イタリア・ヴェネチアで9月、職人技の展覧会「ホモ・ファーベル」が開催。カルティエなどを傘下に持つラグジュアリー企業、リシュモンの一員であるミケランジェロ財団が主催し、今年3回目となる展覧会を訪問した。

©Michelangelo Foundation

「人生の旅路」がテーマ

ホモ・ファーベルとは「工作する人間」を意味するラテン語。人間を他の動物と知恵で区別するホモ・サピエンスに対比する概念で、道具を作って使用することによって規定される人間観だ。その名に相応しく、展覧会で扱われるのは職人の手によって生み出された工芸作品。初回のホモ・ファーベル展では欧州の工芸品に特化したもので、前回はデザイナーの深澤直人がキュレーションした12名の人間国宝が手がけた作品が展示され、日本の職人技がスポットライトを浴びた。対して今回は、アフリカや北南米などを含む世界各地から集められた多様な工芸品が並んだ。

本展覧会のテーマは「人生の旅路(The Journey of Life)」。ミケランジェロ財団設立者の1人、ヨハン・ルパート(リシュモングループ会長)の娘で、同財団の副理事長を務めるハネリ・ルパートが提唱した。グローバルな展示内容に合わせ、世界の人々の共感を呼ぶシンプルなものを選んだと語る。ハネリは、南アフリカでアフリカのファッションブランドに特化したコンセプトショップと、高級レザーブランド「Okapi」を一から立ち上げた。本展覧会の企画運営に参加するのは初めてだが、自身のブランド事業で職人によるものづくりを実践してきた。

また、今回の展覧会では個別の展示室を個々のキュレーターが担当した前回までの仕様とは異なり、映画監督ルカ・グァダニーノと建築家ニコロ・ロスマリーニが芸術監督を務め、「人生の旅路」に沿った物語と空間設計を担当した。『君の名前で僕を呼んで』などで知られるグァダニーノ監督は、8年前からインテリアデザイナーとしても活動し、建築家のロスマリーニは彼のスタジオのプロジェクトマネージャーを務める。グァダニーノは、ホモ・ファーベル展の会期スタートと同じ時期に開催されたヴェネチア国際映画祭で新作をお披露目するなど、映画監督としても多忙だが、このプロジェクトにも情熱を注いだ。

一つの物語を体験する空間

物語と空間設計のプロが手がけた展示会場は、それぞれの展示什器から会場内の細かい装飾品に至るまで、すべてに統一感があった。展示室の壁や天井まで作りこまれ、部屋によっては音響効果も。世界70ヶ国400名以上の職人による約800作品のそれぞれが、映画セットの中の大道具や小道具であるようにも感じられた。まず世界観を味わった上で、同じ世界観を持った会場内の特設レストランやテラスで休憩をとりながら、一つ一つの作品をじっくり観察する。会場はそれほど広くはないが、1日かけてゆっくり見て回るというのが贅沢な楽しみ方かもしれない。

展示会場は「誕生」、「子供時代」、「愛」といった人生のフェーズに関連したサブテーマに基づいた11の展示室で構成された。会場となったジョルジョチーニ財団は元々修道院だった建築を改修した歴史的建造物で、迷路のような庭や四角い中庭を囲む回廊があるなど、荘厳さが漂う建築。しかしその空間は、グァダニーノとロスマリーニによって、おとぎ話の世界のようにどこか可愛らしい空間へと生まれ変わった。

また、さまざまなコミュニケーションデザインやカタログなどのビジュアルデザインは、ナイジェル・ピークが担当。彼は鮮やかな色使いと幾何学モチーフが特徴的な作品を展開し、エルメスやユニクロなどをクライアントに持つアーティストで、ホモ・ファーベル展のキービジュアルにも、水彩パレットのような滲んだ色合いが特徴的な緩やかな図形を使い、柔らかいイメージを演出した。

「ラグジュアリー」なクラフトの世界とは

世界各地から集められた作品は、基本的にはそれぞれの作家から貸与されたものだが、いくつかの作品はホモ・ファーベル展に合わせて特注されたものだ。例えば、「誕生」の空間に並んだ刺繍作品は、ミケランジェロ財団が特注したもの。イタリア発祥と言われる「ガチョウのゲーム(すごろく的なボードゲーム)」に着想し、ピークが描いたグラフィックアートをもとに、世界各地の20のアトリエが独自の解釈と素材を取り入れて制作した60の刺繍パネルが展示された。南アフリカ、ルワンダ、モロッコ、チュニジア、メキシコ、カナダ、アフガニスタンなど、世界各地の刺繍作家やコレクティブが参加し、緻密なステッチからダイナミックなアップリケまで、さまざまな手法が見られる。異なる文化背景を持ち、地理的にも離れた場所で活動する刺繍作家が同じ図案に取り組むというのはシンプルだが心に響くアイディアだ。

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2つの「子供時代」の空間には、童話の世界に出てきそうな遊び道具や動物の置物などが展示されている。そこにはデンマークのカイ・ボイスンがデザインした木製フィギュアといった有名な作品もあれば、ミニチュア作家が作成した細部まで再現されたミニチュアの部屋の模型、オモチャのスポーツカーなどがある。中には手作りとは思えないような完成度の作品も並ぶ。

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続く「祝賀」室には、天板が鏡になった巨大な食卓の上に器、カトラリー、食べ物を題材にした作品が並べられた。そこにはダンヒルやクリストフルといったラグジュアリーブランドのプロダクトとともに、日本の漆食器や金網などが並ぶ。

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「継承」の部屋は、家族で引き継がれてきた職人技にスポットライトが当てられた。部屋の天井には、ホモ・ファーベル展のためにグァダニーノとロスマリーニが10組の職人の工房を取材し、制作した白黒フィルムが写し出されている。展示作品の一つには中村信喬(しんきょう)と弘峰(ひろみね)親子が手がけた日本人形がある。親子の作品に共通するのはその職人技であるが、父の伝統的な作風と、息子のコンテンポラリーな作品の対比が際立つ。職人技の継承は必ずしも伝統をそのまま引き継ぐことではなく、次世代には新たなイノベーションを起こす責任もあるというようなメッセージが伝わってくる。

最後の紹介したのが「愛(求愛)」の部屋。この空間には、さまざまな花の工芸が展示された。そこには、ヴァンクリーフ&アーペルが手がけた宝石が散りばめられた花のモチーフのジュエリーから、花瓶から花びらまで全て紙細工で作られたもの、陶器、革、蝋でできた花まで多様な素材が混在。素材の価値に関わらず、全て同じ価値を持った工芸として、同じショーケース内に陳列されていたのが印象的であった。

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ホモ・ファーベル展は、アート、デザイン、工芸という境界線をつくらずに、人間のクリエイティビティと職人技が詰まった作品を見せるという展覧会だ。それぞれの職人が活動する文脈から作品を切り離し、一つの統一した物語の中で見せることで、職人の技が生かされる新しい可能性が生まれるのかもしれない。同時に、ラグジュアリーの定義は物語と文脈次第なのだと、改めて気付かされた。


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Photo by Maki Nakata(一部)

Maki Nakata

Asian Afrofuturist
アフリカ視点の発信とアドバイザリーを行う。アフリカ・欧州を中心に世界各都市を訪問し、主にクリエイティブ業界の取材、協業、コンセプトデザインなども手がける。『WIRED』日本版、『NEUT』『AXIS』『Forbes Japan』『Business Insider Japan』『Nataal』などで執筆を行う。IG: @maki8383