女性が多方面で活躍しているといわれる現在でも、男女が平等に扱われないことは少なくない。芸術の世界でも、表舞台に立つ男性の陰で、才能や作品が世間で評価されずにいた女性アーティストたちは多かったという。そんな影の存在だった女性たちのうち、抽象的な作品(絵画のほか、ダンス、写真、映画、彫刻なども)を制作する約110人を紹介した「抽象芸術の女性たち(Women in Abstraction)」展が好評のうちに幕を閉じた。

本展は、昨夏、パリのポンピドゥー・センターにて、そして昨秋~2022年2月はスペインのビルバオにあるグッゲンハイム美術館にて開催された。時代も住む場所も違う様々な女性の抽象表現家たちを、これほど体系的に紹介したのは今回が初めてだという。

一般的に、「抽象的な芸術」は対象を単純化して表現したり、人物や図形が描かれていなかったり、実在する物と無関係なアートを指すといわれているが、これらに当てはまらなくても抽象的だといえる作品もある。本展ではそれらも集めた。おおよその年代順でカテゴリー化されたうちの一握りだが、それらの女性アーティストを挙げてみよう。

抽象画の先駆者~心霊術(スピリチュアリズム)の表現

本展では、1800年代後半に心霊術(神智学)を実践していた女性アーティストたちを抽象絵画の先駆者とした。(注:西洋美術史では、抽象絵画は画家ヴァシリー・カンディンスキーが祖の1人とされている。詳しくいえば、彼が40代半ばだった1910年頃に抽象絵画が始まったとされる)

心霊術では、神や霊魂と意思を通じ合うことができたとされる。これが欧米で広まったのは、キリスト教が男性優位だったことが背景にある。心霊術では女性も優位に立てるため、「女性も男性と同じように知見を自由に得るチャンスがあるのだ」と女性自身に気づかせることとなり、たくさんの女性を惹きつけた。心霊術は社会的な活動であり、哲学的な考え方を深める時間にもなったため、女性アーティストたちにとっても魅力的だったようだ。工業化が進む中で、精神的なものへ回帰しようとする傾向もあった。また、その頃、X線、放射能、電子などの科学の発見により、見えないものの存在が証明されたことも「物質世界と、見えない高次の世界はつながっている」という心霊術の考え方に反映したらしい。

その1人がイギリスの画家、Georgiana Houghton(1814~1884年)だ。Houghtonは心霊術を身につけて、1861年に初めて心霊画を完成させた。初めは植物など実物も描いていたが、シンボルを使ったものへと発展し、水彩心霊画は総計155枚以上に及んだ。1871年には、ロンドンで数か月に渡り個展を開いた。だが多数の訪問者とは裏腹に、当時は抽象画があまりに前衛過ぎたためか、売れたのは1作品のみという結果に。Houghtonは、これまで美術史家からほとんど無視されてきたという。

日常的な装飾品としての抽象作品   

抽象的なアートは絵画だけではなかった。絵画という枠を超え、抽象的なメッセージを小箱や衣類といった日常的に使う道具にして表現した女性アーティストたちもいた。

スイスのSophie Taeuber-Arpはテキスタイルデザイン、そして木彫を専門に学び、チューリヒの応用美術学校(現在の芸大)で美術史や装飾品のデザインについて10年以上教えた。Taeuber-Arpは、絵画、織物、コスチューム、人形、彫刻、家具、建築など、多様な方法を使って伝統的な芸術の枠を打ち砕こうとした。彼女は、世界に広がったダダイズム(戦争の無意味さを主張した芸術思想・運動)の中心的存在だった。会場では、幾何学的な模様の織物や非常にシンプルな家具など、彼女の複数の作品を間近に見ることができた。

彫刻に見られる抽象性

 
1900年代初期は、彫刻の分野でも伝統な身体表現の方法が崩れていった。日本でもよく知られているイギリスの彫刻家、ヘンリー・ムーアの作品などは空想の彫刻とも呼ばれるが、イギリスの彫刻家Barbara Hepworthも、その頃に抽象的な彫刻を作り始めていた。オーガニックな作風は、Hepworthの海や自然との強い結びつきから生まれたものだ。

ニューヨークを中心に栄えた抽象的な感情表現

1940年代後半から50年代にかけて、アメリカ、とくにニューヨークを中心に、抽象的な線や色で作品を作る芸術運動が盛んになった。これを機に、芸術の本場はパリ(ヨーロッパ)よりもニューヨーク(アメリカ)だという見方が定着するようになった。

Joan Mitchell(1992年没)は40年以上に渡り、抽象的な絵を描いた。大型の油絵がよく知られている。シカゴで生まれ、フランスに1年間滞在した時に抽象的な絵画を制作するようになったという。帰国後ニューヨークに住み、画家(主として抽象表現主義の画家たち)や詩人の集まりである「ニューヨーク・スクール」の活動に積極的に参加した。水、木、犬、詩、音楽などの刺激からわき出たイメージや記憶、感情を手掛かりに作品を制作した。

