廃墟は、暗い、汚い、怖い、気味が悪い。そんな一般的なイメージを取り払う美しい廃墟(とりわけ建物)の写真集や写真展が、いま人気を集めている。日本にも世界にも多数ある放置された建物は、年代を経た落ち着いた味わいや、朽ちている様子からにじみ出る物悲しい雰囲気があり、つい視線が吸い寄せられてしまう。

廃墟はそれ自体がアートだが、それをさらに発展させ、廃墟を舞台にした現代アートのグループ展を開催し続けている団体がギリシャにある。アテネにあるartefact athens(アーテファクト・アテネ)だ。現代アートは人生を味わい、深める方法としてとても重要で、その存在感をもっと高めるべく活動している。個々のアーティストの創作活動に焦点を当てると同時に、舞台となる場所の歴史や荒れ具合と展示作品とが呼応して、新しいコンセプトが生まれる可能性を追い求めている。

いま、artefact athensは、アテネで「reality check chapter II: inner sanctum (リアリティー・チェック 第2章:聖域)」を開催中だ。36人のアーティストによるこのグループ展の訪問者が展示終了間近でも絶えないと聞き、訪れてみた。(*バーチャルツアーはこちらからご覧いただけます)

会場は、使われていない旧病棟

reality check chapter II: inner sanctumの会場は、ダフィニ精神病院内のもう使われていない古い病棟だ。1925年設立のこのクリニックは、心の治療が必要になったらここへ行け、というほど地元の人にはよく知られている。クリニックの敷地は広く、旧病棟へは展示用に数か所に掲げてある赤い矢印をたどって、ようやく到着した。

展示名に第2章とあるのは、第1章が昨年開催されたためだ。そのときも、この旧病棟が会場だった。2回のreality checkのキュレーターを務めたDr. Kostas Prapoglou(コスタス・プラポグルー博士)は、「廃墟、または静寂に包まれた場所を活性化させることで過去と未来、内側と外側という視点が交錯して、鑑賞する人たちは、より創造的な考え方ができるようになる。また廃墟にとっては、芸術作品を通じてその歴史を語る新しいチャンスになる」と語る。

今回のコンセプトは、枠組みや制限がないこと。旧病棟は外界と仕切られているが、参加したアーティストたちは、展示が放つエネルギーや影響力が屋内の空間で完結しないことを目指したという。

それぞれのアーティストには、病棟内の部屋が与えられている。各アーティストは自分の聖域を創り上げ、鑑賞者たちはそれらの聖域の1つ1つに入り込み、作品の素材や形態、作品に使われている音や光、窓から入ってくる日差しや風や景色、そこに流れる空気や壊れた部屋の状態など、聖域内に存在するあらゆるものと関わりながら、歩みを進めていく。1人で、友だち同士や恋人同士で、ベビーカーを引いた親子3代等、訪れる人は様々だが、誰もが自分のプライベートゾーン(聖域)を探る旅をしているようなもの。クリニックの患者たちもやってきて、ひと時を過ごしたそうだ。Prapoglou氏いわく、その多様な年代や職業の人たちによる自由な鑑賞によって「旧病棟は、生き物のように変化している」という。

浴槽に体を沈めたような感覚

聖域探しの旅の間、おそらく、鑑賞者たちはすべての作品を素晴らしいと感じ、元病棟のすべての箇所を好ましいと思うことはないだろう。だが、そんな違和感を持ってもらうことも、本展のねらいの1つだ。「私たちの気づき、感情、言葉、夢といったものが、私たちの現実の捉え方や自己認識の仕方に常に新しい制限を与えていることを、展示を通してわかってもらえたら」とPrapoglou氏は言う。

思い切り、精神を開放してみよう。ゆっくりと作品と向き合っているうちに、そんなふうに、ことさら意識しなくても、本当に自然と安心感に包まれた。温度の違う湯につかって最高にリラックスできたと言ったら言い過ぎだろうか。どうして、あの作品に魅力を感じなかったのかということを考えることができたのも、心にたっぷりと余裕が生まれたからだ。

ここに紹介する作品で、読者の方たちにも安堵感を多少なりとも感じ取ってもらえるだろうか。

自然がモチーフの作品

建物に入って真正面にある1番大きい部屋では、Nikos Tranosの「Primavera」(2022年作)が出迎えてくれる。セラミック製のユリ畑だ。これらのユリは生命の表現でもあり、若さや希望や新しい始まりの象徴でもある。

