日本では、ストップモーションを使った動画作りが個人の間で流行っている。企業も強いインパクトを与えることができるストップモーション動画に注目し、宣伝に使っている。アートの分野でも、ストップモーション・アニメは短編も長編も、素朴さや映像の美しさ、ストーリーが素晴らしいものは、いつまでも心に残る。
筆者は、最近、イタリアのローマ出身の新星作家トーマス・キュンストラー(Thomas Künstler)が作る、繊細な短編ストップモーション・アニメに心を動かされた。トーマスの作品は、レトロなトーンに一瞬で引き込まれ、短い時間に喜怒哀楽が映し出される。昨年は、ギリシャの都市を舞台にした「ピンク・マウンテン(Pink Mountain、8分40秒、2022作)が、ヨーロッパで有名な国際アニメの祭典「アニマシロス」(ギリシャのシロス島で開催)においてギリシャ作品コンクール部門に選出された。現在、本作は世界各地のアニメフェスティバルに応募中だ。
2018年からギリシャに住んで制作を続けているトーマスを訪れ、ストップモーション・アニメ作りへのスタンスに迫ることができた。
約8分の「ピンク・マウンテン」制作は、2年がかり
動画「ピンク・マウンテン」
「ピンク・マウンテン」のあらすじを教えてください。
ギリシャ北部にある、人口10万人ほどの湖沿いの都市イオアニナが舞台です。昔から様々な文化が入り交じった場所で、映画の中では、オスマン帝国時代の「神秘的な都市国家イオアニナ」としました。禁断の恋の物語です。帝国統治者の寵愛を受けているレディー(またはキラ)・ヴァシリキに、若いフローリストが恋をしました。フローリストは、自分の愛を彼女に伝える方法を考えます。そして、山一面に花の種を植えます。ある日、その花が咲き誇ってピンク色に染まった山を、彼女が住まいのバルコニーから発見するのです。
僕が、イオアニナを訪れたことがきっかけで出来た作品です。町の伝統、ギリシャ北部の音楽、風景に感激して、ここを舞台にした作品を作りたいと思いました。イオアニナは、僕が知っているギリシャとは全然違ったのです。登場人物には伝統的な衣装を着せ、恋愛を描こうと決めました。
昨年15回目を迎えたアニメの祭典「アニマシロス」では、フランスの芸術文化勲章を受勲した映画評論家や、世界の映画フェスティバルで9冠を達成した映画「アウェイ」のクリエイターなどが審査員でした。この祭典のレベルの高さがうかがえます。応募多数だったでしょうね。
「アニマシロス」はギリシャでは最も権威あるアニメ祭で、ヨーロッパでも1番影響力があるアニメ祭の中に入りますね。「ピンク・マウンテン」を、ほかのアニメ祭にも応募している最中です。選ばれるかどうか、とても狭き門です。どのアニメ祭も応募数がものすごくて、選ばれる作品はほんの数パーセントです。今、それらの結果を待っているところです。
トーマスさんは1人で1つの作品を手掛けることもあると思いますが、「ピンク・マウンテン」制作はチームを組みましたね。
はい。長めの作品は「ピンク・マウンテン」が4作目で、チームで取り組みました。作品の最後にスタッフの名前がずらりと映されますよ。子ども向けのストップモーション・アニメや、企業からの依頼を受けて作るときは、ごく短くて1人でできる内容だったり、予算が限られていて、その枠の中で考えますが、今回のように手が込んだ作品だとチームワークでなければ難しいです。
僕はアニメーターでありマルチメディアメーカーですが、「ピンク・マウンテン」のようなハイレベルの作品にするには、プロとして活躍している写真家とかブロダクションデザイナーといった有能なクリエイターたちの力を結集することが大事です。
人形は、ご自分の手作りですよね。
自分で作っています。ここにある若いフローリストの顔のように、どういう形状にするかにも時間をかけています。「ピンク・マウンテン」では、体型、とりわけ手の形を完璧に近付けるためにほかの人と一緒に取り組みました。洋服作りはプロにお願いしています。椅子とか、ほかのオブジェも手作りです。
粘土のオブジェを撮影した作品は、クレイアニメーションと呼ばれます。材料は粘土ですか?
