チューリヒ中央駅から2~2,5時間で到着するスーシュ(Susch)は、人口200人余りのスイスの小さい山村だ。近くにはスイス唯一の国立公園や、世界経済フォーラム(WEF 通称ダボス会議)が開かれることで有名なスキーリゾート地のダボスがあるが、最近まで、スーシュは観光客とは無縁だった。そんな村に契機が訪れたのは、2019年1月のこと。ここに、特別な現代美術館(私立)がオープンし、国外からもわざわざ人が訪れるようになった。

そのこじんまりした「スーシュ美術館(MUZEUM SUSCH)」は、カトリック教巡礼路に建てられた築860年以上の修道院と、山水でビールを製造するために19世紀に作られた醸造所を改築したものだ。法で保護された歴史的建築物のため、外観の原型を保つことが義務付けられており、内側だけを改造した。シンプルな建物は清潔感を醸し出し、優美そのもの。

賞賛される美術館の建築

美術館は内外とも漆喰、木、石、岩がバランスよく組み合わさっており、山深い村の風景と一体化している。材料は地元産で、川から取った砂や石も使った。

改造に当たり大きなポイントとなったのは、地下に展示スペースと通路を作ることだった。岩盤を掘り、9千トンもの岩を取り出した。その岩は、展示室の床に利用されている。

設計は、Chasper Schmidlin とLukas Voellmyの2人の建築家が担当した。角型や丸みを帯びたサイズが違う展示室が迷路のように配置されており、 建築と展示作品とが織りなす雰囲気も独特だ。建築の完成度が高く、オープン後に国内を始めヨーロッパの建築業界でたちまち話題になった。国内では、先駆的な建築専門サイトSwiss-Architects.comが開催する、読者が選ぶ建築賞 「今年の建築」2019年版に、50の建築物の中から選ばれた。また、スーシュ村が属するグラウビュンデン州の観光局では、スーシュ美術館を、スイスの巨匠建築家ピーター・ズントー作の聖ベネディクト教会テルメ・ヴァルスとともに、同州の「最も美しい建築ベスト10」として挙げている。

スーシュ美術館を設立したのは、村の近隣に住むポーランド出身の女性実業家・アート収集家のGrażyna Kulczyk氏。新聞のインタビューによると、アートの普及に情熱を傾けてきた彼女は、人が少ない静寂の中でアートにじっくり親しむと同時に、日常の喧騒を離れ、自然に心身を解き放つひと時も持てる「スローアート」のコンセプトに興味があり、自分の夢をかなえてみたいと思ったのだという。この村を選んだのは偶然だった。スーシュ村に立ち寄った時に初めて、廃墟と化していた修道院と醸造所があることを知ったそうだ。

スーシュ美術館では、とりわけ女性アーティストたちをサポートし、女性のセクシュアリティをアピールしたり伝統的な性別役割を指摘する作品も積極的に公開している。

メッセージ性が強い常設作品

美術館は、橋を渡った小道の両脇にある。出入り口は左手の棟の1箇所のみ。この棟には常設作品がいくつか展示してあり、多目的ホールやビストロなどもある。右手の展示棟とは、地下通路(頭上が小道)でつながっている。

常設作品は10数点。「この場所ならではの特別な作品」と説明があるように、どれも見応えがある。鑑賞するチャンスがあまりない、ポーランドのアーティストの作品が多めだ。

エントランスホール入るとまず見えるのは、天井まで届きそうな高さの「From the Series The Theater of Disappearance XXXI」。42歳の若手アーティスト、Adrián Villar Rojas(アルゼンチン生まれ)作だ。青いコンクリートの上に平らな岩を置き、それを支えに層状の四角柱が立っている。貝殻、サンゴ、魚、植物、昆虫、動物の骨、砂、土、鉱物、工業製品、手工芸品など、有機的な素材と合成的な素材が混ざっている。地元を調査して収集したものだという。地理的、また文化的な独自性を表現するとともに、過去から未来への時間の流れも表している。

