薄暗い巨大な倉庫に入った途端、圧倒された。7つの鉄筋コンクリート製の塔が、いまにも崩れそうに立っている。その周りには、5枚の並外れたスケールの絵が飾ってある。事前に写真や動画で見ていたはずなのだが、室内の張りつめた空気、ヘリコプターの効果音、塔や絵の臨場感には改めて圧倒された。この迫力は、この場所に来なくては胸に響かない。

ここは、ミラノ中央駅からバスで約30分のピレリ・ハンガー・ビオッカ(Pirelli HangarBicocca)。2004年、現代アートの展示や文化イベントのためのスペースとしてオープンした。1万5千平方メートルの敷地内にある建物はバスからも見えるほど大きく、元は機関車工場だったことも納得がいく。イタリア国内外の勢いがあるアーティストの作品を年中無料で見られるとあって、地元の人が日常的に訪れる。アート好きな国外観光客にも、ミラノのホットスポットとして知られている。

企画展はどれも面白そうだが、常設作品3つを目当てに訪れる人も多いはず。最初の常設作品は、門を入ると目の前に現れる。20世紀のイタリアのアート界を代表するファウスト・メロッティ(Fausto Melotti)の「La Sequenza」(1981年作)だ。同じサイズの鉄板が枚数を変えて、3列連なっている。メロッティは彫刻作りにおいて、祝賀の意味も記念の意味も込めないことを常に目指していたそうだ。本作は様々に解釈でき、自由に行き来できる劇場のようでもあり、主旋律と変奏が混じり合う音楽を表現しているようでもあり、さらには古典的な建築の柱のようにも見えると紹介されている。

2つめの作品も屋外にある。ブラジル生まれの双子のアーティスト、オジェメオス(OSGEMEOS)作「Efêmero」は、車両につかまる大掛かりな人物のストリーアート。2人は壁画のほか、カンバスに描いたり彫刻も手掛け、サッカーのブラジ代表チームを乗せた飛行機もペイントした。作品全体が夢にあふれて愛嬌があり、欧米でも人気がある。

そして、3つめが冒頭の7つの塔だ。高さ約30メートルの倉庫に置かれた「The Seven Heavenly Palaces  7つの天の宮殿」は、世界に名を馳せるドイツ人画家・彫刻家、アンゼルム・キーファー(Anselm Kiefer)作。開館以来この倉庫内にあり、ピレリ・ハンガー・ビオッカの看板的存在となっている。

現在77歳のキーファーは、大きいサイズの力強い作品を手掛ける。歴史や政治、神話や宗教、宇宙をテーマにし、この7つの塔(それぞれの塔には名前が付いている)は、千数百年以上前に書かれた古代ヘブライ語の本『Sefer Hekhalot』に出てくる宮殿を題材にした。この本には、神に近づきたいと願う者が行うべき精神的なイニシエーションの道筋が書かれているという。

本作は、キーファーの芸術活動の一つの到達点だという。古代ヘブライ宗教の解釈、第二次世界大戦後の西洋文明の廃墟の表現、そして過去・現在・未来の比較といった様々な要素が見られる。

各塔の重さは90トン、高さは13メートルから19メートルとふぞろいだ。各塔には鉛で作った冊子やくさびを多数挿入して安定性を高め、塔が揺れて壊れることを防いでいる。鉛を冊子の形にしたのは、書物の価値を強調したかったから。キーファーは「本は知識を伝達する重要な方法です。そして本というのは、各ページに必ず秘密が隠されているんですよ」と語る。各塔は高さのほかにも少しずつ違いがあり、塔の足元に置かれた鉛のオブジェ(カメラやいん石など)をじっくり見るのも楽しい。