粘土ではありません。プラスティシン(カルシウム塩やワセリンなどの合成素材)という材料です。プラスティシンは、様々な色があります。「ピンク・マウンテン」ではプラスティシンではなく、ポリウレタンを使いました。人形もほかのオブジェも、材料はすべてギリシャで入手しています。
音楽とドキュメンタリーの融合がアニメーションに
人形を作るのは、子どもの頃から好きだったのですか?
そうですね。思春期の頃までずっと何か作っていて、10代初めの頃ではよくあるように、サッカーやプレイステーション、友だちと会うことに関心が移りました。音楽にも目覚めて、パンクとニューウェーブが大好きになって。
そのうち、父が創作の面で刺激してくれたおかげで、パンク音楽と人形を使ってストップモーション・アニメを作るようになって、家族やガールフレンドに見せることが嬉しくて。地元のバンドのミュージックビデオを作るとかの依頼も受けましたが、上手に出来て満足して、アニメ作りに本格的に取り組むことはなかったです。当時はソーシャルメディアが全然浸透していない時代で、不特定多数の人たちに見てもらおうと思うこともなかったですし。
僕にとってストップモーション・アニメ作りは楽しいだけでなく、ネガティブな感情の昇華の役割もありました。たとえば失恋したときなど、悲しみや怒りや嫉妬の感情を音楽と人形に向けていたから、落ち着いた日々を過ごせていたと思います。
大学では、映画製作を専攻したとのこと。アニメーションを勉強しようとは思わなかった?
小さいときから映画もすごく好きだったので、映画制作を学びたくて、世界的に高い評価を受けているイギリス南部のUCA芸術大学ファーナム(University for the Creative Arts Farnham)に行きました。勉強がとても忙しくて、ストップモーション・アニメ作りは時々するくらいでした。卒業の頃には、自分はフィクションの映画制作ではなく、実際に生活している人の様子を追うのが好きで、ドキュメンタリー作品(単なる記録ではなく、社会批判の要素を含む)の方をやりたいのだと気付いていたので、ドキュメンタリーを手掛けるようになりました。アニメ作りにも、たくさん時間を取るようになりました。
リサーチを重ねて、難民とか特定の民族などのドキュメンタリーを撮るうちに、アニメもストーリーの独自性が重要で、ドキュメンタリーのような雰囲気を出していくのが僕らしいと思うようになりました。その時代、その地域に生きる人たちが、どういう生活スタイルを作っているのか、どういう考え方を持っているのか、そしてその人たちはどんな葛藤(社会が抱える矛盾)を抱えているのか。アニメの中でも、そういった個人や集団が抱える感情のもつれを含めて、細やかな感情を伝えることが、僕にとってはとても大事です。イメージのインパクトを重視して語り口がぼんやりしている作品もあって、それらは作り方や伝え方が違うだけで、それもよいと思いますが。
ドキュメンタリー作りは、アニメの中でとくに洋服や髪型などのファッションとか、建築などのリアルさを出すことにも役立っています。大学で学んだ映画制作の技術、たとえば映画的な光の当て方やストーリーの展開などですが、すべてアニメ作りに役立っています。
ストーリーのインスピレーションはどこから?
本を読んだり映画を見たり音楽を聴いたりといろいろしますが、1番刺激を受けるのは昔ながらの音楽です。その曲の世界に憧れることが、よい作品作りにつながります。旋律の美しさや社会的背景など、その曲のすべてにふれると感情が湧き上がってきて登場人物や話の筋が生まれます。曲の時代と世界観をストーリー全体に反映させ、人物がどんな行動をするかは僕のフィーリングで決まるという意味ですね。
イギリス留学をきっかけに「伝統」を強く意識するように
動画「レべティコ」
大学卒業後、ギリシャに住む前にギリシャの古い歌を作品化し「レべティコ(Rebetiko)、2分40秒、2015年」を発表しました。制作のきっかけは?
