2024年元旦の能登半島地震以降、能登で解体が必要とされる家屋は約32,000棟にものぼる。苦渋の決断が続くなか、家を彩った古材や古道具だけでなく、人々の「心のレスキュー」を目指す「のと古材レスキュープロジェクト」に密着。メンバーたちを追った前編に続き、後編はレスキュー「された」側である、能登生まれ能登育ちの山浦芳夫さんへ会いに向かった。
思えば、2024年の能登半島地震後に能登へ通いながら、多くの「きれいごと」を聞いてきた。
その種類は大まかに3つある。まず能登の外で聞こえてくる、大人のマナー的な綺麗事。大きな意味はなくとも、健全な社会生活には欠かせない挨拶のような、いわゆる普通の綺麗事だ。つぎは、能登内部で地元の人々から聞こえてきた、まるで自分に言い聞かせるような綺麗事。ときに吐き出すように、ときに呆然と、ときに悟ったように話すその声には、綺麗事でも言ってないとやっていられない、彼らの心の内が滲んでいるようだった。
そして3つ目は、キレイな言葉が綺麗事にならないという、珍しいケースだ。他意も遠慮もなく、澄んだ心に浮かんだ単語をすくい上げたような言葉たちは、こちらの心にもさらりと染み込んでくる気がする。その心地良い言葉の主は、能登半島の輪島市三井町(みいまち)で生まれ育った、山浦芳夫さん。誕生は1934年、御年90歳。

能登半島、輪島市三井地域でかつては区長会会長も務めた、山浦芳夫さん。
緑豊かな三井の、坂の上にある立派な家。山浦さんの家族が先祖代々受け継いできたこの家は、能登半島地震で解体を余儀なくされた。震災から1年たっても、完全に解体するまでは気持ちの整理がつかないという山浦さんだが、内部の片付けはあらかた済ませている。しかし、すでに後悔していることがあると、打ち明けてくれた。
「うちの嫁さんはね、田舎の暮らしについて、およそ30年にわたって記録をつけていたの。例えば、甘酒の作り方。餅米をどれだけ入れたらどれくらい甘くなるか、試食した人の何人中何人が美味しいって言ってくれたか。そういうのが細かく全部書いてあった。元々学校の教員をしとったから、ちゃんとしてる。
そんな嫁さんが、震災で家が潰れたとき、『うちにあるもの全部捨てて欲しい』と僕に言ったの。だからボランティアの皆さんに、ネックレスやらルイ・ヴィトンのバッグやら、捨ててもらった。そして嫁さんが約30年かけて書いたあの記録もね、全部一緒に捨ててしまった。本当に全部、それこそ煙となって、この世からなくなりました。今考えたら、もったいないなと思うけれどもね。人生って素直よね。どんな思い出も、日常生活の中で、だんだん冷えていってしまう。記録にして誰かに渡しとけば、次なるものになるかもしらんけど、迂闊に捨てれば、何にもならないよね」
「のと古材レスキュープロジェクト」で思いが循環する
行き場のない喪失感を知る山浦さんだからこそ、能登で解体される家屋から古材や古道具を救い出す『のと古材レスキュープロジェクト』にも、すぐに共感したという。プロジェクトを率いるのは、山浦さんと震災の10年前から家族のように接していたという東京からの移住組、山本 亮さん。能登半島地震のあと民間ボランティア団体を始動させた山本さんのもとで、記憶が詰まった古材や古道具を次の使い手へ繋ごうとしている。
「情けないけれど、わしは家が潰れて、たくさんのものを燃やしてしまった。元通りに返せ、戻せったって、どうしようもできんわ。だからこのプロジェクトの話を亮くんから聞いた時、もう、とっても嬉しかった。今、みんなが生活のなかで愛用してたものが、廃棄されて、焼き場で燃やされている。でも他の誰かが『可愛いね』『綺麗じゃね』、『手の込んだ細工しとるね』『これ面白いね』なんてそのモノに引き込まれると、みんなそれを自分の手元に持つでしょ。道具や木材は、最終的に、修復不能になるわ。けれども、その間だけでも可愛がってあげてくれる誰かがいる。それだけで、わしは非常に救われるんじゃないかと思うわな。自分が死んでも、残ってくれる。
