最果ての地。この響きは断崖絶壁に荒涼の海という殺伐とした風景を彷彿とさせるが、9月4日(土)から11月5日(金)*まで開催される「奥能登国際芸術祭2020+」の舞台となる石川県珠洲(すず)市は、すこし様子が違う。今年16の国と地域から53組のアーティストが参加する芸術祭の街を彩るのは、田の緑に海のブルー、瓦屋根の光る黒。多くの神々が住むという地はむしろ、楽園ゆえにあえて人目を避けた、RPGゲームのボーナスステージのようだ。事実、地図を見てみると街が「守られている」と感じるだろう。日本海に半円を描くように突き出る、能登半島の先端に鎮座する珠洲市。まるで湖のように本州との間に海を抱く地形は、大地がなにか大切なものを抱えているようにも見える。
とはいえ楽園の民が熟した果実をいつまでも味わえるほど、世の中は甘くない。かつて朝鮮文化の受け皿や北前船の寄港地として栄え、多様なモノと情報が行きかっていた街は、さぞ活気に満ちていたはず。しかし地方高齢化の波には逆らえず、人口は市が合併された1954年当時の約38,000人から、現在約13,000人までに減少。今でも金沢から車で約2時間半、つまり東京から北陸新幹線を使っても半日ほどかかるこの街は、「本州で最も人口の少ない市」に認定されてしまった。
だからこそ「奥能登国際芸術祭」が初めて開催される前の2013年頃に、商工会議所のメンバーたちが大きな危機感を持っていたことも頷ける。日本における芸術祭のパイオニア、アートディレクターの北川フラム氏が手掛ける「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」を訪れ、地域振興の明るい可能性を見いだした彼ら。なんと芸術祭を訪れたその足で、東京の北川氏の事務所へ直接出向いたというから情熱のほどが分かるだろう。
「あまりの熱烈なアプローチに、北川さんのスタッフの方々は『珠洲に行くと言わないとこの人たちは帰らないかも』と思ったそうです」と、事務局である「サポートスズ」の鹿野桃香(かの ももか)さんは、笑って話してくれる。「珠洲は、豊かな祭礼の伝統や里山の食文化をもつ場所。世界農業遺産に認定され、さらに能登半島ブームで注目されたりもしましたが、外側からの視点によって自分たちの良さに改めて気付かされることってありますよね。北川さんのギャラリーの方が珠洲を訪れ感じた『日本の原風景』という言葉が、そのまま芸術祭のテーマになりました」
「自然と人のパワーを感じるのが珠洲」と、鹿野さんは楽しそうに魅力を続ける。「初めての人が来たら、こんなに美しい場所があるんだ、と感動すると思います。まず海と山がとても近いですし、里山の風景や瓦屋根の街並みも綺麗。私は埼玉からの移住組なのですが、冬の晴れた日にエメラルドグリーンの海を見て移住する決心がついたほど。またキリコ祭りなどのお祭りも多くエネルギッシュ。地元の高校生たちがお父さんから受け継いだキリコ祭りの衣装を着ている姿は、すごくお洒落でかっこよかった。民俗衣装を着る高校生がいる街って素敵!と思いました。東京の流行りとはかけ離れているけれど、元々大事にされているものを今の高校生が大切に受け継いでいるという文脈も、移住の後押しになりましたね」
この芸術祭の第一回目が開催された2017年以降、鹿野さんのように珠洲市で生活を始める若者は増加。自然な暮らしに憧れる移住組の第一世代をへて、大学などで関わった第二世代をとおり、今は芸術祭がきっかけとなり移住する第三世代を迎えている。
「芸術祭が行われている街は、アートを受け入れていて新しいことにもオープンに見えるのでは」と鹿野さんが話すように、芸術祭事務局のスタッフも移住組がほとんど。そして実際に地元の人々も、若者が頑張っている姿を見て食べ物の差し入れをしてくれたり、芸術祭の作品作りに協力したりと、お互いを理解しようとしてくれるという。
大学在籍時から芸術祭の仕事に就きたいと、各地でインターンをしていた鹿野さん。だからこそ、彼女が「芸術祭に飲み込まれたくない」ときっぱり言い放つのも印象的だ。「珠洲市の文化に、リスペクトを忘れずにずっとやっていきたいと思うんです。珠洲市だからこそできる、芸術祭のあり方を考え続けていきたい。以前、瀬戸内国際芸術祭の関係者がお手伝いに来てくださったとき、『ここには生き方に鷹揚さがある』と仰っていて。地域の顔が見えているから、なにか困ったときにこの人に聞いてみようとすぐに思えるんですよね。生活圏内の中で各々の役割が明確にある。都会にいる何十万のうちの一人ではなく、アナログが残っているからこそ、人との繋がりが強いのだと思います」
その繋がりの力は、「奥能登国際芸術祭2020+」に出展するアーティストをも巻き込み、新しいアートまで生み出した。珠洲市の自然や歴史にインスパイアされた作品のなかでも特に注目なのが、今回初の試みとなる『スズ・シアター・ミュージアム「光の方舟」』だ。使われなくなった農具や漁具、民具など約1500点を回収し、モノに込められた歴史や想いを映し出す劇場型の民俗博物館。
例えば、祭りで人をおもてなしする文化を反映した、各家に20脚はあるという朱の漆器。地元のサポーターたちはこの御膳のタワーを並べ積んだりと物理的なお手伝いだけでなく、アイディア面からもアーティストを支えている。芸術家たちは地元の人々が語るエピソードから想像の世界をさらに膨らませ、逆に珠洲の人々は世界に対する新たな気付きをアーティストから得る。そんな視点の交換が、この芸術祭をより豊かなものにしていく。
「70代、80代以上の方々が話す戦争や貧困の話、農業の話は、自分が今ここに立っていることが何千年、何百年の地続きであることを実感させてくれます。何を大事にして、何をやっていくべきかは、歴史を振り返らなくては分からない。また今年はコロナ禍で制限されていますが、全世界のボランティアの方々とも繋がりを感じます。芸術祭のボランティア同士は顔見知りも多いので、数年に一度集まるとまるで学校の同窓会やお祭りのよう。肩書きは関係なく、自分の帰る場所、呼吸のしやすい場所は、誰にでも必要なのではないでしょうか」
つまるところ祭りとは、神事の場であると同時に、様々な立場の人々と同じ思い出を共有し絆を深める場。「奥能登国際芸術祭」は、そんな祭りの原点を彷彿とさせてくれる。作品を手掛けるアーティスト、迎え語る地元の人々、調整し実現するオーガナイザー、全世界から駆けつけるサポーター。これら関わるすべての人が「私たちの」芸術祭と呼ぶアートのお祭りが、とびきり魅力的に映るのは至極当然なのだ。
(後編に続く)
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芸術祭概要
奥能登国際芸術祭2020+
会期 2021年9月4日(土)-11月5日(金) *
時間 9:30-17:00
休館 祝日除く木曜日(一部作品を除く)
会場 石川県珠洲市全域(247.20km²)
参加アーティスト 16の国と地域から53組(うち新作47組)
※10月1日(金)より作品全面公開
主催 奥能登国際芸術祭実行委員会
*石川県内にまん延防止等重点措置が適用されていたことから、作品の公開範囲を限定しておりましたが、9月28日、政府が措置の解除を正式決定したことを受けて、10月1日(金)より作品を「全面公開」することになりました。
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写真提供:一般社団法人サポートスズ、奥能登国際芸術祭実行委員会、鹿野桃香さん
執筆:大司麻紀子