エッフェル塔や凱旋門と並んでパリで必見のモニュメントといえば、モンマルトルの高台に建つ白いサクレクール寺院。ピカソやゴッホ、ルノワールなど著名な画家たちが住み、愛したこの界隈は、今もアートの色濃い香りに包まれている。今春、この街のギャラリー、アトリエ・ヴェロンに普段あまり見かけない作品が並び、通りかかった人たちを驚かせた。派手な色遣いや巨大なサイズで人目を引いたのではない。それとは反対に、作品は素朴で、手のひらに収まるような非常に小さい人形の数々だ。
作家はフレデリック・ボーシャン(Frederic Beauchamp 1970年生まれ)。アーティストとして本格的にデビューを切ったばかりのパリジャンだ。草花、石、昆虫など、作品の素材を森や海から拾い集めている点、各作品のシーンの面白さに魅了されたのは筆者だけではなかった。展示品は瞬く間に売れ、なかには「この作品は、自分のために作られたようだ」と感激して購入した国外観光客もいたという。
フレデリックは25年前にパリでグループ展に出展して以降、趣味的に制作を継続していた。2023年は年頭から展示会での披露・販売が続き、先日も別の展示を終えたばかり。今年後半にも展示を控えている。さらに声がかかりそうだと波に乗ったフレデリックに、作品が生まれる秘密を聞いてみた。
あるシーンを表現した、小さいサイズのアート
10匹の蜂から逃げる人を描写した「食通(Le gourmet)」、指揮者と歌唱者たち(コーラス)を表現した「精神の交わり(La communion des esprits)」、狭い場所に押し込まれた6人の顔が見える「追放(exil)」など、精巧な作品の数々に感動すら覚えます。これほど小さいサイズでも、手で作っているのですよね?
手作業で、パーツを瞬間接着剤的なしっかりしたものでくっつけていくことを繰り返しています。目を入れるときはピンセットを使いますが。拡大鏡は使わないです。幸い、細かい部分もしっかりと裸眼で見えます(笑)
小さいサイズだと注目を浴びるから、という狙いもあるのでしょうか?
このサイズ感が自分の中でしっくりするので、作品がとても小さいという感覚はないんです。僕の中では、これらが普通のサイズです。5、6歳のころに描いた絵が最近見つかって、当時のことはあまり覚えていなかったのですが、すでにミニサイズの人物をたくさん描いていました。僕が大好きな画家の一人、ヒエロニムス・ボッシュ(1450-1516)は大型の絵でもすごく小さい人物を描いたりしていて、そういう微細な部分にとても惹かれるので、やはり極小サイズが僕のスタンダードですね。
ただ、小石やサクランボの種など、どこでも誰でも見つけられるものを敢えて選ぶことによって、そこに注目してもらおうとの意図はありますね。道で見かける何百何千の小石もすべて唯一無二で、マスタードの粒やお米も、よく見ると本当に1つ1つ形が違うんです。自然界に同じ形のものはないという気づきは、大事なことだと思っています。
ヨーロッパでは、小ささを極めている作品はあまり見かけません。日本では、ミニチュアはよくありますが。
「ミニチュア」は、世の中に存在するものを縮小した表現で、風景や鉄道を小さい人物や建物と組み合わせて立体的に表現したジオラマとか、映画のワンシーンで使うセットの縮小だったり、ヨーロッパでは最近はサッカーの試合の様子を表現した作品をよく見かけますね。僕の作品は実存するモデルを小さくしているのではなく、自然の素材のサイズそのものを生かして作っているので、ミニチュアではありません。「ミニサイズのアート」ですね。
大ヒットのフランス映画「アメリ」の監督も、作品に一目惚れ
世界的にヒットしたフランス映画「アメリ」の監督、ジャン=ピエール・ジュネ氏も展示を訪れて購入したと聞きました。面識はあったのですか?