倉庫に掲示された注意書きには、塔にふれたり、塔の中に入らないようにと書かれている。とはいえ、キーファー自身は塔にさわったり塔に入ったりして、ぐっと近づいて作品を味わうことを歓迎しているため、中に入って上を見上げてみた。空洞が広がっている。一瞬、てっぺんまで飛んで行けるかもと思った。『Sefer Hekhalot』では、神に近づこうとした志願者は徐々に体の部位を失い、最後は魂のみになって宮殿を通り抜けて上昇していく。

物語では、志願者は上昇していく間、自分の心の内面も見つめる(下降する)。これについてキーファーは、ここで開催されたイベントで、上下の到達点は言い換えれば大宇宙(マクロコスモス/宇宙空間)と小宇宙(ミクロコスモス/人間)で、2つの世界が関連しているのは印象的だと語っていた。鑑賞者たちも、ここで、その2つの宇宙を感じ取るだろう。

それぞれの塔には、もちろんキーファーの見解が込められている。たとえば、入り口から最も近い塔「Torre dei Quadri Cadenti」は木製のフレームが床に散らばっている。まるで、この塔の上から落下したかのようだが、この破片はユダヤ教の礼拝、反偶像崇拝などを表現しているという。また、第二次世界大戦中の反ユダヤ主義的な惨事(ユダヤ人経営の店の窓ガラスが破壊された暴動など)も示唆しているという。

入り口から最も遠い塔「Sefiroth」は、キーファーによる手書きのネオンサインが特徴的だ。Sefirothとはユダヤ教の観点によると「生命の樹」で、この木は、神が創造物に自らを反映させる10の原理(神性)を示しているのだという。キーファーは、Yesod(基礎)、Malkuth(王国)、 Hod(栄光)、Netzach(永遠または勝利)といったその原理の名前を、この塔に散りばめた。

塔の周りにある、キーファーが描いた5枚の大型の絵も印象深い。流動性や変化を重視するピレリ・ハンガー・ビオッカの意向で2015年秋に新たに加わった。2009年作「Jaipur」から、2012~2013年作「Die Deutsche Heilslinie」までのこのシリーズ画により、展示空間には人間と自然との関係、西洋哲学という視点も織り込まれた。

倉庫の1番奥にあるのは、昔、多くの戦いの場となったドイツのライン川を見つめる男性を描いた「Die Deutsche Heilslinie」。戦争という暗い面と虹に象徴される希望を同時に存在させて、ドイツ救済の歴史を表現した。その左横には、北インドのジャイプールにある古い天文台(ユネスコの世界遺産に登録)を彷彿させる「Jaipur」が飾られている。キーファーはインドを何度か旅し、ジャイプールも訪れたという。残りの絵は乾いた大地や砂漠で、荒れ野が持つ強い生命力を表現した。

ピレリ・ハンガー・ビオッカは、7つの塔そして5枚の画を、その場所や、その場所と結びついた記憶ならではのアート作品(サイト・スペシフィック・アート)だと呼んでいる。しかし、キーファー自身は、倉庫の空間が作品に溶け込んで消えるのでサイト・スペシフィックではないと思うと語っている。実際に鑑賞してみたら、筆者は、天井、壁、床の区切りがなくなってどこかの公園(屋外)を歩いているような感覚になったから、キーファーの見方は正しいのだろう。

ただ、キーファーは、塔の制作前の2003年に初めてここを訪れたとき、この工場で働いていた大勢の姿がはっきり見えた(と感じた)という。彼には現在もその姿が映るというし、塔も絵も倉庫に合わせて考えたというから、やはり、この工場跡に根差した作品ともいえるのか。

ともかく、「この場をなかなか離れられない」「また戻ってきたい」と感じさせるパワフルで不思議な力がこの展示場に流れていた。「廃墟は始まりだ」とのキーファーの言葉通り、塔と絵を見た人たちは、社会や個人の問題をとく糸口を見出すかもしれない。

ANSELM KIEFER 「The Seven Heavenly Palaces 2004-2015」
in Pirelli HangarBicocca


Photos by Satomi Iwasawa

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/