ギリシャ文化との出合いは、イギリス留学でギリシャ人2人と一緒に住んだからです。お互いの出身国の話もして、2人はギリシャのことを、僕はイタリアの料理や音楽とかいろいろ説明しました。ギリシャ文化について、初めて聞くことばかりでした。彼らから、レベティコのことを聞きました。レベティコは、100年くらい前にアテネ近郊のスラム街で生まれた音楽ジャンルです。ギリシャのブルースとも呼ばれています。それで、レベティコを聴くようになりました。
(注:レベティコは、トルコ領にいたギリシャ人たちがギリシャに強制移住させられて、ギリシャで作り上げた。彼らは社会に受け入れられず、社会の底辺で犯罪に近い環境で生活しており、レベティコはギリシャ政府が違法な音楽(とダンス)にしたため、隠れて演奏されるようになった。時を経て、レベティコは文化的な価値が認識され、2017年に「ユネスコ無形文化遺産リスト」に加えられた)
なぜ古い音楽がよかったかのかというと、僕はパンクの本場だったロンドンに住んで嬉しくてたまらなかった一方で、イタリアを初めて長期間離れることになってイタリアも含めて地中海地方が恋しくなり、イタリアの古い大衆音楽を聴くようになりました。ローマにいたときは気取っていて、自分の国の音楽については全然知ろうとしなかったんですね。そうしたら、昔ながらの音楽もいいなと思うようになったのです。一旦イタリアの古風な音楽に目が向き始めたら、ほかの国の伝統的な音楽も素敵だとわかって、ギリシャの古い音楽にも全然抵抗は感じなくて。
当時はギリシャ語がまだできなかったので、ずっとメロディーを楽しんで、歌詞の意味は後で調べて知りました。とにかく、レベティコに感化されました。
「レベティコ」も大きな話題になったそうですね。
そうです! ギリシャには頻繁に来ていましたが、まだ住んでいなくて、とはいえ「レベティコ」を作ろうと決めました。出来上がってフェイスブックにアップしたら、次の日にはもうアクセスが何千もあってびっくりしました。すぐにギリシャのテレビやラジオで大きく取り上げられて、記事もたくさん書いてもらって、僕にとっては思いがけない反響の大きさでした。アニメ祭に応募しようと思って作ったわけではなかったですし。
毎回必ず尋ねられたのは、「イタリア人の僕がギリシャ語の歌の世界を、どうしてこんなに上手く表現できるのか?」でしたね。その答えははっきりしていて、音楽って、よく言われるようにユニバーサルで、文化間の壁がないんです。言葉があまりわからなくても聴いているうちに世界観を感じることができます。
僕は日本の音楽には親しんでいませんが、日本の歌を何時間も聴いて、理解して、リサーチもすれば、ストップモーション・アニメで表現することだってできると思っています。アニメ化に当たっての事前のリサーチは、僕の創作のプロセスとして必須です。
世界に移る夢を抱きながら、道を究める
今後、ストップモーション・アニメとドキュメンタリーと並行して製作していくのですか?
ドキュメンタリー作りは、完全にストップしていません。でも、クリエイターとして生き残っていくには、どうしても競争しなくてはいけません。映画やドキュメンタリーはアニメの世界よりもはるかに競争が激しくて、大変です。アニメでなら、抜きん出ることができると思っています。「レベティコ」がヒットしたとき、自分のストップモーション・アニメはすごくユニークだと気付きました。
これから、どんなものを作っていきたいですか?
ギリシャに根を張っていて、ギリシャに関係した作品を手掛けているのは当然のことです。ギリシャ人に囲まれて、何でもギリシャスタイルですから(笑)でも、ずっと憧れていた世界が日常になったこともあり、今、ビジョンや夢、インスピレーションの源という観点で言うと、ギリシャとはまったく違うところに向いています。カントリーミュージックをたくさん聴いて、その歴史についても読むようになって、次の作品で、その世界を描きます。
ひょっとしたら、カントリーミュージックが生まれたアメリカに引っ越して制作をするかもしれません。このままギリシャで一生暮らすかもしれないけれど、そう決めるのは視野が狭いと感じて。世界は本当に広くて、本当に美しくて、違う国に移る可能性は広げておきたいのです。日本を見ずには死ねないって思うこともあるので、日本を訪れて、いつか住む日が来るかもしれませんね(笑)
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■ Thomas Künstler
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Photos by Satomi Iwasawa
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岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/