いいえ、お会いしたことはありませんでした。監督のご友人が展示のオープニングパーティーにいらしていて、監督に電話して僕の作品のことを話してくれて。それで、監督がすぐに足を運んでくださったんです。5点を即購入してくださいました。
監督は木や乾燥させた果物などでキャラクターを作って、自然を舞台にしてそれらを動かして短編映画(アニメーション)も制作しています。人形の作り方は僕ととても似ていますね。制作についての質問をたくさん受けましたが、監督が1番驚いていたのは、僕が演劇のワンシーンをキャッチしたようなものを作っているというか、この世に存在しない空間を作り上げるというか、シュルレアリスム(超現実主義)のような世界を繰り広げている点ですね。監督は、人形を使った物語をリアルな感覚で描いていらっしゃるので。
気さくな方で、監督が集めているアート・コレクションも見させていただいたんですよ。有名なアーティストのものもあって。僕の作品もそこに加わることができて、光栄です。
素材はすべて、自然界の恵み
シュルレアリスムのような世界観は、シーンの意味とともに、素材がかもし出している部分も大きいですよね。
そう思います。使っている植物も動物も同じ種類で統一するのではなく、様々なものを組み合わせているので、おのずと得体の知れないものになっていくのだと思います。ギリシャ神話にキマイラ(キメラ)と呼ばれる怪物が登場するのですが、これは様々な動物の体の部分をもつ生き物です。そんな世の中に存在しないような生き物を作るのが、僕のスタイルですね。たとえば、自分で特に気に入っている作品は「食通(Le gourmet)」ですが、右側の人物は頭は果物、目は種、マントは落ち葉1枚、手は鳥の骨、脚は果実、足はネズミのような小さい動物の骨で作りました。
各作品に見えない糸が張られているようで、ある種の緊張感が漂っています。
バランスや協調性を考えているからでしょうね。違う素材同士を接着すると、調和が取れるかどうかという大きな課題が生じます。いろいろやっていると、バランスが見事に取れる瞬間が見つかるんです。まるでアクロバットの技が決まった瞬間のようです。
素材を購入することはないのですか?
気になるものは何でも、いつか使えるかなと思って保管しています。何年も保管しているものもあります。大体、地面に落ちているものなどですね。友人の家にあった古いバラの枝をもらってきて、そのトゲも使っています。そうやって自分で見つけたり、地方に住んでいる友人が送ってくれるので、買う必要はありません。こうした自然の素材は風や水や土にふれて、いつかは自然に還ってしまう儚いものです。または、握ったら、壊れてしまうものです。それを僕がそのままの姿で残していけるというアプローチは面白いと思っています(ただし、素材をカットして形態を変えることはある)。
作品の色は、あせないでしょうか?
すべて、自然に乾燥しきったものなので、色が大きく変化することはないはずです。
素材から、アイデアがおのずと見えてくる
作品のシーンは、どういうふうに浮かぶのですか?
ストーリーからではなく、素材にふれながらキャラクター作りから入っていきます。キャラクターのためのデッサンはしません。一体一体のキャラクターが出来上がったところで、それぞれの相性を見ていくと、自然にストーリーが思いつくのです。ストーリーが生まれたら、どう配置して見せていくか、ちょうどいいバランスをじっくり考えてデッサンします。素材を見ながら素材と素材の出合いを僕が解釈するというか、即興のスタイルに近いですね。
完成した作品はストーリーの一瞬を切り取ったワンシーンですが、静止しているオブジェなのに動きが感じられることも多く、作りながら楽しんでいます。
ストーリーについて、今後の方向性を考えていますか?
作品はどの年代の方にも気に入っていただいていますが、これからはもっと、経験や知識や感情のひだが多い大人だからこそ理解できたり共感できるような表現にするよう工夫していきたいと思っています。今もそれを目指していますが、キャラクター同士が作り出す世界観によって大人が普段あまり気付かずにいる思いを、より強く引き出せたらいいなと。
各作品の世界観といえば、鑑賞する人によって解釈は多少変わってきますよね?