職人たちが、ぐっと時間と愛情を込めて作り上げたものが、自分の手元を離れて、仮に1ヶ月でも3ヶ月でも他の誰かに大切にされる。そうやって繋げていけたら、作った人と、持っていった人に、僕たちはいい恩返しができるんじゃないかな」

山浦さんのご自宅からレスキューされた古材を使い、家具職人が作った椅子に座る山浦さん。「のと古材レスキュープロジェクト」初の依頼者だったことから、特別に贈られた。
この『のと古材レスキュープロジェクト』が救おうとするのは、モノだけではない。形ある物体に込められた、目に見えない感情や記憶。それらを紡ぐ『心のレスキュー』の活動内容の中には、依頼者の家から保存された古材を使ってフォトフレームなどを制作し、依頼者へ贈ることも含まれている。プロジェクト初の依頼者となった山浦さんには、家具職人が制作した椅子が贈られた。
「あのね、ここらの皆さんは、家に愛着持っとる。この辺は林業地帯なもんで、人それぞれ思い出のある木があったりするの。だから柱1本でも、次の家に持っていきたいと思うんやね。多少その木材が痛んでいても、その家の思い出として残したいんだろう。だからプロジェクトが作ってくれたこの椅子が、わしにとっては、思い出そのもの。
これから、我々は昔のように大きい家には、ほとんど暮らせない。建てることもできないと思う。現代的な、コンパクト・ハウスで生活していく。だから大きなものは無理だけれど、この椅子だけはどこへ行っても持っていくよ。小さなペン立てでも小物入れでも『のと古材レスキュープロジェクト』が作ってくれたら、ある者は心が痛くなるかもしれないけれども、時間が経てば『いいものを残してくれたな』と思ってくれるはず」

大工が施工時に描いた文字をいかして、デザインされた椅子。
「一般的に価値のあるものを作ろうと思ったら、(椅子で使われている木材を指差して)この板はまっすぐ綺麗な普通の板でよかったはず。ところが、あえて個性的なものを残しておく。すると、ここにいい思い出が残るんだよ。だから、愛着を持つようになる。作った人の心が、嬉しいね」
日本の原風景は、見栄っ張りたちが作った?
実際、能登にはこだわり抜かれた古民家が多く、さながら日本昔話の風景が広がっている。美しいケヤキやナラ、アスナロ(能登ヒバ)が建材に使われているのに加え、床材や扉に漆が塗ってあったりと、実にバリエーション豊かなのだ。
「その理由は、まず、自前の木がたくさんあるということ。江戸時代には加賀藩が、貴重な木材資源を保護するため、森林管理をしていたほど能登の山には恵みがあった。豊富な落葉樹から薪炭が多く生産され、海洋北前船を活用し、加賀や京都、遠くは阪神方面へと運ばれていった。1985年頃にこのあたりを調査したら、約660個もの炭焼き小屋の跡が確認されている。当時の能登三井は、日本のサウジアラビアさながらのエネルギー生産地だったの(笑)
あと昔は雪が多かったから、柱をがっちりさせたとかの理由もあるけれど、一番の理由は、やっぱり見栄だね(笑)自分らの親戚が、町内なり地域に数軒住んでるわね。そうすると家を建てるとき、彼らが『俺に床柱1つ出させてくれや』とか言って寄付して、手伝いに来てくれるの。そこで施工中に、『あそこの家はなかなかセンスがいいぞ』とか思うと、山に木を見にいって『柱一本でも、あいつの家より少しでもいいやつないか』と探すわけ。一見みんな仲良くしてるけど、心の中では『あいつに負けてたまるか』とメラメラしているという(笑)」
「お互いに見栄を張って繋がりを作ることで、地域社会に溶け込んでいったんだね。特にこの辺は、輪島塗や友禅といった工芸が多い。家族で節約して頑張って揃えた品々を、冠婚葬祭のときには、お互いの家で貸し借りする。例えば30人集まる結婚式で、自分の家では20人前の御前しか用意できないとしたら、地域の親方が配分して、他の家庭からあと10人前借りてくる。お皿はまた別の家から借りて、台所で仕事する人たちも周りから集める。助けて、助けられてたんやね。
