スイスのチューリヒ中央駅から電車で約30分のレンツブルク駅に降り立つと、黒い木造の新しい文化施設(博物館)、シュタプファーハウス(Stapferhaus)が見える。60年以上前に別の場所に設立され、2018年にここに移転した。
シュタプファーハウスが初めて展示を催したのは1994年で、テーマは「アンネ・フランクと私たち」だった。10年ほど前からは「決断(選択して決める)」「お金」「フェイク」「ジェンダー」といった時事的に重要なテーマを取り上げ、映像やオブジェ、音で情報を楽しみ、展示品にふれる体験型のイベントを開催している。内部のスペースは各展示に合わせてデザインするため、毎回、趣はがらりと変わる。ディスプレイに創意工夫がこらされ、洗練された建物は美術館や劇場の雰囲気も醸し出す。さながら小さいアート&デザインフェアのようだ。
個性的な展示とフレキシブルな建築への評価は高く、2020年の「年間最優秀ヨーロッパ美術館・博物館賞」(The European Museum of the Year Award )に輝いたほか、数々の賞やノミネートを受けている。
現在開催中の「自然。そして私たちは? (Nature. And us?)」展も、最初から最後まですべてが詩的な空間に作り上げられ、驚きの連続だ。人間と自然との関係は、私たちの今と将来に密接に結び付いている。本展では、人間ではなく自然がもっと多くの権利を持っているとしたら? 自然がこれまで想定していたものとはまったく異なるものだとしたら?という視点から、地球における人間の位置付けを考えてみよう、と提案する。訪れた人たちは自分の今の価値観(どういうふうに自然を見たり扱ったりしているか)に気付かされ、自然を救うためのより良い手段について考えたくなるだろう。
「気候変動にどう対処すべきか」という課題の答えは、簡単ではない。本展のねらいは、正しい回答を提示することではなく、様々な選択肢を見せること。答えは、訪問者自身が見つけていくのだ。
エントランス ~ 手や足で感じる自然
展示のタイトル「Nature. And us?」が書かれたフェルト製の大きな扉をくぐり抜けると、砂場が広がっている。訪問者は靴を脱ぎ、裸足で砂を感じる。人間が大地で生活し、大地とつながっていることは普段は忘れられがちだ。ここで砂を踏みしめ、手でふれることで、大地とのつながりを改めて感じることができる。
砂というと公園の砂場やビーチなど、“遊ぶこと”と関連付けたくなるが、砂はコンクリートやガラスの材料となる自然素材であり、人間の生活に欠かせない物質であることも忘れるべきではない。また、砂という物質の不安定な性質は、自然環境の変化を象徴している。
では、ぐるりと回ってここへ戻ってくるまで、裸足のままで進んでいこう。
動植物のコレクションを芸術的に配置
次の部屋には、植物や動物の標本が並んでいる。サイズの違う木箱や棚が縦にも横にも広がり、静止しているのに空間全体に動きが感じられ、印象的だ。
標本は、これまで人間が自然に対してどういう感情を抱き、自然をどのように扱ってきたかという観点で「調査研究」「脅威」「征服」「保護」「分類」「販売」の6つに分けられ、6か所に展示されている。人間は時には自然に驚異を感じ、時には自然を征服し、あるいは保護したりと、時代時代で異なる態度で接してきた。それらの行動の背景に、その時代の文化がどのように影響していたかについても説明している。
メインの展示室~デザインと情報が舞う「神秘的な森」
メインの展示室はたくさんの情報が詰まった空間だ。道順も会場レイアウトも示されていない。自分で空間を探っていく構成が、小さい森を自由に歩き回っている気分にさせた。
まず目を引くのは、中央エリアで光る世界各地の俯瞰写真のパネル群。寒色系・暖色系の長方形のパネルは七夕の短冊を思い起こさせ、少し離れて全体を見ても、横から下の部分を見ても、色の重なりが美しい。空間の随所に透明なカーテンが吊るされており、花や鳥や食べ物などの像がカーテンに映され、パネルとの重なりも楽しめる。ここは「データで知る環境問題」のエリアで、パネルの裏には図や文章が描かれ、食料、衣料、エネルギー、ごみ、CO2など人間が自然に与えているインパクトについて学ぶことができる。ソファーがあり、座って、情報をじっくり読むことができた。
