毎年1月末、スイスの山村で開かれる芸術のシンポジウム「エンガディン・アート・トークス(the E.A.T.)」が、今年も盛況に終わった。今年で既に13回目を数えたこのシンポジウムは芸術家、音楽家、政治家、科学者など多彩なゲストを招き、トークやパフォーマンスを披露する。毎年、the E.A.T.キュレーターチームがアートや建築に関連したテーマを決める。チームは、クンストハレ・チューリヒ館長、アルル・フィンセント・ファン・ゴッホ財団のアートディレクター、ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーのアートディレクターなどそうそうたる顔ぶれだ。

アイ・ウェイウェイ氏も、トークに参加

今年のテーマは「希望? 希望!」で、人間にとって重要な「希望」を皆でもっと深く理解してみようという目的だった。今回は、中国の著名なアーティスト、アイ・ウェイウェイ氏(ポルトガル在住)も参加し、いつも以上に注目が集まった。

アイ・ウェイウェイ氏は、討論の中で、子ども時代の暗い思い出にふれた。中国の政情により一家が通常の生活を送れなかった間に、母が父(両者とも詩人)に言った「希望を持たなければ、絶望的になることもないのよ」という言葉が胸にささり、希望、そして自由という言葉が全然好きではなかったと語った。氏にとっては、これらの言葉は何の意味もないそうだ。氏は、現在の中国やポルトガルでの生活、最近の作品についても話した。

美術館・博物館の将来のあり方とは

the E.A.Tは常に刺激的なテーマを選んでおり、これまで取り上げてきた内容も興味深い。2022年は「状況&記憶」という大枠で、身体と精神の関係、サステナビリティ、NFTアートなどについてのトークが組まれた。「未来のミュージアム(Museum of the Future)」という討論も示唆に富んだ内容だった。ざっくり紹介しよう。

「未来のミュージアム」のスピーカーは3人。動画の右から、パリのグラン・パレ会長クリス・デルコン(現・パリのカルティエ現代美術財団理事長)、パリのポンピドゥーセンター会長ローラン・ル・ボン、オランダのハールレムのフラン・ハルス美術館長アン・デメスター(現・チューリヒ美術館長)だ。左端で進行を務めたのは、ヴェネツィア・ビエンナーレのキュレーションも務めた著名キュレーター、バイス・クリガーだ。

この討論には、4つのキーワード「ミュージアム(以下、美術館と記す)とはどんな場所か?」「人々が美術館に求めることは?」「美術館は変化するのか?」「美術館が意識すべきことは?」があった。

● 美術館とはどんな場所か?

アートの専門家3人が語った美術館の定義は、以下のようなものだった。クリスは、美術館は「文化を創造する場」だと力説した。たとえば南米の女性アーティストなど、ヨーロッパ以外のアーティストの作品をヨーロッパで披露することは不可欠だとした。アートの世界には、この作品は価値があるとかないとか、必要だとか不要だとかの評価はなく、美術館は多様性を伝えて文化を創り出す媒体だ。美術館運営はオープンマインドかつ、好奇心旺盛であるべきで、世の人たちにはこの点を第一に心得てほしいと述べた。

またクリスは、美術館は「不完全な場」であるとも言う。美術館を固定した場所だと考えず、時間が流れる社会的構造だと捉えるべきだと。

アンがまず語った美術館の定義は、「今の時代にマッチした場」。美術館は単に所蔵作品を見せる場ではなく、先人が遺したものを今の時代の人たちがどういうふうに使うか(感じるか、考えるか、学ぶか)を実践していく場だと説明した。

アンの見方では、美術館は「逆説的な場」でもある。美術館の外の世界では、時間はとても早く流れている。一方、美術館は清潔で、守られていて、訪問者には、そこで静かに作品に注意を向けてゆっくりと時を過ごしたいという深い欲求がある。

David Claerbout´s ‘The Pure Necessity’

● 人々が美術館に求めることは?

この問いには、新型コロナウイルス感染拡大が大きなカギを握っている。ローランは、感染拡大により人々が多くの事柄に疑問を抱き、それまで気付いていなかったことついても考える時間が増えたと指摘。コロナ禍後、多くの人がクオリティーの高さやホスピタリティ(人や社会を思いやる気持ち)を切望するようになった。美術館にも、以前以上にクオリティーが求められている。大きいことはよいことだと美術館の広さを売りにするのではなく、もっと人々が精神を育てたり安心できる場になるようにすべきだと感じている、という。

クリスも感染拡大にふれ、今、そして将来の美術館のあり方への期待が、ものすごく大きくなっていると感じている。

● 美術館は変化するのか?

