昨年10月に8000メートル峰の全14座を登頂した写真家で登山家の石川直樹さん。美しい山々や自然、そこに生きる人々の姿を撮り続け、荒れ狂う山の恐ろしさや鋭利な氷河のにおいまで伝える写真は見る物を興奮させ、感動をもたらしてきた。フィルムカメラを片手に、世界の情景を撮り続ける理由とは───。

旅がすべての出発点

高校2年の頃、夏休みを使ってインドとネパールを放浪した。バックパックを担いで、約1カ月にわたる一人旅。その時にヒマラヤ山脈を見て、心を引かれ、「いつか登りたい」と決意した。早稲田大学在学中に、念願だったエベレスト登頂を果たした。登山の魅力に取り憑かれ、2001年には23歳で七大陸最高峰登頂を達成し、一躍話題となった。未知なる世界への好奇心は絶えることがなく、ミクロネシアでは星を見ながら目的地へ向かう伝統的な航海術を経験。当時東京芸術大にいた伊藤俊治教授から「君がやっていることは芸術だ」と薫陶を受け、東京芸大大学院美術研究科に進学した。

「もともとアートという言葉はギリシャ語のアルス(ars)、ラテン語のテクネ(techne)という言葉から来ていて『生きるための技術』を示す。星を見ながら海を渡る航海術や、雪や氷の壁を登る登山技術もまた、芸術と深い関わりを持ち、自分がやってきたことは芸術と繋がっているんだ、と初めて意識するようになった」

大学院では、芸術分野から人類学にアプローチする芸術人類学をはじめ、映像なども含めてあらゆる領域のアートに触れた。そのころから〝記録としての写真〟を意識し始めるようになる。「後に誰かに参照されるであろう記録として写真を撮ろう、という思いが強くなった。独りよがりの表現ではなく、主観を極力排し、この一枚が記録たりうるか、ということを強く心掛けるようになった」

誰かの扉を開くために

人類学や民俗学に強い関心持ち、記録としての写真を撮り続けた。北海道の知床半島から沖縄の先島諸島に至るまで日本列島各地を巡り、世界中の山に挑戦しては撮影を続けた。それは記録としての写真を残したいと考えた結果である。例えば、ヒマラヤ奥地の山岳地帯の写真は、自然環境、地学、地理、政治、社会、宗教など、あらゆる分野の研究と関わりを持つことになるかもしれない。火山学者の研究に生かされるかもしれないし、登山家にとっては新たなルートを発見する資料になるかもしれないし、絵描きが見たらイマジネーションを引き出されるかもしれない。

「登山は好きだが、写真がなかったら自分が楽しいだけ。写真は情報量がふんだんにあり、写真に残すことであらゆる人の資料として生き永らえることになる。ぼくが死んだ後、50年後、100年後、こういう時代があった、と差し出すことができる。いろんな人の背中を押したり、研究のきっかけになったり、想像のおよばない出会いをもたらしたりするかもしれない。そういう思いで写真を撮っている」

3月22日~4月20日に開催された写真展「With the Whole Earth Below」で展示された石川直樹さんのこれまでの書籍

出会い頭に、見たまま撮影

異文化に足を踏み入れた際は、その土地の人々や文化へのリスペクトも忘れない。「郷に入っては郷に従え」を心に留め、無闇に近づきすぎず、遠すぎない独特の距離感で目の前の人々や地域と向き合ってきた。

被写体の生き生きとした表情は、無理に引き出そうとはしない。基本的には、出会い頭に体が反応したものを撮っていく。作り込まれた格好良い写真ではなく、あくまでも被写体そのものを写すことにこだわる。「見た」そのままを撮影した写真の数々は、鑑賞者の共感を呼び、多くの人の心を捉えてきた。「記録写真というと、表現よりも一段低いようにとらえられがちだが、写真の本質は記録にある。たくさんの“いいね”がつくような写真は一見するといいかもしれないが、消費されてすぐに消えてしまうので、重要ではない」

「カメラがあるからこそ」

2022年に8000メートル峰全14座登頂を目標として掲げ、24年に成し遂げた。世界最難関と呼ばれるカラコルム山脈の「K2」は3度目にして念願の登頂に成功した。

K2は標高8611メートルの独立峰で、落石や雪崩が多い。命を落とす登山家が多いことから「非情の山」とも言われる。

2015年の最初の登山では、6500メートル地点で荷物が雪崩に流され断念。2度目の2019年は雪の状態が悪く、ロープが張れずに8000メートル寸前のところで撤退した。2022年にようやく制覇し、「よかった」と語る言葉の重みに、これまでの苦労がにじむ。3度の登山で撮影した写真の数々は、写真集「K2」(小学館)として発表した。町の日常や村の文化、ネパールの少数民族シェルパの暮らしなど、麓から撮っていく独自のスタイルで、相棒のブラウベル・マキナ670を使った。「フィルムカメラは、一期一会がよく写る。消せないし、余分にシャッターを切れない。そこが魅力であり、楽しさ」

K2登山は、天候が読めずにベースキャンプで何週間も待機せざるをえない場面があった。登れないことでプレッシャーを感じる登山家もいたが、石川さんは氷河の写真を撮りながら気長に待った。こうした高所登山では、相棒であるフィルムカメラに助けられる場面がたびたびあるという。「山の方が人間の何倍も強い。人間がどうこうしようとしてもどうにもならない。カメラがあるからこそ、平静を保つことができた。撮ることが第一で山に登っているし、毎回カメラに助けられている。写真を撮る意思がなかったら(登山の)モチベーションを保てなかった」

より意識的な「生きる」

「ネパールにいると生きるためにいろんなことに意識的になる」と穏やかながらも実感のこもった言葉で語る。東京では徹夜したり、食事を摂らずにPCで作業をするなど、ちょっと無理をしても命の危険はない。しかし、高所登山では自身の行動一つが命取りになるため、行動の一つ一つにも意識が向く。「食事をしなければ動けなくなるから絶対に食べるし、寝なかったら動けないからきちんと睡眠を取る。ヒマラヤでは一挙一動にすごく意識的になり、生きている実感がする。気力をすべて使い果たし、『もう無理だ、動けない』そういう状態にまで追い込まれることは普段の日常にはない。遠征自体は苦しいが、全身を使って全てがリセットされるのが心地良い」


石川直樹

1977年東京都生まれ。2011年「CORONA」で土門拳賞、2020年「EVEREST」「まれびと」で日本写真協会賞作家賞を受賞。主な著書に「最後の冒険家」、児童書「富士山にのぼる」、写真集「K2」など。


撮影場所
写真展「With the Whole Earth Below」
会期:3月22日~4月20日(会期終了)
東京都港区ゴールドウイン 東京本社1階ホール

Photo by:Yusuke Abe(YARD)

住吉沙耶花
ソロ旅ジャーナリスト。都内の報道機関で文化部記者として勤務。訪れた国は欧州を中心に60カ国以上。