まったく違いますね。展示会では、僕が考えたストーリーについては、みなさんにあまり語らないようにしていて、見てくださった方が考えたストーリーを聞いてみると、それぞれの感性がとらえたそれぞれのストーリーが生まれるんですね。それは興味深いです。例を挙げると「精神の交わり(La communion des esprits)」は、僕自身としてはコーラスのシーンを描いたのですが、モーツァルトのオペラ「魔笛」の中のシーンに見える人もいます。
作品を写真でも見せて、もっと楽しませる
奥様がフォトグラファーで、各作品を撮影して、拡大して見せていますね。
鑑賞者が写真を見ることによって、作品の細部がわかるのはいいですね。ミクロをマクロで撮影することで、肉眼では見えにくかった人形に様々な表情があることが伝わります。
僕の作品を写真で見ることは、肉眼では見えにくかったり見えなかったりするもの、たとえば空に散らばる星や体内の細胞のように極小のものが確かに存在して、地球とか宇宙という空間の中ですべてがつながっていることにも気づかせてくれます。小さい点ほどのサイズが、写真で無限に拡大できるのは面白いですね。
写真は自分のためにも大切です。作品が売れると僕の手元にはなくなるので、写真だと記録として残しておけますから。それと、これらの写真をまとめて将来的に出版するとか、僕のアート史を公開できる可能性も広がりました。
作品のアイデアについて、2人で話すことはありますか?
2人でオペラや演劇を見に行くのが好きで、一緒に見て話していると、次の作品の演出の光(作品の見せ方)などが思いつくことがあります。そういったアイデアを見つけるのも、コラボレーションですね。
「人生は短い」から、やりたいことをやる
アニメ作りの仕事をしていたと伺いましたが、アーティストとして独立しようと思ったきっかけを教えてください。
きっかけは、いくつかありますね。子どものころからデッサンが好きで人物を描くのが得意だったこともあり、アートの勉強をして、アニメーションの仕事に就きました。アニメ制作は結構ハードで、長編になると一年間働き尽くめのリズムで働いたりして、自分自身のクリエーションに磨きをかけていくところまでは考える余裕がありませんでした。でも、アニメ業界はプロの画家を始め才能あるクリエーターたちが集合している世界なので、そこで出会った人たちに影響を受けて、いつか自分も1人のアーティストとして作品を発表していきたいという気持ちは湧いていました。
新型コロナウイルス感染拡大は転機だったと思います。アニメの仕事が一時中断して時間ができたことで、自分の作品作りに意欲的になれました。ちょうどコロナ禍のときに、子育てが少し落ち着いたことも、制作に向き合う流れを作ったと思います。
その時期に亡くなった大切な友人たちの言葉にも、背中を押されました。とりわけ「人生は人が想像するよりも短いから、やりたいことは、今やったほうがいい」という言葉に。僕は20年以上前からこのミニサイズのアートの作品を作っていて、個展を開いたこともあるのですが、仕事が忙しくて手をつけることができなかった時期がありました。そんなとき、友人の闘病生活を見たのです。回復の見込みがなくて、寄り添うことしかできませんでした。彼のメッセージは強く心に残って、僕が今やるべきことはアーティスト活動だ、ミニサイズのアート作品に打ち込むことだと思って、制作活動に集中し始めました。
アーティストとしては遅いデビューですが、いろいろと経験を積んできましたし、今の年齢だからよかったのかもしれません。
今後の抱負を、ひと言。
僕の作品をみなさんがとても喜んでくださって、購入もしてもらえることがはっきりわかり、とても励みになっています。新しいアイデアもあって、趣向が違う作品(ランプを取り入れる)も作っている最中ですし、オーダーメイドも受け付けています。近いうちに、アートサロンにもぜひ出展したいと思っています。
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Frederic Beauchamp
Instagram: fredericbeauchamp.art
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Photos by Sumiyo IDA, Photographer
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岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/