2024年3月28日から30日の期間、アジア最大級のコンテンポラリーアートフェア、アートバーゼル香港が開催された。11回目を迎えた今年は、新型コロナウイルスのパンデミック前の2019年以来初のフルスケール開催。アジアのみならず世界各地から242のギャラリーが参加し、そのうち23が初出展。VIPのみが参加できる26日から最終日までの通算で、75,000名が来場した。

フェアが開催されるアートウィークの週は、香港の街中でもさまざまなアートイベントが開催され、クリエイティブなエネルギーが集中する。今年は、フェア開始直前の週末に、第1回香港国際文化サミットフォーラムが開催。歴史的建造物であるフリンジクラブではブティック系のサテライトイベント、サパー・クラブ(Supper Club)が、クリスティーズではコンテンポラリーアフリカンアートフェア、1-54による展示が初開催されるなど、新たなイベントが話題を呼んだ。本記事では、香港アートウィークにプレスとして初参加した筆者の独自の視点から、香港アートウィークのハイライトをレポートする。

director Angelle Siyang-Le

エンカウンターズ:作家の思考に近づける場所

アートバーゼルには、ギャラリーが自分たちのポートフォリオとして抱えるアーティストの作品を展示する区画以外に、新興アーティストに焦点を当てたディスカヴァリーズ、ギャラリー区画の中でさらに特定のテーマやアーティストにスポットライトを当てたキャビネット、選りすぐりのアーティストが手がける大規模なインスタレーションのコーナーであるエンカウンターズなど、いくつかの区画が設けられている。

今年は世界各地から16名のアーティストが参加したエンカウンターズの区画。エンカウンターとは「出会い」を意味する英語だが、まさにその区画名に相応しい作品が並ぶ。キュレーターはオーストラリア出身のアレクシー・グラス・カントー(Alexie Glass-Kantor)で、アートバーゼル香港の本区画のキュレーションを務めるのは今年で3回目だ。エンカウンターズの16作品のうち11は、アートバーゼル香港のために特別に準備されたものである。

中でも筆者にとって、最も印象的であった作品の一つが香港のコンセプチュアル・アーティストであるマックトゥー(Mak2、別名Mak Ying Tung 2)の『Copy of Copy of Copy of Copy』。この作品は、模倣という手法を使いながら、時間の非連続性を示している。上下2つの部分に分かれているインスタレーションの下の部分は、彼女の絵画作品『Home Sweet Home』 が展示されているすぐ隣の「ドゥ・サー(De Sarthe)」ギャラリー区画をコピーした空間。そして、上の部分では、そのコピーされたギャラリー空間を鏡に映したように逆さにし、コピーの200年後の空間を表現している。

Courtesy of Art Basel

そもそもの絵画作品にも、模倣要素が組み込まれている。この作品は、まず彼女がシミュレーションゲーム、『ザ・シムズ』上で理想の家をデザインし、そのJPG画像を生成。それを横に三等分してそれぞれの部分を、中国のオンラインプラットフォーム上で探したペインターに依頼し、出来上がってきた3つのキャンバスを合わせて絵画を完成させた。ここでいうペインターとは、いわゆる画家ではなく、クライアントに依頼された「画」を再現するという職業についている人で、彼らは自分の仕事の一部がMak2の絵画作品となっているという事実も知らないそうだ。

この“オリジナル”作品をもとに、Mak2はさらに別のペインターに再現を依頼し、元々は3つのキャンバスで構成された絵画を、1人のペインターによって描かれた一つの作品にし、インスタレーション空間の壁に展示した。上の部分の200年後のギャラリー空間には、絵画の印刷ヴァージョンが設置され、200年後の衰退した姿が再現されている。下部と上部のギャラリー空間には、鏡が設置され、時間と模倣の永遠のループを体感できるような仕組みになっている。

Mak2は長年コンセプチュアル・アーティストとして作品を発表してきたが、アート市場においての売れ筋である絵画市場に踏み込むために、自分では絵を描かずとも絵画作品を作るという手法を思いついたという。彼女の作品は、絵画に人気が集中するアート市場に対して、アートとは何かという問いを投げかける。同時に、生成AIの台頭やフェイクニュースの広がりなどが社会課題となる今日において、リアルなもの、オーセンティックなものとは何かという疑問を突きつけるものでもある。

