パリのアニエスベーの文化複合施設ラ・ファブ(La Fab.)で4月末まで開催されたグループ展、「現代のバシュラール」を訪れた。バシュラールとはフランスの哲学者、ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard 1884‐1962年)のこと。本展は彼の没後60周年記念だった。バシュラールの思想と関連した作品を紹介し、私たちが世界をより良く生きるために、世界をどうとらえ、どう想像していったらいいかを示してくれた。

バシュラールは科学の分野の哲学者だが、科学とは相反しているような詩(芸術)の分野で、「人間は土・水・火・気(空気や風)の四元素(四物質)によって詩的なイメージを抱く」という論理を展開した。

東洋(中国)医学に応用された土・水・火・木・金の5つの要素が自然界の物質の性質を表すという「五行説」は、聞いたことがある人もいるだろう。古代ギリシャでも同じような考え方が生まれ、ギリシャの哲学者たちは土・水・火・気が宇宙の「四元素」(または熱・冷・湿・乾で示す四性質)だと唱えたのだ。四元素は錬金術や医学や化学に発展していった。この四元素を想像力(イメージの世界)と結びつけて考えたのが、バシュラールだ。

ごく簡単に言うと、バシュラールは想像力を2つの想像力に分けた。1つは、新しいもの見て、その新奇性からいろいろとイメージをわかせることで「形式的想像力」という。これは、多くの人が使っている一般的な想像力で、作品などの形から想起されるイメージだ。もう1つは、事物に沈んでいて見えにくいかもしれない、永遠に存在している元素(物質)から直接イメージが浮かぶことで「物質的想像力」と呼んだ。元素は変形されたり分割されていたとしても、元素として存在しているという考え方だ(『空間の詩学』ガストン・バシュラール/岩村行雄・訳、2002年、筑摩書房 の430ページ参照)。

たとえばゴールドをあしらった豪華な洋食器を見て、高級レストランでの食事やおとぎの国を想像するのは形式的想像力、素材の土(石)や窯の炎などに思いを巡らせ、肥沃な土壌の作物、作家の情熱といった想像をするのが物質的想像力ということだろう。

バシュラールは、日本では一般的には馴染みがない。一方、フランスでは今でも、高校の哲学の授業で扱われる哲学者たちのリストに挙げられているし、フランスを含めたヨーロッパの国々の芸術の分野で重視されている。特に多くのビジュアルアーティストにとっては、バシュラールの著作はインスピレーションの源だという。パリの学校で写真を学んだ筆者の知人も、バシュラールの思想を使って作品を作るという課題があったと話していた。

最近では、いくつかのEUの国々が、四元素に関連する神話、伝説、物語をeラーニング教材として提供し、大人たちが英語と無形文化遺産を学べるプロジェクトを実施した。現在は第2弾として、芸術、創造性、創造的思考に焦点を当てた「フォー・エレメンツ・イン・アーツ」プロジェクトが進行している。これらのプロジェクトは、バシュラールの思想を基本としている。そこで説明されているバシュラールのエレメンツのとらえ方は、簡単にまとめると以下のようになる。

土:バシュラールは土と地下について論じ、休息する夢、根を張る夢、回復する力と結びつけている。母なる大地は母性の象徴で、同時に休息と抗いがたい危険もある。肥沃な土壌は、何かが始まったり、何かが大量に進化する場所。

水:水は、夢見るイメージがわいてくる。バシュラールは、神話や幻影が生まれる暗い水底だけでなく、儚いイメージを持つ、穏やかで濁りのない水面も高く評価している。

火と炎:素早く変化するものは、すべて火で説明できる。火は善と悪を象徴する。バシュラールの目には、火は情熱や熱意だけでなく、破壊のイメージも見える。

空気:空を飛ぶ夢、落下のイメージ、青空、星、雲、木、風、荒れ模様の天気などと関連している。

シンプルだが、気づきを与えてくれる作品

「現代のバシュラール」展で、特に印象深かった作品を紹介しよう。大きい展示ではなかったが、充足感に満たされたのは、束の間、展示会場でいつもの自分の視点を変える練習ができたからだ。

土・水・火・気を使ったパフォーマンス

動画「Cratère n°6899」

GWENDOLINE ROBIN
Cratère n°6899 cratère performance
©J.dela Torre Castro Theâtre de Liège, Liège, 2017.

