2024年4月19日、第60回ヴェネチア・ビエンナーレ開幕と時を同じくして、地球の裏側で新しいアートスペースが産声を上げた。それが南青山に誕生した「space Un(スペースアン)」だ。筆者は、今年2月に開催されたマラケシュのアートフェア期間中、space Unのチームメンバーと出会って以来、勝手に思い入れを持ってspace Unの公式オープンを心待ちにしてきた。本稿では、コンテンポラリー・アフリカン・アートに特化した日本初のアートスペースを手がけた創業者らの想いと、そのオープニングの様子をお伝えする。

異文化理解ではなく、ボーダレス

アフリカと日本、ひいてはアジアとの文化交流や対話を促進するスペースの構築は、創業者のエドナ・デュマス(Edna Dumas)の長年の夢だった。フランス系カメルーン人の彼女は、神戸、パリ、ベルリンを拠点に活動するアートコレクター。彼女の母親はファッション業界で活躍してきたカメルーン出身のリン・ガチャ(Lynn Gacha)、父はエルメスの元経営幹部であるフレデリック・デュマス(Frederic Dumas)。幼い頃からアートに囲まれて育ったという彼女がアートに関わるようになったのは両親の影響も大きいという。

その後、ニューヨーク滞在中にアフリカ映画祭(New York African Film Festival:NYAFF)に出会い、アフリカ映画をきっかけにアフリカの文学やアート作品へも関心を広げていったという。NYAFFは、シエラレオネ出身の米国人メーヘン・ボネッティ(Mahen Bonetti)らが1990年に立ち上げた歴史あるイベントで、映画を通じてアフリカの文化を米国や世界に発信するプラットフォームとして重要な役割を果たしてきた。

一方、日本とのつながりは国際基督教大学(International Christian University:ICU)への交換留学が最初のきっかけだ。そこでの文化交流の原体験があり、彼女はその時にいつか日本に移住したいと思ったそうだ。その後、約7年前に神戸への移住を実現させ、共通の友人を通じて知り合った俳優・アーティストの中野裕太と交友を深める中、約1年半前に2人の共同プロジェクトとしてspace Un構想が動き出した。創立メンバーには、デュマスがベルリン在住時代に知り合い、17年来の付き合いがあるロータ・エクシュタイン(Lothar Eckstein)も参画。彼は主にビジネスサイドのディレクションを担当する。

実際に彼らに会ってみると、なぜ3名が自然と意気投合したのかが直感的に理解できる。彼らの共通項は、さまざまな文化に触れ、多言語をあやつりながらボーダレスに活躍してきた中で育まれた、ヒューマニティ(人類、人間性)の共通性への意識だ。space Unの文化交流の場としての役割に関しても、文化の違いではなく、共通点を示したいとデュマスは言う。

ポジティブなエネルギーが充満したオープニング

今回、南青山にオープンした空間は一見するとギャラリーではあるが、創業者らが思い描いているのは単なる画廊ではなく、文化交流を促進するようなプラットフォームだという。空間内では作品の展示も行われるが、対話を促すためのワークショップや子どもを対象にした企画も開催される予定。space Unは吉野にも拠点を持ち、年4回、アーティストを招聘した4〜6週間のレジデンシープログラムも実施する。地域との交流やコラボレーションを経て制作された作品が、南青山で発表されるという流れである。

4月19日に開催された招待制のプレオープニングイベントには、主催者が想定していたよりも多くのゲストが訪問して大盛況であった。半数近くは、このオープニングに合わせてわざわざ来日した人々であるという。アート業界関係者、日本とアフリカにゆかりのある事業家や教育関係者、大使館関係者、space Unメンバーとアーティストの友人や関係者など、年齢層も人種も幅広いゲストが集まり、会場内にはspace Unらしいボーダレスな雰囲気が充満していた。

19日のプレオープン、20日のアーティストトークイベントとオープニングパーティーを含めた2日間で、述べ400名ほどの来場者が足を運んだとのことである。20日の夕方に開催されたオープニングパーティーにも、国内外から多くのゲストが訪れ、文字通り、会場から人が溢れ出していた。そして複数の参加者から「エネルギーがすごい」という声が聞かれた。space Unという空間をきっかけに、何か新しいつながりが生まれていくような熱量が充満し、その前向きなエネルギーが運営側と参加者の枠を超えて共有されていたように感じられた。

