今年5月開幕した第18回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展(La Biennale di Venezia: The 18th International Architecture Exhibition、以下:ビエンナーレ)が、11月26日に閉幕する。今回のビエンナーレは、アフリカ系の建築家に初めてスポットライトが当てられた。本記事では、現地視察を経たインサイトをレポートする。

Photo by Jacopo Salvi

「未来の実験室」

今年のビエンナーレのキュレーターは、ガーナ系スコットランド人のレズリー・ロッコ(Lesley Lokko)。掲げられたテーマは、未来の実験室(The Laboratory of the Future)で、未来を考える上で重要なキーワードとして掲げられたのが、“変化の担い手(agents of change)”だ。ロッコは、建築家であり、教育者であり、フィクション作家でもある。彼女は、これまでのキャリアにおいても、アフリカからの視点の提示あるいは脱植民地化のナラティブを推進してきた人物で、今回のビエンナーレのキュレーションは、そのナラティブをさらに拡張させたものだ。ビエンナーレにおける重要な問いは、来るべき未来において、アフリカ人が語る「変化」の物語とは一体何なのかということである。

Lesley Lokkoさん
Photo by Andrea Avezù, Courtesy of La Biennale di Venezia

ビエンナーレのキュレーションにあたっての声明文で、ロッコは次のように述べている。

「建築展は瞬間でありプロセスでもある。その構成や形式は美術展から借りているが、往々にして気づかれることのない重大な点において美術展とは異なる。ストーリーを語りたいという願望とは別に、生産、資源、表現に関する課題提起は、建築展の表現方法の中心でありながら、認識されたり議論されたりすることはほとんどない。(中略)おそらく最も重要なことは、私たち(アフリカ系)の言うことが、“他の人たち”の言うこととどのように相互作用し、浸透していくのかということである。そうすることによって、展覧会をひとつの物語ではなく、その時代の問題に反応するすべての声である、アイデア、文脈、願望、意味を持った、厄介かつ華麗な万華鏡を反映した複数の物語として成立させる必要があるのだ」

なぜ、いまアフリカ系の視点が重要なのか。それは国際建築展という文脈において、これまでアフリカ系が主体となって、物語を伝えるということがなかったからである。その意味において、これまでの建築展は、間違っていたわけではないが、不完全なものであったとロッコは考える。未来の実験室とは、アフリカの未来であり、アフリカ人が参画する世界の未来のために存在するのだ。

アフリカを代表するプラクティショナーが集結

「未来の実験室」は6つの要素から構成される展示で、89の出展者のうち半数以上がアフリカ出身者だ。また、ジェンダーバランスは五分五分で、出展者の平均年齢は43歳。キュレーターの特別企画展においての平均年齢は37歳で、もっとも若い参加者は24歳。過去のビエンナーレと比較すると、相当「若い」建築展だ。若者がその人口を牽引するアフリカ大陸の現実が反映されたものだと考えることができるだろう。

さらに、7割の出展者が個人もしくは小さなチームであることも特徴的だ。出展者は「建築家」や「デザイナー」や「研究者」などといった呼称ではなく、「プラクティショナー(実践者)」として紹介されていたことにも、主催者側の意図と想いが込められている。「アフリカの豊かで複雑な状況と、急速にハイブリッド化する世界という両方の文脈において、”建築家”という言葉をより広範に理解する必要がある」というのがロッコの主張だ。

ビエンナーレの主要会場は、互いに程近い場所に位置するジャルディーニ(公園)とアルセナーレ(造船所および兵器工場跡)。筆者が最初に訪れた場所であり、もっとも印象的であった展示の一つが、ジャルディーニのメイン会場で展開されていた『フォース・マジュール(不可抗力)』と題された展示だ。フォース・マジュールとは、不可抗力条項を意味する法律用語で、天災や戦争など、予測困難で制御不可能な外的要因のことを指す。メイン会場の展示のためにキュレーションされた16の出展者を表現するフォース・マジュール。その意図は、彼らが過去1000年のルーツを持ち、これからの1000年を形作るブラック・アトランティックの文化が持つ、抵抗できない豊かな創造力の一例なのだ。

出展者はアフリカを代表するプラクティショナーたちだ。例えば、タンザニア生まれのガーナ系イギリス人、デイヴィッド・アジャイのアジャイ・アソシエイツ(Adjaye Associates)。フランス生まれのニジェール人、マリアム・カマラが率いるアトリエ・マソミ(atelier masōmī)、2022年に名誉あるプリツカー賞を受賞したブルキナファソ出身のフランシス・ケレのケレ・アーキテクチュア(Kéré Architecture)、コートジボワール人のイッサ・ディアバテと、ギヨーム・コフィが立ち上げたコフィ&ディアバテ・アーキテクツ(Koffi & Diabaté Architectes)、ルワンダ人のクリスチャン・ベニマナが率いるMASSデザイングループ(MASS Design Group)、ケニアのコレクティブであるケーブ・ビュロー(Cave_bureau)などの展示が並ぶ。