Izabella Gustowska作「Dreams in Black」の Iと II

チケット売り場の向かい側の小部屋には、巨大な女性像が2つ並んでいる。ポーランドのIzabella Gustowska作「Dreams in Black」の Iと IIだ。Gustowskaは夢をテーマにした作品が多く、自分が見た夢も扱う。本作は彼女の母親が亡くなる前に作り始めたといい、愛する人の死に面した自身の喪失感の記録だという。悲しい作品ではあるが、不思議と重苦しさは感じられなかった。元は宗教的な場所で、こういう作品にも違和感がないからだろうか。窓から差し込む光も、悲しいムードを和らげていたのかもしれない。

チケット売り場を過ぎると、地下へ続く階段が2つある。一方には、スイス人のSara Masügerが作った真っ白い狭い空間「Inn Reverse」がある。これは、スーシュ村近くの渓谷の岩を模した彫刻だ。もう一方には、テキスタイルを使ったアーティストとして知られるMagdalena Abakanowicz(2017年没)の「Flock I」がある。彼女はポーランドを代表する国際的アーティストで、第二次世界大戦下と戦後の共産主義下で育った。その政治的な抑圧の中での生い立ちが作品に反映しており、「大勢の中の個性、また両者の緊張感」というテーマを貫いた。この顔のない20人の人々は、軍隊を表現しているとみられる。

Monika Sosnowska作「Stairs」

右手の棟に移ろう。スケールが大きい金属「Stairs」は重さ約1トン、高さは14メートルある。リボンのようにも見えるが、階段だ。ポーランド出身のMonika Sosnowskaの作品で、ほかにも階段の作品を制作している。彼女は鉄骨、コンクリート、パイプなどの建築資材を使い、歪んだ形の彫刻を作り上げる。そして、見る人が、奇妙だけれどもどことなく魅力的を感じるように意図している。美術館によると、Stairsはこの棟の歪んだ背骨だと解釈できるという。

Zofia Kulik作「Ethnic Wars. Large Vanitas Still Life」

「Ethnic Wars. Large Vanitas Still Life」という名の作品は、一瞬ドキッとする。パターン柄に頭蓋骨を描いた1枚1枚は戦争の犠牲者となった女性(スカーフを頭に巻いた女性)を象徴し、戦争がいかに残虐かを表現している。作者は、戦後のポーランドで育ったZofia Kulik。女性の立場から男性中心主義を批判するなど、アートを通じて政治的なメッセージを伝えてきた。

真っ白い展示室にあるJoanna Rajkowska(ポーランド出身)の「Painkillers」という名の武器も、思いがけない作品だ。天井から吊るされた特大のオブジェは、広島に投下された原爆のレプリカ。素材は、粉末のポリウレタン樹脂に鎮痛剤を混ぜたものだ。生物兵器は製薬工場で製造されることがあるという。彼女は、人間が苦痛を与える手段も苦痛を和らげる物質も作り出す矛盾を風刺している。

Joanna Rajkowska作「Painkillers」

企画展でも建築美を味わい、楽しむ

常設展をつぶさに鑑賞したら、企画展もゆったりと見ていこう。現在開催中の企画展は、ポーランドからコロンビアに移住した両親のもとに生まれたアーティストFeliza Bursztyn(享年49歳)の回顧展だ。

約50点の彫刻、映像、資料のほとんどはヨーロッパ初公開となる。「溶接の狂気」展と題された通り、機械の破片、タイヤ、ボルトなどの金属をつないだ作品が多い。コロンビアにおける束縛された女性のライフスタイルを拒否し、政治的な見解を作品に反映させた。展示室ではあらゆる方向から作品が眺められる。部屋の光と影、木や石の素材感も同時に楽しむことができる。

すべてを見終えたら、清々しい気分になっていた。「遠出してよかった」という思いが込み上げてきた。ほかの訪問者も同じだったようで、チケット売り場の方へ戻ると、何人もがスタッフに「素晴らしかったです。また来ます」と声をかけていた。常設も企画も展示品は個性が強いが、落ち着くべきところに落ち着いているという印象を与えるのは、見事な建築と風情ある周囲の景色が作品を絶妙に受け止めてくれるから。ダボス近辺を訪れる人には、隠れ家的スポットとしておすすめしたい。


MUZEUM SUSCH

Susch駅より徒歩3分。
開館日は木曜日~日曜日の11時~17時。館内にビストロあり。
2022年6月26日までの企画展は「Feliza Bursztyn: Welding Madness」

Photos by Satomi Iwasawa

岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/