中央エリアの周囲には小さいパビリオンが8つあり、「特定の植物や動物に焦点を当てた展示」が見られる。舞台美術家(セノグラファー)チームが関わっただけあり、どのパビリオンも面白い構造で見応えがあった。
パビリオン「石のコレクション」:小石が床一面に敷かれ、400個の石が壁一面にディスプレイされている。石は透明なプレートに置かれ、下から見ても石の形状を楽しめる。石の長い歴史や石が持つ不思議なエネルギーに浸れる。
パビリオン「権利を勝ち取った川」:空中に設置された何台ものスライド映写機が、彫刻のようにも見える。壁に写真がかわるがわる投影され、室内には川の音が流れている。この部屋ではカリブ海につながる、コロンビアのアトラト川流域の様子を知ることができる。アトラト川では、違法な森林伐採や金採掘により汚染が深刻化した。先住民たちが訴訟を起こし、2017年、裁判所はアトラト川に生物的、文化的な権利があると認め、川を保護する責任は国にあるとした。川に保護権が認められることは珍しく、アトラト川は世界で3番目に権利を勝ち取った川となった。
パビリオン「植物のコミュニケーション」:この部屋では、脳も神経もない植物が環境とダイナミックに関わっている様子を可視化している。植物は静的に見えるが、光や重力に反応し、臭いを認識し、香りや色を使ってほかの生物とコミュニケーションする。訪問者が部屋の中央にあるバジルの植木の葉にふれると、葉の側の反応が即座に上部のモニターに映し出される。
そのほか、30個の穴が壁に散らばる微生物のパビリオン(顕微鏡をのぞくように穴をのぞくと、1つの穴の奥に1種類ずつ細菌やウイルスが見える)や、菌糸体のネットワークを説明したキノコのパビリオンでは、人間が目に見えないものと共生していることに気付かされる。
キツネの行動をキツネの目線を追うパビリオンや、飼い主が犬との関係を語るパビリオンでは、動物の側に立って動物の視点を想像するひと時を過ごせる。
ロボット(ロボット芝刈りやロボット犬)と自然の関係のパビリオンでは、テクノロジーついて考える。人間が快適に暮らすために活用しているテクノロジーにも限界があり、どこまで活用するべきかという課題に目を向けることになる。
メインの展示室には、巨大画面とベンチ、ヘッドセットのスペースも設けられている。ここでは、森林総合監理士、シャーマン、心理学者、都市部の鳩の問題に従事する人など、いろいろな職業の人たちがそれぞれの立場から語る「自然に対する思い」を聞くことができる。
細かい部分にも、デザインのこだわり
最後の部屋では、テクノロジー好き、ホリスティックな考え方の人、環境問題に詳しい人、環境問題に無関心な人の4人による、環境にまつわる討論の動画が映し出される。訪問者は異なる意見を聞くことで、自分は誰の考え方に近いか気付くはず。
アクティビティは、もう1つ用意されている。壁の随所に「世界における人間の役割とは?」「キノコからCO2ニュートラルな飛行機燃料を生産できたら?」といった質問が書かれ、4人の討論ビデオの途中にも質問を投げかけられるので、訪問者は自分の意見に1番合う選択肢を選んでいく。ツールは、肩にかけておいた紐のついたディスクだ。ディスクで選択肢をタッチすると、出口で、選んだ答えの一覧がプリントされて出てくる。それを見ると、環境に対する自分の価値観がわかる仕組みだ。
4人の討論者の服装に統一感をもたせ、ディスクの紐を色違いにし、出口はスポンジの道を敷いて照らす。そんな細かい部分でのデザインの工夫にも心が和んだ。
日本でもこうした展示があったら、きっと注目を集めるに違いない。
—
The Stapferhaus 「Nature. And us?」
2023年10月29日まで開催
—
Photos by Satomi Iwasawa
—
岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/