一方、チリ出身のヴィジュアルアーティスト、カタリーナ・スウィンバーン(Catalina Swinburn)の『No Land: The Water Ceremony(土地はない:水の儀式)』という作品も圧倒的な存在感を放っていた。彼女は、考古学的な書物や文献、古地図、建築、音楽、芸術など、歴史の物語を調査し、今に続く伝統を紐解くということにテーマに基づき、古い紙の資料を素材として活用した彫刻作品を展開するアーティスト。アートバーゼルでは、図書館で廃棄となった本の中の地図に関するページを小さなピースにカットし、それを折り紙のように細工し、それらのパーツを組み合わせて出来上がった一つの大きなテキスタイルが、柱上のストラクチャーの上からダイナミックに垂れ下がるという作品を展開。作品は、縦横の幅が1.2メートル、高さが3.5メートルにもなる5つの彫刻で構成されており、圧巻だ。それぞれの彫刻は水の循環に関するインカ帝国の神話の登場人物にインスパイアされたもので、彫刻として展示されるだけでなく、アーティスト自身のパフォーマンスでも着用される。

Catalina Swinburn

この作品には、南アメリカの西部の山々で受け継がれる、水に敬意を表す伝統儀式を守るというメッセージが込められている。地域では、毎年雨季が始まる前の9月から11月の間、灌漑のための水路の掃除が行われる。これは、景観の改修と文化の再生であり、地域の生命にとって最も重要な生態系である水の循環を尊重するものである。水の儀式は、このインカ帝国の伝統を、人類にとって重要な要素として捉え、自然と文化の循環を祝すものである。

Catalina Swinburn

紙でできたこの作品群は、その存在感もあって、アートバーゼルの会場にて多くの来場者を惹きつけた。一方、水の流れを感じさせる色あいと柔らかなドレープが、いわゆる彫刻作品にはない柔らかさを生み出し、唯一無二の美しさが感じられた。同会場には、同じ手法で製作された『Athena』と題されたもう一つの作品があった。こちらは本の皮表紙を素材に使っており、ダークトーンと金の刻印が独特の厳かさと重厚感を醸し出していた。

Ken Kagami

エンカウンターズには、アートウィーク東京との連携で、加賀美健(かがみ・けん)、笹本晃(ささもと・あき)、加賀温(かが・あつし)の3名の日本人アーティストがエントリー。加賀美の作品は彼のアトリエ空間が再現された『The World of Ken Kagami』と題されたインスタレーションで、希望する参加者に対して、女性は胸、男性は男性器を描くという即興ドローイングも行われた。アートバーゼル香港のディレクターを務めるアンジェル・シヤン=ルー(Angelle Siyang-Le)によると、このインスタレーション作品はコレクターに売却されたとのことだ。笹本の作品『Talking in Circles in Talking』は、思い出のオブジェクトを封じ込めた氷を天井から吊り下げ、氷が徐々に溶けていくことで、中身が明らかになるというインスタレーション。毎日、新しい“氷のオブジェ”が設置された。一方、加賀は、江戸後期の歌舞伎劇場を再現した小さな舞台に、彼のアイコニックなうさぎのキャラクターをモチーフにした金箔を使った屏風画のような作品『Ukiyo-e』を披露した。

笹本晃の作品『Talking in Circles in Talking

加賀温の作品 「Ukiyo-e」 Courtesy of Art Basel

エモーショナルな映像作品

大規模なアートフェアの会場において、なかなかじっくりと映像作品を見ることは難しいが、印象に残った作品を2点紹介する。一つはベトナム人のビジュアル・マルチメディア・アーティスト、タオ・グエン・ファン(Thao Nguyen Phan)による、『Reincarnation of Shadows(影の転生)』 という作品。この作品は、20世紀後半に活躍したベトナム人現代彫刻家、ディエム・フン・ティ(Điềm Phùng Thị)の生涯にインスパイアされた制作した、半ドキュメンタリー、半フィクションの映像作品。フランス占領下、1920年生まれのディエム・フン・ティは、フレンチ・インドシナ・メディカル・スクールを1946年に卒業した数少ない初めての女性学生の1人だ。インドシナ戦争の混乱期、彼女は病を患いフランスに渡り、そのままフランスで歯科手術の博士号を取得して歯科医師として活躍していた。しかしベトナム戦争勃発後、戦争を傍観するしかないという苦しみを解放するために、彫刻作りを開始した。タオ・グエン・ファンの映像作品は、過小評価されている彼女の功績を伝える詩的でエモーショナルな作品だ。思わず引き込まれ、アートフェアの無機的な会場にいることを忘れさせるような力があった。