美術館の変化に関しては、3人とも同じ意見だった。

「美術館は社会的な存在で、変えていこうという気持ちは大切だが、好き勝手に変化させることはできない。美術館の変化は非常にゆっくりだ」(アン)

「所蔵作品を館内で展示する、というクラシックな美術館のあり方を存続させていくのはとても大事だと思う(変化は遅い)」(ローラン)

「感染拡大は、美術館にとっても転機になった。運営からスポンサーシップまで真剣に見直すことになった。政治家、美術品コレクター、アーティストなど様々な人たちからの要求があり、それを基にしたToDoリストはあるのに実行されていない。それらの要求にすべて答えようとすると美術館の負担が重くなり過ぎるのも事実だが」(クリス)

Jeep Hein -Breathe with Me’ installation

● 美術館が意識すべきことは?

まず、「作品の所蔵」が話題に上った。ローランは、フランスでは美術館はどんどん増えているが、公式な調査によると美術館訪問者の割合は過去50年間変化していないと指摘した。美術館の予算には限度もあり、所蔵作品数をとにかく増やすことには疑問を感じている。

アンは、所蔵作品を充実させることより、美術館同士のつながりを深めることが大事になってくると述べた。具体的には、作品を何年も倉庫に眠らせずに貸し合って展示したり、作品を共同所有する(1つの作品を複数の美術館が買おうとし競争になることがあるという)。また、高額な作品を購入するより、アーティストや制作プロセスそのものに投資する方が現実的なのではないかと提案した。

「アート分野でのインクルージョン」の話題では、ローランは、パリのポンピドゥーセンターのエピソードを紹介した。以前、地下鉄で20分離れた学校を訪問した時、子どもたちをポンピドゥーセンターに連れて行きたいかと教師たちに尋ねたら、遠いから行かないという答えが返ってきたという。学校の予算不足は問題で、解決策を見つけなくてはと考えているという。小学校低学年頃までのアートへの感動や衝撃が将来の美術館訪問につながるし、何より、ポンピドゥーセンターのコンセプトは、共同体のための場所であることだ。しかし単に訪問してもらえばよいのではなく、訪問者が少ない時にじっくり鑑賞できることが大切になってくる。最初の美術館訪問が嫌な経験になってしまうと、また美術館に行きたいとは思ってもらえなくなると断言した。

クリスはインクルージョンのために、所蔵作品を別の美術館へ貸し出すこと(アート作品の分散化)は大事だと話した。ポンピドゥーセンターはいくつかの国に分館を持っていて作品の分散化をしており、地方や他国の人たちが本物のアートに、より簡単にアクセスできるのはいいことだ、と言う。

「デジタルアート」についても意見交換した。クリスは、若い世代の間ではビデオゲームも含めてデジタルアートの人気が高く、美術館での展示、いわゆるスローな展示への関心をどうキープするか、さらにはどう高めるかを検討していかないといけないとした。2018年にパリにオープンした没入体験型デジタルアート美術館のアトリエ・デ・ルミエールは、若者たちをものすごく惹きつけている。若者がここで光と音のアートから受ける衝撃は大きく、それで満足して通常の美術館に行かなくなってしまうという調査結果もある。スローな展示とデジタルアートとのギャップを橋渡しする方法を模索中だという。

アンは、若者を美術館へ誘うには、若いアーティストの作品を展示することも大事ではないかと補足した。

進行役のバイスがマスコミの役割にふれたのも印象的だった。デジタル化が進み、世界のどこでも他国の情報が入手できるようになった。だが以前に比べ、地方や小国のアートシーンについて、マスコミは深い考察のある報道をしなかったり、たとえ取り上げても少しだけで、これは大惨事だと嘆いた(このネガティブな気づきは、討論しているうちに浮かんできたという)。

昨年も今年も、the E.A.T.は、アートは飽くことのない世界だと実感させてくれた。来年のthe E.A.T.が今から楽しみだ。美術館が変わらずにいる部分と変わる部分とを眺めながら、今後も様々なアートの展示に足を運ぼう。


All pictures: ©Katalin Deer/ Engadin Art Talks 2020

Engadin Art Talks(the E.A.T.)

2023年の回は無料ライブ動画配信があり、全トークが視聴できた。

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/