ニューヨークを拠点に活躍する現代美術家・松山智一さんの大規模個展「FIRST LAST」が5月11日まで、東京都港区の麻布台ヒルズギャラリーで開催されている。マイノリティとして自らのアイデンティティを模索してきた松山さんに、これまでの生い立ちや鮮やかな色彩へのこだわり、個展の見どころなどを聞いた。

現代美術家・松山智一さん Photo by FUMIHIKO SUGINO
キリスト教徒としてのアイデンティティ
1976年に岐阜県高山市で生まれ、両親共にクリスチャンの家で育った。小学3年の頃、牧師である父親の都合でアメリカ・カリフォルニア州へ。当時はベトナム戦争(1955〜75年)後、アメリカが疲弊していたときだった。価値観や信念の違い、家族の在り方の違いなどリアルなアメリカの姿に直面した。「ボートピープル」とそしられ、アジア人差別を受けた。子ども同士で「ランチマネーよこせ」と喝上げを受けたことも。「アメリカの病んでいる姿を見てカルチャーショックを受けた。これが原体験」と振り返る。
上智大学経済学部を卒業後、2002年に再び渡米。ニューヨーク私立美術大学院プラット・インスティテュートでデザインを学んだ。アメリカを拠点に創作活動を開始し、アートへの情熱を作品にぶつけたが、報われない日々が続いた。「未来が明るいかも分からず、自分を信じ切るしかない環境で、結果を出して稼がないと食べていけなかった」
「人生を賭してやるという強い気持ちがないと続けられなかった」。そんな松山さんの心を支えたのが、幼少期の経験と、学んできたキリスト教の教義だった。
個展のタイトルにもなっている「FIRST LAST(後の者が先になり、先の者が後になる)」は、新約聖書マタイによる福音書20章からアイデアを得た。どれほど情熱を注いでも、かけた分だけ見返りが返ってくるとは限らない。自身の回収できない熱量を前に、「報われるとは限らないから求めてはいけない。自分もその境地にならなければ描き続けられなかった」。ニューヨークは競争が激しく、何をきっかけに世間からの評価が変わるか分からない。恐怖心と隣り合わせの真剣勝負は今も続いている。
特徴的な色彩へのこだわり
聖書は隠喩や逸話を通して、前を向いて生きることが示される。松山さんは、幼少期のアメリカ生活で、厳しい環境下でも強くたくましく生きる人たちの姿を間近で見てきた。アーティストになってからは、マイノリティゆえに社会のダークサイドを描くことを期待されたが、暗い絵を良いとは思わなかった。「生きる夢を提案したい」。
苦痛の中で生きる人に光を届けたいという思いで、約10年前から色にこだわった表現法を取り入れるようになった。アクリル絵の具を2〜3色混ぜ合わせて、オリジナルの色を何パターンも作った。同系色で300色以上の種類を作り、作業場のコンテナに大量のストックとして保存している。独自の感性による色の取り合わせは、アメリカで高い評価を得て、今日の名声につながった。
本展覧会の最初の部屋で飾る「We Met Thru Match.com」(2016)は、キャリアのターニングポイントになった思い入れのある作品。尊敬するフランスの画家、アンリ・ルソーにインスピレーションを受けつつ、京都の市街地などを描いた「洛中洛外図屛風」を意識して狩野派などの伝統的技法を取り入れた。縦254cm、横610cmの大キャンバスに東洋と西洋が融合し、松山さんらしさが凝縮された世界観が広がる。「夜景の中で男女が文通する日本的なポエティックな作品。日本のアイデンティティから遠く、郷愁的」

「We Met Thru Match.com」2016年
日米で異なる「美術」表現
現代美術家として、鑑賞者が抱く考えや思いを代弁してきた。「欧米では鑑賞者から『何を象徴してくれるのか、何を見せてくれるのか』に答える必要がある。これが美術が行ってきている行為」。欧米では鑑賞者の考えを描写し、鑑賞者に還元されることが求められる。つまり、鑑賞者に新たな気づきを与えるのが美術表現がすることだ。一方、日本ではアーティストは孤高であり、究極の「個」であって型にはまらないことが評価されてきた。欧米の価値基準で創作してきた松山さんにとって日本での評価は厳しかった。「近いようで遠かった母国がやっとウェルカムしてくれた」と喜びを見せる。
鑑賞者の感性を呼び覚ます絵画は、自身にも気づきを与えた。
「作品は僕が何であるかを教えてくれた。日本人であり、クリスチャンであることを…」

「Passage Immortalitas」2024
アメリカの現在地
展示の目玉となる「Passage Immortalitas」は、聖書の「受胎告知」がテーマだ。聖母マリアが神の子イエスを身ごもったことを、天使ガブリエルから伝えられるシーンを幻想的に描いた。ここにも、鑑賞者への問い掛けが込められる。神の子を宿すことが「正義」ならば、自らの子を作れなかった夫ヨセフはマイノリティになってしまうのか?「美化し、神話化したことも、場合によっては過ぎたハラスメントになりうる。信じている概念が明日には悪になり得る、そんなはかなさを投影した。今のアメリカを象徴した」 。松山さんの目には、現在のアメリカは迷走しているように見えている。
「何でもハラスメントになってしまうのはおかしい。多様性やダイバーシティが行きすぎてしまい、国民も多様性に疲れだしている。それでも僕はチャンスをくれるアメリカで戦う。僕の誇りだから」。幼少期から、常にアイデンティティを模索してきた。それは、「人間の根源がアイデンティティで、承認欲求であって存命のためのツール」だと考えるからだ。
作品の楽しみ方
「作品は見る以上に、読み物であり、経験するもの。展覧会は小説のように序章があり、起承転結でメッセージを伝えるもの」。このため、一つ一つの展示室を作り込み、どのようにして美術を〝経験〟してもらうかにこだわった。
例えば、ステンレス製の鏡面仕上げのオブジェ「Dancer」と、千羽鶴をイメージした絵画「Keep Fishin’ For Twilight」など数点が並ぶ展示室。真っ白な壁紙で、鏡がいたるところに飾られ、まるで異空間に足を踏み入れたかのような錯覚に陥る。
「日本で鏡面仕上げは神聖なもので、神道で鏡は剣や玉と共に三種の神器とされる。さらに千羽鶴をテーマにした抽象絵画を展示することで、東洋的な精神性をどうやって欧米の中で美術原理にできるかを模索した」。〝祈願する〟という日本的な考え方を基に、日本人が古来大切にしてきた信仰心を思い起こさせる作品に仕上げた。「宗教や多様性、ジェンダーポリティクス、複数のアイデンティティがどこにつながるかなど、今の世界の在り方や価値観の在り方をメッセージとして伝え、問い掛ける展覧会にした」

「Dancer」2022

「Keep Fishin’ For Twilight」2017
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Photography: Kota Akita
(一部提供)
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住吉沙耶花
ソロ旅ジャーナリスト。都内の報道機関で文化部記者として勤務。訪れた国は欧州を中心に60カ国以上。