ベルギーのビジュアルアーティスト兼パフォーマンスアーティスト、グウェンドリーヌ・ロビンは、20年以上に渡り、火、砂、水、土、氷、ガラスなどの素材(物質)を使って、インスタレーションやパフォーマンス、ビデオなどで「変化、変身」を表現してきた。ロビンの作品では、観察された自然現象や夢のような自然現象が描かれる。

「Cratère n°6899」は彗星が地球に衝突し、その裂け目から大量の水が放出した様子の表現で、鑑賞者は、地球上の生命の起源の時代に一気に時間旅行した気分になる。動画を見るとわかるように、ロビンはその裂け目に火や扇風機で起こした風も含めて様々な素材を加え、土や水に動きを与えた状態を鑑賞者に見せ続ける。土や水の生動感にあふれた変容に夢中にさせられるが、次第にこのパフォーマンスには限界があることもわかってくる。そして鑑賞者は、「Cratère n°6899」とは別の、自分なりの夢のような空間をイメージする。

鑑賞者は「Cratère n°6899」を通し、バシュラールの著書『水と夢』の中の言葉「人はオブジェ(作品)を使って深い夢を見るのではない。深い夢を見るためには、材料(物質)で夢を見なければならない」(L’eau et les rêves. Essai sur l’imagination de la matière [1942], Paris, José Corti, 1986.)が示すような詩的な体験ができるとしている。

人と連動する波の動画

動画「The Waves」

THIERRY KUNTZEL (1948 – 2007)
The Waves Installation interactive
Ecran de projection, capteur laser, programme informatique 2003

ティエリー・クンツェルは、フランスを代表する映像アーティスト。1980年代以降は、鑑賞者が映像に没入するようなビデオインスタレーションを中心に制作した。

展示会場の2階、囲われて暗くなったスペースに、筆者は1人だった。大画面に映っているのは砕ける波の映像「The Waves」。波の音も聞こえた。その波は特別な波には見えなかった。何をどう感じればよいのかと思いながら、ふと画面に近づいてみた。そして、仕掛けがわかった。映像の動きが遅くなったのだ。さらに近づくと、映像はモノクロになって停止し、音も止まった。今度は最初に立っていた所に戻ろうと後ろへ下がったら、映像が徐々に通常の速さに戻り、音も広がった。鑑賞者は、薄暗く憂鬱な雰囲気も醸し出す、神秘的で詩的な海(水)の世界に浸り、自分と時間との関係を考えさせられる。

この作品は見かけのシンプルさを超え、鑑賞者が動画を一時停止するかどうかを選択できる、つまり鑑賞者と動画とが相互作用する関係を作り出していて、複雑であることがわかる。このビデオインスタレーションが作られたのは20年前のこと。革新的な作品だったという。

木目で泳ぐ人の絵

SANDRINE ESTRADE
Parquet liquide
Impression pigmentaire sur papier Hahnemhule photo rag 308g
40 x 50 cm  2020

サンドリーヌ・エストラーダは、パレイドリア現象を基本にして作品を作り続けているアーティストだ。パレイドリアは、たとえば月の模様にウサギの姿が見える、岩の割れ目が顔に見えるなど、視覚で受け取ったものに自分がよく知っているイメージを反映する現象(聴覚刺激の場合は、メッセージが聞こえたりする)。この現象で世界観が豊かになったり、世界が一変したりする。