Thao Nguyen Phan(タオ・グエン・ファン)『Reincarnation of Shadows(影の転生)』

一方、人々を惹きつけていたもう一つの作品が、高田冬彦(たかた・ふゆひこ)の『Cut Suits』という作品。同作品は、ヨーコ・オノの有名なパフォーマンス作品、『Cut Piece』をリファレンスしたもの。映像は、ピンクのバックグラウンドの前に立つ、スーツを着た日本のサラリーマンのような男性6名が、互いのスーツやシャツに挟みを入れていく様子が、チャイコフスキーの『眠れる森の美女』のBGMとともに展開されるというもの。オノの作品がシリアスな雰囲気があるのに対して、この作品は「楽しそう」であることが重要な点の一つであるとギャラリストの芦川朋子は説明する。スーツをカットすることは、単なる破壊行為ではなく男性性の解放という喜びの象徴である。

Fuyuhiko Takata, Cut Suits, 2023
©︎ Fuyuhiko Takata
Courtesy of the artist and WAITINGROOM

香港でもにわかに注目が集まるアフリカン・アート

今回、別会場のサテライトイベントにて筆者が注目していたのが、オークションハウス、クリスティーズで開催された、コンテンポラリー・アフリカン・アートの展示。展示は、ロンドン、ニューヨーク、マラケシュでアートフェアを定期開催する1-54のカミ・ガヒガ(Kami Gahiga)がキュレーションした特別展示で、27名のアーティストによる31作品が紹介された。キュレーターのガヒガは、今回キュレーションしたアーティストは、2013年に始動した1-54のフェアと共に、成長してきたアーティストたちだと語る。27名の出身国はさまざまだ。

例えばガーナからは、イブラヒム・マハマ(Ibrahim Mahama)、セルジュ・アットゥクェイ・クロッティ(Serge Attukwei Clottey)、プリンス・ジャーシー(Prince Gyasi)など、若手ながらも世界中で活躍するアーティストが参加。2022年、75作品という世界で最も多くの作品をオークションで売却した、コートジボワール出身のアブージャ(Aboudia)の作品もあった。またベテラン勢では、スーダンの画家イブラヒム・エル・サラヒ(Ibrahim el-Salahi)、20世紀に活躍したマリの写真家、セイドゥ・ケイタ(Seydou Keïta)、同じくマリ出身のアブドゥライ・コナテ(Abdoulaye Konaté)の作品も見ることができた。1-54のロンドン開催のフェアとは比べものにならないほどの、小規模の展示ではあったが、現代アフリカンアートの超入門編としては楽しめる内容であった。

一方で、アートバーゼルの会場でもいくつか作品を見ることができた。アフリカ大陸からのギャラリーとしては、ガーナの1957、南アフリカのSMAC、チュニジアの Selma Feriani Galleryが参加。ガーナのクゥエシ・ボッチウェイ(Kwesi Botchway)、南アフリカのナビーハ・モハメド(Nabeeha Mohamed)やボノロ・カヴラ(Bonolo Kavula)、ジンバブエのウォレン・マポデラ(Wallen Mapondera)、モロッコのムバレク・ブーチチ(M’Barek Bouhchichi)などの作品が紹介された。他、アフリカン系作家に特化しないギャラリーでも、ガーナ出身のエル・アナツイ(El Anatsui)のタペストリーや、ナイジェリア出身のインカ・ショニバレ(Yinka Shonibare)やアリミ・アデワレ(Alimi Adewale)の作品を見ることができた。香港でコンテンポラリー・アフリカン・アートを扱う、Pearl Lamギャラリーのギャラリストは、今、アジアの市場でもアフリカンアートへの人気が高まっているという。同ギャラリーは、アートバーゼルの出展会場だけでなく、市内のギャラリーでも、ガーナのジェームズ・ミシオ(James Mishio)、アブドゥル・ラーマン・ムハンマド(Abdur Rahman Muhammad)、エマニュエル・クァク・ヤロ(Emmanuel kwaku yaro)、ナイジェリアのデボラ・セグン (Deborah Segun)による合同展示を開催していた。