Nadia Skordopoulouの「Your soul that never wears, Your spirit that never tears」(2022年作)は本物の蘭を使っている。土を使わないエアロポニック技術(噴霧式水耕栽培。無農薬で済む)にインスピレーションを得た。床に土が敷かれていて、蘭が土から栄養を得ているという錯覚を起こさせるのは面白い。古代ギリシャでは蘭は生殖のシンボルだったことから蘭を人に見たて、同時に祈りの言葉が天へ届けられるように人も昇天するという様子も表現している。

Dimitra Skandaliの「..any courage is a fear..」(2022年作)も、本物の草花を使った自然環境だ。その草花の香りが漂い、平穏で、静かな雰囲気に満ちている。Skandaliは戦争や紛争や環境悪化をこの世からなくしたいと思っており、この草むらで、鑑賞者たちがいろいろと思いめぐらしたり平和な状態をイメージすることを期待している。著名なアメリカの詩人E. E. カミングス(1962年没)の詩から作品のタイトルをつけたこともあり、身近にある草原というよりは別世界に存在する庭園のように感じられる。

Natalia Mantaの「HYBRID BELLADONNA」(2022年作)は、上部の3本の支柱だけを見ると単なる街灯のように感じられるが、水槽があることで、水に根を張る得体のしれない生き物に様変わりする。水槽内は一瞬、気持ちの悪い印象を与えるが、近づいて見てみると美しい海藻の趣を醸し出していることがわかる。

人体がモチーフの作品

Vana Ntatsouli「It’s not What you think」(2022年作)の巨大な男性は、瞑想をしている。横にある王冠は、深くリラックスしたり、自分の感情にじっくりと向き合ったりできたという達成感の象徴だ。男性の姿は、鑑賞する人自身も瞑想し自己を見つめるプロセスを楽しもうと誘う。

Chrisitina AnidのLitany of Desires(2022年作)は、羽をつけた子ども(天使)と心臓の2つのオブジェで、キリスト教の誓いの世界を表現している。壁と床を埋める手書きの文字と相まって、力、希望、信仰、疑問といった神秘的な要素が肌で感じられる空間だ。

Gil Yefmanのニット製の巨大な目「CCTV4u」(2022年作)は、ノーマルだと思われていることや健全だとされていることに疑問を投げかける。鑑賞者は凝視され、批判されている気分になってどうにも落ち着かなくなるかもしれない。しかし、それは「あなたの心の中を見てみてください」という呼びかけなのだ。

Prapoglou氏に“第3章”の予定を尋ねたが、残念ながらそれはないとのこと。「廃墟はまだまだあるので、次回の展示は別の廃墟にする」という。新しいコンセプトの展示にもぜひ行ってみたいと、思わず心が弾んだ。廃墟での現代アート展は、オルタナティブな展示方法として大きな可能性を秘めていると感じさせられた。

artefact athens

■ アーティスト36人によるグループ展「reality check chapter II: inner sanctum」 
デジタルカタログはこちら(各作品の写真は42ページ目から)

バーチャルツアーはこちらからご覧いただけます。

期間:2022年9月29日~11月13日
会場:Dafni Psychiatric Hospital of Athens
入場:無料
企画立案は、考古学者・建築家・現代美術評論家・キュレーターのKostas Prapoglou氏(artefact athensの設立者)

<参加アーティスト36人>
Lydia Andrioti (Greece), Christina Anid (France/Greece/Lebanon), Zeina Barakeh (Palestine/Lebanon/USA), Orit Ben Shitrit (Israel/USA/Morocco), Robert Cahen (France), Yannoulis Chalepas (Greece), Evangelos Chatzis (Greece), Lydia Dambassina (Greece), Angie Drakopoulos (USA), Guillermo Galindo (Mexico/USA) Aikaterini Gegisian (UK/Greece), Michal Heiman (Israel), Daniel Hill (USA), Elia Iliadi (Greece), Nikos Kokkalis (Greece), Natalia Manta (Greece), Stella Meletopoulou (Greece), Gisela Meo (Italy), Andreas Mniestris (Greece), Noemi Niederhauser (Switzerland), Vana Ntatsouli (Greece), Stefanos Papadas (Cyprus/Greece), Pipilotti Rist (Switzerland), Evi Savvaidi (Greece), Ariane Severin (Germany/Greece), Nadia Skordopoulou (Greece), Dimitris Skourogiannis (Greece), Dimitra Skandali (Greece), Constantinos Taliotis (Cyprus), Tolis Tatolas (Greece), Nikos Tranos (Greece), Iakovos Volkov (Greece), Tori Wrånes (Norway), Gil Yefman (Israel), Katerina Zacharopoulou (Greece), Eleni Zouni (Greece).

■ 2021年開催の「reality check」 
デジタルカタログはこちら
34人のアーティストが参加した。会場は上記と同じく、ダフィニ精神病院の旧病棟


Photos by Satomi Iwasawa

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/