コミュニティというか、大きい家族のような労働配分で、原始的な地域構成ですわ。でも他人より、家族とのほうが、喧嘩するでしょ(笑)? この集落でも揉めるわ。今トランプ(米大統領)が『あれやれ』『これはやらん』と交渉してるけど、ここでもわしの親父みたいに、仲裁上手なもんもおったんだから。世界地図を眺めていると、みんなずっと同じことをやっとんのかもしれんと思うよ。そうやってみんなが生き様を、積み重ねて、今の世界が出来あがってるのかもしれんね」
里山の達人の90歳が、未来へ見る夢
能登を旅した国語学者のエピソードから、国際政治のトップの最新情報まで───。俳句を嗜む山浦さんの口からは、実に多彩な話題がこぼれ落ちてくる。幼少期に戦禍を味わったとは思えぬほど、世代間のギャップを感じさせない。
そんな彼へ最後の質問として、自らが思い描く理想の社会について聞いてみた。
「僕たちが雑談しているときに、『過去と未来に、しなやかに向き合いたい』という言葉が出てきたでしょう。『しなやか』、その通りだと思う。温故知新をするにしても、人生を考えるにしても、片意地を張っとっちゃダメだ。柔軟性や、柔らかさを持って、社会を未来へ繋げていけたらいい。
都会では、生き馬の目を抜くように、みんな厳しく生活しておるんだと思う。けれどこれから、一年365日の中で、まとまった休みを1ヶ月くらいとれるような社会になったらいい。その時間で、マイ・ライフのバランスを取る。外国へ行ってもいいし、20日くらいは能登に来てみたりね。吉幾三の歌(1984年発表『俺ら東京さ行ぐだ』)みたいに、田舎だっていいことばっかりじゃないよ。けれど今わしがつくづく思うのは、一息つける場所はあった方がいい。自分では、ここには何にもないと思うけれど、都会の人に良さをたくさん教えてもらった。それは、お互い様よね。みんながいるから、気付けることがある。そんなふうに社会が繋がるのが、僕の夢やね」
山浦さんが参加した「のと古材レスキュープロジェクト」初の展示販売イベントが開催

「のと古材レスキュープロジェクト」初の展示販売イベントが、「東京クリエイティブサロン 2025 」の会期中に開催。『のとのいえ – 里山が紡ぐ、古道具の記憶 -』は「東京ミッドタウン」のプラザB1にて、2025年3月13日(木)〜23日(日)までオープン。
期間:2025年3月13日(木) – 2025年3月23日(日) 11:00~20:00
(古道具の販売は土日・祝日のみ)
会場:東京ミッドタウン プラザB1
主催:一般社団法人のと復耕ラボ, 古材create青組
協力:PRODUCT DESIGN CENTER, 丹青社, 東京ミッドタウン
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第1回 「のと古材レスキュープロジェクトAtoZ 里山の美の紡ぎ方」
日時:3月15日(土)18:00〜19:00
会場:東急プラザ原宿「ハラカド」4階
登壇者:山本 亮 「一般社団法人のと復耕ラボ」代表理事
江崎 青 「古材create青組」代表
鈴木 啓太 デザイナー、「プロダクトデザインセンター」代表
第2回「能登の家と工芸の魅力とは? 今一度輝く土着の美」
日時:3月20日(木・祝)14:00〜15:00
会場:東急プラザ原宿「ハラカド」4階
登壇者:坂井 基樹 公益社団法人日本陶磁協会 事務局長
鈴木 啓太 デザイナー、「プロダクトデザインセンター」代表
※ どちらの回も無料、予約不要
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Photos: Yota Hoshi, Kentaro Hisadomi
Text: Makiko Oji
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