての魅力が引き立ち、振付の美しさがより明確に感じられた。

マタイ受難曲 © Kiran West

マタイ受難曲 © Kiran West

マタイ受難曲ミヒャエル教会June 21 2023 © Kiran West
このほかノイマイヤーは、「オデュッセウス」(1995)の演出に関しても「能に目を向けたことで、方法論を見つけることができた。能という簡素な形式の上に身を置くことは、自分自身と自らの演劇的手段を再発見することを意味する」と語っている。
ノイマイヤー自身のコメントは見つからなかったが、2000年版「ジゼル」における、ジゼルの母ベルテの振付にも、日本的な要素を感じた。ノイマイヤーは彼女を盲目という設定にしている。灰色の衣装をまとったベルテは、摺り足を連想させる足取りで進み、両手で雄弁に語りながら、娘の死をうけとめ、ウィリの世界へと橋渡しする。ベルテの一連の動きは、ジゼルと対照的で、そこでは、東洋と西洋の舞踏が融合しているかのようだった。かつてハンブルク・バレエに所属していた日本人のダンサーが「ジョンの振付には、時々日本的な動きを連想させるものがある」と話してくれたことを、ふと思い出した。

Giselle © Kiran West

Giselle © Kiran West
引退後も輝き続けるノイマイヤー作品
ノイマイヤーの引退前には、コロナ禍という試練があった。パンデミックの演劇界への打撃は大きく、人と人との接触が制限されると、通常通りのレッスンが不可能になった。劇場も入場者数が極度に減らされ、一時は閉鎖にまで追い込まれた。しかしノイマイヤーは、刻々と変わる制約を受け入れながら、「ゴーストライト」(2020)などの新作を世に問い続けた。

ゴーストライト© Kiran West
パンデミック後は、抑えられていた創作意欲が湧き溢れるかのように、「いばら姫」(2021年版)「ハムレット21」(2021)「ベートーヴェン・プロジェクトII」(2021)、バッハの「ドナ・ノービス・パーチェム(われらに平安を与えたまえ)」(2022)、ハンブルク芸術監督時代の締めくくりとなる作品「エピローグ」(2024)を世に出した。日本でも上演されたバレエ・ガラ「The World of John Neumeier」(2023年版)は、舞台上のノイマイヤーとともに、名作のハイライトを通して、彼の振付家人生を追うことができる、一大レトロスペクティヴと言えるだろう。
筆者はノイマイヤー作品の、ほんの一握りを観ただけだが、彼のバレエを通じて、まだ知らなかった文学や音楽にも開眼し、世界が広がった。時おり、ノイマイヤーがバレエで使っていた音楽を聞いていると、彼の振付が目の前に浮かび上がってくることがあるが、彼の作品は、臨場感を伴って、多くの鑑賞者たちの記憶に留まり続けるのだろう。
ノイマイヤーが去り、昨秋からハンブルクバレエの芸術監督には、ライン・バレエ団のディレクターだったドイツ系アルゼンチン人、デミス・ヴォルピが就任している。ヴォルピの活躍も楽しみだが、今シーズンの12演目のうち、9演目はノイマイヤー作品が占めている。今後もノイマイヤー作品を楽しむ機会はふんだんにあり、さらに多くのファンを獲得していくことだろう。

The World of John Neumeier in Japan 2023 © Kiran West

The World of John Neumeier in Japan 2023 © Kiran West
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The World of John Neumeier Tanzfestival
ドイツ南部、バーデン・バーデンの歌劇場で毎年開催されているダンス・フェスティバル「The World of John Neumeier」の今年の日程は10月2日から12日。「ニジンスキー」や「エピローグ」などの作品が上演される。
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岩本 順子
ライター・翻訳者。ドイツ・ハンブルク在住。
神戸のタウン誌編集部を経て、1984年にドイツへ移住。ハンブルク大学修士課程中退。1990年代は日本のコミック雑誌編集部のドイツ支局を運営し、漫画の編集と翻訳に携わる。その後、ドイツのワイナリーで働き、ワインの国際資格WSETディプロマを取得。執筆、翻訳のかたわら、ワイン講座も開講。著書に『ドイツワイン・偉大なる造り手たちの肖像』(新宿書房)など。
HP: www.junkoiwamoto.com