2021年5月、パリにオープンした現代美術館「ブルス・ドゥ・コメルス」は、実業家フランソワ・ピノー氏のコレクションを展示する場所。安藤忠雄が内部を改装したこの歴史的建造物は、パリの新名所になっている。同館で7か月に渡って開催された展覧会「嵐の前に(Avant l’orage)」に行ってきた。
約15人のアーティストによる今回の展覧会は、環境をテーマにした作品が館内全体に散りばめられた。自然破壊を代償に便利さや豊かさを手にしてきた人間は、気候変動という緊急事態の真只中で生活している。本展タイトルの「嵐」は、環境が取り返しのつかないレベルまで破壊されることを意味しているのだろう。
その嵐がやってくる前に、自然、季節、人間、時間を表現する斬新な作品を鑑賞し、自然と人間のあり方にじっくりと向かい合ってみてほしいという企画だった。広報担当者に尋ねたところ、気候変動について包括的に展覧会を行うのは同館がオープンして以降初めてだという。作品は様々なメディアが使われている。木を使ったり木を描写したものが多く見られたので、それらを紹介しよう。
1階の円型ホールが巨大な温室に変化した。フランスの森で暴風雨に遭った樫の木の幹が四方に広がっている。Danh Voが手掛けたこの作品は、大木がまだ生きていて、今後も進化を続けていく印象を与える。気候変動でダメージを受けた自然でも、今から保護すれば再生可能だ、という前向きなメッセージを送っているのか。
Danh Voは、今、世界で注目されているアーティストだ。4才の時に父親が作ったボートに乗り、故郷ベトナムからデンマークに移住した生い立ちをもつ。彼は作品を通して、アイデンティティ、歴史、遺物、文化的価値といったテーマを探る。アイデンティティや歴史に対しての私たちの思い込みに気づかせるようなコンテンポラリーアートだ。2017年からベルリン近郊の農場芸術複合施設(元は農家)で生活しており、草花や木々、その相互関係が彼の創作において重要なエレメントになったという。2020年、Danh Vo は日本で初めて個展を開催した。
ギャラリー2の部屋には、四季と結び付いたTacita Deanの作品が並べられた。黒板に描いた白いチョーク画(冬と夏を思い起こさせる氷河の画)、写真(春および秋の作品。秋を意味するのは、スロープとして使用されていた金属板の磨耗を写し取り、手を加えた作品)、絵葉書(夏の思い出を、古いハガキに多彩な色で象徴的に描いた)はどれも趣向が違い、面白い。
春と関連している巨大な桜の写真2枚は、彼女が日本を訪れて撮影した。花が濃いピンク色の桜「Sakura(Taki I)」(2022年、348㎝×500㎝)は、福島にある。樹齢は千年。花も背景も薄いピンク色の桜「Sakura(Jindai I)」(2023年、296㎝×382㎝)は、山梨県・実相寺の山高神代桜。推定樹齢2千年とされる日本最古の桜だ。2枚とも、木と花の存在感を引き立たせるため、細心の注意を払って輪郭に色鉛筆で色を加えた。
桜の花が毎春咲くことは、生命が循環していることを意味する。Tacita Deanは、これらの桜が手入れを受けて生き続けていることを賞賛している。また、桜が気候変動の影響を受けているというメッセージも伝えている。
鑑賞者に背面を向けた状態で、壁にかけられた男性用ジャケット。そこにある四角い窓をのぞくと、本物の水が流れる、木の枝が混じった岩壁がある。ありふれた都会の生活を象徴するジャケットも、大自然の風景が浮かんでくるような岩壁も現実の世界にあるものなのに、2つが融合した状態だと、見る人は当惑する。ジャケットの中には肉体が描かれていると思うからだ。
作者のRobert Goberは、この作品で既成の秩序(正しいとされている視点)を壊し、内側と外側の境界線をなくそうと試みた。私たちの身体には、こんなオアシスが存在しているのかもしれない。この作品は「人間と自然との関係を見つめ直してみよう」という探求でもあり、「私たちの身体とアイデンティティは曖昧ではないか」という問いかけでもある。
ベトナム・ホーチミン出身のThu-Van Tranは、イギリスやフランスでデザインやアートを学び、パリを拠点に活躍している。2歳の時、難民としてフランスにやってきた彼女は、ベトナム戦争や、自分の家族の歴史を考えずに生きることはできない。彼女は、社会から悪影響を受けた身体、空間、想像力をテーマに作品を作っている。また、作家の言葉に触発された作品も手掛けている。
この作品は、ベトナム戦争でアメリカ軍が散布した枯れ葉剤(猛毒のダイオキシン)の色を描いた。枯れ葉剤は、自然や人々に多大な被害を与えた。灰色は、何層も重なり合っているイメージで描かれている。白でも黒でもない曖昧な灰色は、ベトナムの歴史の多義性も表現している。
傍らに飾られたランプ2点は、Alina Szapocznikowの作品。
スペイン生まれのDaniel Steegmann Mangranéは、生物学、植物学、昆虫学が大好きで、生物学者か植物学者になりたかったという。ブラジル・リオデジャネイロ(熱帯林の近く)に住んでいるのは、彼の芸術の中心的なテーマが「自然界」であるため。
ギャラリー6の部屋には、Cy Twomblyの絵とDaniel Steegmann Mangranéの植物を使った作品が一緒に展示されていた。
3本の黒い紐の間に固定された「Geometric Nature」はパーフェロー(別名ブラジリアンローズウッド)の枝を半分に割り、ゴム紐でつないだ作品。「Espaço Avenca」はシダの枝を反転させて上下に連ねた。「Elegancia y Renuncia」は、乾燥した1枚の葉を金属の台で支えた作品。この空間には、天井から床までの長さの細長い棒状のLEDランプ数本「Breathing Lines」が置かれていた。ランプは、常時流れている笛の音や鑑賞者の存在に反応して光る。Daniel Steegmann Mangranéはこれらの作品で、生態の複雑さを究極にシンプルな形で示して自然の美しさを強調しつつ、それらが非常に壊れやすいことを表現している。作品には環境破壊への懸念も反映されている。私たちは直ちに環境を守る行動を取るべきだ、と訴えているのだ。
地平線を描いたLucas Arruda(ブラジル生まれ)の風景画は、微妙な光の表現が特徴的で、抽象画のようだ。時々、ジャングルが描かれる。これらは彼の記憶を基に描いた。作品の重要なエレメントは光で、最終的に出来上がった絵には「抽象でも具象でもない空間が生まれる」とLucas Arrudaは語る。ロマンティックだが、怖い雰囲気も漂うと感じるのは筆者だけだろうか。地球環境が今以上に深刻に汚染されれば、作品のような混沌とした色の世界になってしまうかもしれないと想像が膨らんだ。
作品は、いずれも個性的で素晴らしかった。各部屋とも展示数が抑えられ、何もない空間がたっぷりと取ってあったことに気づいた。空間は「あなたには、気候変動について積極的に考える余地はありますか」という心の余裕、そして「気候変動について考える時間を取っていますか」という時間的余裕について、鑑賞者に問いかけているようだった。
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「Avan l’orage」
Photos other than press images: by Satomi Iwasawa with permission of la Bourse de Commerce — Pinault Collection
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Photos by Satomi Iwasawa (一部提供)
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岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/