ここまでで紹介したのは一般的には「建築事務所」と呼ばれるグループだが、同じ空間にはガーナ人のイブラヒム・マハマや、ナイジェリア人のオラレカン・ジョイファスによる空間インスタレーションと、シカゴ出身のシアスター・ゲイツの映像作品が展開されていた。彼らは、いわゆるアーティストという肩書きで活動を展開する人々だ。

Photo by Jacopo Salvi

脱植民化と脱炭素化

フォース・マジュールの展示を理解するにあたって、筆者が考える重要な単語の一つが記憶(メモリー)だ。「未来の実験室」と題された建築展と聞くと、何か今までになかった真新しいものを作ることを想像してしまいがちだが、アフリカ系のプラクティショナーたちが提示するのは、過去(および現在)から何を記憶し、何を残し、何を取り戻すのかという建築的な視点である。土地を奪われ、文化を奪われ、尊厳を奪われた植民地主義と奴隷貿易の過去の上に存在する、アフリカ系の人々にとって、未来を作ることと、失われたものを取り戻すことは、表裏一体の脱植民地化プロセスなのだ。

Olalekan Jeyifous

Ibrahim Mahama

この表裏一体のプロセスは、脱植民地化だけでなく、気候変動に対応するための脱炭素化の実現に向けたプロセスであり、アフリカだけでなく、世界各地のプラクティショナーにとって考慮すべき点である。いまあるものをどのように活用するかというサステナビリティの視点は、もはや誰もが無視できないことだ。

実際、今回のビエンナーレのキュレーションにおいて、この脱植民地化(decolonization)と脱炭素化(decarbonization)は重要なキーワードであり、建築展におけるナショナル・パビリオンにおいても、いくつかの国の展示においては、キュレーターのメッセージが考慮されていたようだ。

例えば、ドイツのパビリオンは、『オープン・フォー・メンテナンス(意味:メンテナンス営業中)』と題された展示で、ケア、リペア、メンテナンスがテーマだ。実際の会場は、まさにメンテナンス中といった感じで、パビリオン内では物資が雑多に並び、人々が作業を進めていた。この建築パビリオンは全て2022年のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で出た廃材を活用しているとのことだ。また、ルーマニアのパビリオンでは、結局実用化に至らなかった過去の発明品が展示されていた。どちらも過去に作られたものから、新たな価値を提示するという試みだ。

一方、オーストリアのパビリオンでは、国際建築展というプラットフォームが持つ、排他性と矛盾に焦点が置かれていた。ビエンナーレのジャルディーニ会場は年々拡大し、結果として地元の住民から共有空間を奪ってきた経緯がある。オーストリアは、今回の展示では自国のパビリオンの半分を一時的に一般に開放するという案を進め、地元住民と対話してきた。最終的にその案は、ビエンナーレ主催者側から却下されたが、その経緯全体が今回のパビリオンの展示内容として示されていた。

これからの建築の担い手とは

今回のビエンナーレに対しては、「建築国際展なのに、“建築”があまりない」という批判の声もあった。実際にビエンナーレの展示では、建築モデルや図面といったわかりやすい建築の展示もあったものの、映像作品やアートインスタレーションのような展示も多かった。しかしながら、これはキュレーターのロッコが意図したものだ。批判の声の背後には、これまでの建築展における展示が欧米的な考えに基づいたものであり、コンセプトやプロセス以上に、最終的な建築物と建築家という存在に焦点が当てられてきたという状況がある。ロッコのキュレーションシップは、建築家の定義を拡張させるとともに、建築の定義を拡大するという挑戦でもある。

広義の建築は、人間が何らかの意味や目的を持って存在するための空間であり、環境である。建築は必ずしも新しく作られる人工物とも限らない。それは建築家だけが構想し、実現することはできない。ましてや、特定の国や地域の人々のみが、その役割を担うものではない。経済発展にとってインフラ(建築物)の構築は不可欠なものであるが、これからのインフラは一部の人々が担う中央集権的な大規模なプロジェクトではなく、より分散化された小規模なプロジェクトへと移行していく必要があるのかもしれない。

Photo by Andrea Avezzù


Photo by Maki Nakata(一部提供)

Maki Nakata

Asian Afrofuturist
アフリカ視点の発信とアドバイザリーを行う。アフリカ・欧州を中心に世界各都市を訪問し、主にクリエイティブ業界の取材、協業、コンセプトデザインなども手がける。『WIRED』日本版、『NEUT』『AXIS』『Forbes Japan』『Business Insider Japan』『Nataal』などで執筆を行う。IG: @maki8383