アジア文化の力強さ感じさせるアート空間での出会い

最後に紹介するのが、香港出身のエクスペリメンタル・アーティスト、カレン・チャン(Karen Chan / Chun Kalun/ 陳家倫)は、かつて香港の都市の景観において象徴的な存在であった、ネオンを媒体にした作品を展開する。男性が中心の香港のネオン工芸業界において、彼女はその技術を教えてくれるマスターを探し、その技術を習得した。新しいインサイトを獲得するために、ニューヨークや東京を訪れ、ネオンアートに取り組む人々との繋がりを作ったという。昨年の香港アートバーゼルでも、『Light As Air』というネオンのインスタレーションを展開したチャンは、今年はアートバーゼルのメインスポンサーであるUBSのコミッションアーティストの1人に選ばれ、香港アートバーゼルの2つのロケーションで作品を展開した。

コミッション作品のテーマは香港。コンセプトを考えるにあたって、彼女は香港の様々なカルチャーを思い浮かべたが、最終的に行き着いたのが、こうしたカルチャーの背後には、それらを存続させるために一生懸命働いている人々がいるという事実だという。一生懸命働き、困難を乗り越え、国際金融の中心地として香港経済を発展させた香港の人々の在り方。それこそが香港の真髄であり、ライオンロック(香港獅子山)の精神なのだ。このコンセプトに基づき、チャンは香港の歌手、ロマン・タム(Roman Tam/羅文)の『Below the Lion Rock” (中国語: 獅子山下)』の歌の一説にインスピレーションを受けて、ライオンロックとそれぞれ朝日・夕陽をモチーフにした一対のネオン作品を制作した。ネオンサインというと、派手な光を放っているというイメージがあるが、彼女の造形はミニマルで、かつ作品全体がガーゼで覆われているために、ネオンは柔らかな光を放っていた。

チャンは、フランスの高等専門学校のような機関でネオン工芸のディプロマを取得するために現在に留学中。帰国後は、香港のネオン工芸に関する政策提言に携わりたいという思いがあるそうだ。

Evening Sun on Lion Rock, 2024, Chankalun ©CeeKayEllo (CKL)

筆者は欧州の文脈において、もしくは欧州を中心としたパラダイムを前提として、現代アフリカンアートなど、歴史的に見落とされてきた視点や作品に注目し、それらがオルタナティブからメインストリームになりつつある動向を追ってきた。だからこそ、香港アートバーゼルは周辺化された存在ではなく中心的な存在としてのアジア圏のカルチャーを強く感じることができたという意味において、新鮮な体験となった。アジアのアーティストたちが、それぞれの文化やルーツを誇らしく、かつ堂々と表現している点も印象的で、ポップアート風の作品に混じって、書道や工芸的な作品など、アジアの伝統文化を感じされる作品も目に留まった。香港議会ではアートバーゼル直前の3月19日に、国家安全条例案が可決。アート表現の自由が侵されるという懸念もある。しかしながら、アートウィークの香港には、こうした暗いニュースを払拭するかのようなポジティブなエネルギーが溢れていた。アジアのアートカルチャーとそのエネルギーが、今後ますます世界に広がっていくことで、地域のダイナミズムが変化し、より良い方向に向かっていくような未来の訪れに期待したい。


Photo by Maki Nakata(一部提供)

Maki Nakata

Asian Afrofuturist
アフリカ視点の発信とアドバイザリーを行う。アフリカ・欧州を中心に世界各都市を訪問し、主にクリエイティブ業界の取材、協業、コンセプトデザインなども手がける。『WIRED』日本版、『NEUT』『AXIS』『Forbes Japan』『Business Insider Japan』『Nataal』などで執筆を行う。IG: @maki8383