この作品は、寄木細工の床の木目を渦巻く水辺の風景として見立て、泳ぐ人を潜らせることで、夢のような世界を展開している。

ロウソクの炎による影絵

CHRISTIAN BOLTANSKI 
Ombres, les bougies
Bougies, portants métalliques, figurines
90 x 180 1987
Photographie (c) Ludovic Combe
Courtesy Collection FRAC Auvergne

クリスチャン・ボルタンスキーは、ビデオ、写真、そのほかのメディアを駆使し、記憶、無意識、幼年期、死に関して、非常に自由な形式で表現した。ベネッセアートサイト直島にある「心臓音のアーカイブ」は、ボルタンスキーによるプロジェクトだ。

「現代のバシュラール」展での作品は、壁に映し出された大きい人影だ。手前にある金属製の小さい人の形が、ロウソクの炎で照らされ、数倍に映ったもの。整然と並んだ影絵には、澄んだ空へ上昇していく明るい日中の想像力と、深い場所(土)へ下降し退行する暗い夜の想像力の2つの想像力から生まれる「緊張感」があると説明されている。

バシュラールには『蝋燭の焔』という著作もある。影と死(生と死)をテーマにしており、ロウソクの炎が人間の想像力をかきたてることも教えてくれる。ボルタンスキーの作品は、バシュラールの言うように、鑑賞者が火から何かをイメージするように誘う。

この作品は、哲学者プラトンの洞窟の比喩*も象徴しているという。この比喩と関連付けるならば、壁の影絵は模倣された芸術であり、壊れやすいものだということか。変化しやすい個別の影絵を見ながら、ユニバーサルな理想の世界(完全な美しさ)をイメージしてみようということか。

(*イデア論。洞窟にずっと住む囚人たちは動き回ることが許されず、常に背後から届く人などの影(影絵)を見ていた。囚人たちは影絵が現実だと信じている。しかし、現実(真実、完全なもの)とは洞窟の外の世界を指す。囚人たちの中で、どうにか外の世界に出た者がいて真実を知る。そして洞窟に戻ると、影絵がもう見えにくくなってしまう。この比喩は、自分の思い込みが思い込みだったと気づくのは難しい、また真実を知っていれば、不完全な何かを見ても、より正確に真実を見極められるということを教示している)

空に舞う人の写真

この写真を見て、土・水・火・気の4つの、どの物質と関連しているかはすぐにわかるだろう。答えは、気。アーティストのイヴ・クライン自身が空中ダイビングをしているが、落下というよりは、まるで空や宇宙に限りなく近付きたいと飛び立っているように見える。その姿は、バシュラールが好んだ「夢のような飛行」と共鳴しているという。2人の写真家の協力を得て加工したこの写真は、クラインが作った新聞の一面に掲載された。無重力状態に達しているような姿が気高い美しさを表現していると評され、非常に有名になったそうだ。

クラインはインターナショナル・クライン・ブルー(IKB)という深い青の顔料を開発したことで知られ、この色を使って作品を発表した。華やかなアート活動を繰り広げ有名になったが、34歳で他界した。最近まで、金沢21世紀美術館でクライン展が開催された。


■ l’exposition Bachelard Contemporain
(会期は4月30日で終了)  

■ アニエスベーの文化複合施設 La Fab.(ラ・ファブ) 
前身のギャラリー・デュ・ジュールが閉館し、2020年2月にラ・ファブとして再オープン。

パリには、「ルイ・ヴィトン財団美術館」「カルティエ現代美術財団」、2022年にオープンしたばかりの「ギャラリー・ディオール」といったファッションブランドの美術館がいろいろあるが、アニエスベーの芸術活動については、日本では、あまり知られていないかもしれない。

再開発された13区にある「ラ・ファブ」を訪れ、このエリアを歩いて、パリの典型的なイメージとは少し違う「現代のパリ」の様子にひたってみるのもいいだろう。

■ アニエスベーのアートコレクションについて(日本語) 

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/