意外な素材を使って、抽象的に表現

本展示には、エキセントリックな抽象作品というカテゴリーもあった。これは、1960年代後半の彫刻作品で、従来は彫刻に使われることのなかったファイバーグラス、ラテックス(天然ゴム)、プラスチックなども用いて、人間の体や性を、抽象的に丸みを帯びた雰囲気に仕上げたものだ。

フェミニストのアーティスト、Judy Chicagoの作品もこれに含まれた(現在82歳)。Chicago は60年代末に、アートに花火(煙)を使うことを思いつき、パフォーマンスを繰り広げた。この花火の作品はシリーズとして取り組み、写真のようにカリフォルニアの砂漠でも表現した。女性を取り入れることで場を優雅な雰囲気に変えたり、女神像をイメージしたり、神聖な儀式で火をたくのは女性の役割だということを強調しようと試みた。

いま脚光を浴びる抽象画の先駆者、ヒルマ・アフ・クリント

もう1人、ぜひ挙げておきたいアーティストはスウェーデンのヒルマ・アフ・クリント(Hilma af Klint 1862~1944年)だ。抽象画の先駆者として先述したイギリスのGeorgiana Houghtonと同じカテゴリーで紹介された。Houghton同様、アフ・クリントも長らく美術史上には登場しなかったが、最近、西洋でとても注目を集めている。多くの人が、彼女の作品の視覚的な素晴らしさに感銘を受けている。

アフ・クリントは若い時、男性だけに開かれていた地元の美術院に入学を許可され風景画などを学んだのち、職業画家として生活していた。祖父がスウェーデンで最も重要な地図製作者だったことも彼女に影響を与えたようで、見えにくいものを見えるようにすることに興味があり、10代の頃から霊的な知識を求めていたという。彼女は心霊術の訓練を続けた結果、「自分は、より重要なメッセージのために選ばれた」と感じるようになった。そして、40代前半から10年がかりで「神殿のための絵画(The paintings for the temple)」という名の元に、いくつものシリーズ(計193点)を制作した(彼女の遺作は1300点を超える)。

たとえば、「The Ten Largest」(1907年)という高さ約3m半の10枚シリーズの油絵。当時のヨーロッパでは非常に珍しい巨大な作品だが、そのサイズに加え、図形や色使いが100年以上前のものとは思えないほど斬新で、華やかで透明感がある。この10枚は人間の一生を描いたシリーズで、青系2枚は幼少期、オレンジ系2枚は青年期、薄紫系4枚は成人期、最後の薄い茶系2枚は高齢期を意味している。1枚ずつの深い意図はなかなか理解しがたいとはいえ、飽きずに眺め続けてしまうだろう。

3枚組「Alterpieces」(1915年)も、印象的だ。物理的な世界と精神世界との間を行ったり来たりするスピリチュアルな革命を表現しているという。彼女は精神が物質よりも優れていると信じ、その確信は生物や物理の知識によって強まったそうだ。 

抽象的な作品の一般的な傾向のように、彼女の各シリーズに込められた意味はぱっと見ただけではわからない。上に挙げた黒地に多色遣いの円の絵は、24枚のシリーズ「The Swan」(1914~1915年)のうちの1枚「No.16」だ。No.16は、男女や精神的・肉体的愛情を色で表現しているという。本シリーズには、白鳥と黒鳥1羽ずつを描いた絵もあるし、大きい貝1個の絵、立方体を連ねた絵もある。彼女はこのシリーズで男女のほか、善悪、生死といった二元論も描き、それらの境界がなくなっていくことも表現している。

彼女がいま脚光を浴びている理由は、女性であること、こんなアーティストがいたのだという驚き、そして、作品を高く評価する柔軟な社会的背景のためだろう。82歳で他界したアフ・クリントは、亡くなる10年ほど前の1932年に、「作品は、死後少なくとも20年は公開しないように」と記した。彼女は、自分の作品は当時の人たちではなく、未来の大衆こそが理解してくれると信じていたそうだ。

死後、およそ30年経って財団が設立され、1980年代から徐々に展覧会が開かれたが、風向きが追い風へと大きく変わったのは、2013年のこと。ストックホルムおよびヨーロッパ各地で開催された「抽象画の先駆者(A Pioneer of Abstraction)」展が大好評を博し、以降、ニューヨークのグッゲンハイム美術館(2018~2019年)、オーストラリア(2021年)、ニュージーランド(2022年3月まで)での個展も話題を呼んだ。すでに彼女に関する動画がYouTubeに多数アップされている。

また、2019年に初の映画「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」も公開され、日本でも2022年4月より全国で順次公開されている。いまや、アフ・クリントは美術界で重要な人物と位置付けられた。日本で彼女の個展が開かれれば、どれほど多くの人たちが魅了されることだろう。

彼女は「女性抽象派110人展」においてもカギとなる人物だったが、ほかにも、いままで知らなかった、興味をそそられる女性アーティストはたくさんいた。そんなアーティストたちとの出合いは、心に新たな潤いを与えてくれた。


ビルバオ・グッゲンハイム美術館
WOMEN IN ABSTRACTION(2021年10月22日~2022年2月27日) 
「VIRTUAL TOUR」で、展示が見られます。


岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/