Artworks by Aliou Diack
Photo: Masaki Ogawa

「種を植えるように作品を作りたい」

ギャラリー空間のこけら落としでは、セネガル人アーティスト、アリウ・ディアック(Aliou Diack)の個展が開催され、20日には対談形式のアーティストトークの場も設けられた。彼はセネガルの首都ダカールから約100キロ離れた場所にある農村、シディ・ブゥグゥ(Sidi Bougou)で生まれ、自然に囲まれて育った。人類の土地という意味であるシディ・ブゥグゥでの記憶が、彼の作風に反映されている。

Artist Talk Photo: Kaname Teruya

ディアックは、世の中にあるすべての人工物を生み出してきたという点において、アーティストやデザイナーのせいで気候変動が起こっていると語る。だからこそ、自然について語る作品を作るために、自然環境を破壊することに矛盾を感じ、アクリル絵の具や油絵の具をやめた。彼の作品には、かつて祖父が病気の治癒に使っていた色彩豊かな薬草の粉が用いられている。キャンバスを床に広げ、そこに色を置いていく手法について、「種を植えるように作品を作りたいのだ」と彼が語っていたのが印象的である。ディアックにとっての作品づくりは、自然との対話という意味において農業と同じ作業なのである。アートと農業というと異世界のように感じるが、文化(culture)の語源が耕すという意味のラテン語(colere)であることを考えると、彼の持つ価値観は、本来的には人類が共通して持っているものなのかもしれない。

Artist Talk Photo: Kaname Teruya

文化交流を生み出すプラットフォーム

ディアックは吉野に4週間滞在し、地域の人との交流を深めながら10数点の作品を仕上げた。吉野地域は高品質の吉野杉・吉野桧で知られており、その植栽に大きく貢献したのが土倉庄三郎。密植(みっしょく:1ヘクタールあたり約1万本という高密度の植栽を行うこと。年輪幅が細かく均一な材を育成する)、多間伐、長伐期を基礎とする造林育成の技術を確立させた人物だ。土倉の活躍から約130年の時を経て、彼が当時100年後を見据えて育てた木が伐採されて、人々の手に渡るようになった。今回、space Unに展示されている作品の一部には、その特別な桧が白木のまま額縁として使用された。

ディアックはこれまで木という貴重な資源を無駄にしてしまうことを懸念し、額縁を使うことをやめていたそうだ。しかし、吉野地域に伝承される特別な林業に感銘を受け、真にサステナブルな林業の中で伐採された特別な木を使った額縁を使うということについては、新たな意味を生み出した。一方、地域の林業従事者も、文化交流とコラボレーションに意義を見出し、これまで大事に保管されていた桧を、今回特別に額縁として使ってくださったそうだ。レジデンシープログラムを通じて、アーティストと地域がお互いに尊敬し合う関係性が生まれ、新しい意義と価値が創造された素晴らしい事例だ。レジデンシー期間中に制作されたディアックの作品には、あっという間に買い手がついてしまったものもあるそうだ。

space Un
Photo: Masaki Ogawa

また公表はされていないが、この先1年ぐらいまではレジデンシーで来日するアーティストのラインアップが決まっているそうだ。今後ますます盛り上がっていくことが予測される世界のコンテンポラリー・アフリカン・アート市場。その中で、日本を拠点としたspace Unの存在感が今後拡大し、アフリカのアーティストと、日本の職人やクリエイターとの交流が促進されていくに違いない。


Photo by Maki Nakata(一部提供)
space Un /Artworks by Aliou Diack Photo: Masaki Ogawa
Artist Talk Photo: Kaname Teruya

Maki Nakata

Asian Afrofuturist
アフリカ視点の発信とアドバイザリーを行う。アフリカ・欧州を中心に世界各都市を訪問し、主にクリエイティブ業界の取材、協業、コンセプトデザインなども手がける。『WIRED』日本版、『NEUT』『AXIS』『Forbes Japan』『Business Insider Japan』『Nataal』などで執筆を行う。IG: @maki8383