ケニアの大都市ナイロビ。美術館の数こそ限られているものの、ブティック型のギャラリーが点在する。そのなかでも特に名の知られているギャラリーが、2012年にオープンしたサークル・アート・ギャラリー(Circle Art Gallery)だ。東アフリカの現代アートを中心にコレクションを展開する同ギャラリーは、ドバイ、ケープタウン、ラゴス、ロンドンなど世界各地のアートフェアにも頻繁に出展している。ナイロビを代表するこのギャラリーで、7月23日までの1ヶ月間の個展を開催しているのが、エジプト人画家のスーアド・アブデルラスール(Souad Abdelrasoul)だ。

欧州偏重の美術教育を経て、アフリカと出会った

アブデルラスールは1974年カイロで生まれた。大学では美術を専攻し、美術史の博士号を取得。博士論文は西洋と東洋の美術比較がテーマだ。たとえば東洋美術は魔法・呪術的なモチーフが特徴的なことに対し、西洋美術は科学的なモチーフが特徴的であるといったような比較論を研究した。

一方、自身が経験した美術教育は欧州に偏りがちなものであったという。北は欧州、南はアフリカに挟まれたエジプトだが、一般的にエジプト人たちは「北」に対しての憧れや野心を持っていることが多いとアブデルラスールは語る。カイロで、後に夫となるスーダン人画家サラ・エルムール(Salah Elmur)と出会ったことをきっかけに、スーダンやケニアを旅するようになり、彼女はアフリカを「発見」した。東アフリカでの経験を経て、自身とアフリカとのつながりをより強く感じたという。彼女がとくに印象的に感じたのは、アフリカの女性たちの経験のなかに共通して存在する苦難(sufferings)だ。それはたとえば、さまざまなハラスメント、暴力、労働、母親としての責任などだ。自らをフェミニストの画家とは標榜しないが、女性である経験を経たさまざまな感情が彼女の作品に投影されている。

彼女がアフリカでの経験から感じ取った要素が「ディティール(精細さ)」だ。自然環境や文化のなかに存在する色、かたち、人々の声など、すべてのものが荒々しく感じられ、そこに芸術的な美しさを見出したと彼女はいう。アフリカとの出会いは彼女のアート作品にも直接的に影響した。彼女の絵画作品のなかにみられるワイルドさ、描かれる人物の目の表現、肌の色、動植物などはアフリカの文脈に影響を受けたものだ。目の表現においては、深い悲しみを表すようなディティールは、彼女の作品において非常に特徴的である。

人物以外に、木や植物といったモチーフもアブデルラスールの作品に頻繁に登場する。彼女は、とくに枝が伐採された木と女性の間につながりを感じると語る。伐採された木の断面に美しさがあるという。そして、枝や幹が伐採されても、その状況に応じて別の方向に枝を伸ばしていく木の姿は、社会構造のなかで適応しながら(もしくは適応させられながら)生きていく女性たちの姿のようであるとアブデルラスールはいう。

サークル・アート・ギャラリーで開催中の個展には「Behind the River(川の背後)」というタイトルが付いている。川とは、エジプトを縦断するナイル川のことだ。エジプトで暮らす人々にとって、ナイル川はとても重要な存在。そしてアブデルラスールにとっては、川の広がり方が花のように見えるそうだ。

人も、植物も、動物も対等に存在する世界

アブデルラスールは、小学校に通い始めたころから絵を描いていたという。しかし、絵を描くきっかけとなったのは美術の授業ではなく、生物の授業だったそうだ。生物の授業で臓器や植物の解剖図に惹かれ、その細かい写生を通じて絵のおもしろさに目覚めた彼女。動物や植物のリアルな描写は現在の作風にも表れている。アブデルラスールはいまでも自分の手で植物を育て、その様子をじっくり観察するという。こうしたプロセスは彼女のアート作品のインスピレーションの源泉となっている。

小さいころは書物が好きで、自分の世界に閉じこもることが多かったという。7歳ぐらいのころから兄弟とともにお小遣いを貯めて、雑誌などを購入していた。ティーン時代はドストエフスキーの『罪と罰』など、比較的難解な文学に読みふけっていたそうだ。また、大人になってからも『変身』など、カフカ作品などに触れてきた。カフカ作品は彼女の想像力をかきたて、アート作品に大きな影響を与えている。

パンデミックが始まってからの最初の5ヶ月は、夫、娘、アシスタントとともに家に閉じこもった暮らしをしていたという。パンデミックが始まってから最初に描いた絵は、マスクをした男性が悲しい目をして、寒々しい環境のなかでうずくまって寝ている作品で、孤独をテーマにしている。人物の背中から生えている植物は、長い時間の経過を表している。一方、背景の桃色には希望が感じられなくもない。

彼女は人間と自然を平等に見ているという。その作品には人物、動物、植物、自然の風景といった要素の対等なジャクスタポジションがみられる。人間がほかの生命体より優れているとは全く思わないと彼女は語る。人間は決してほかより優れた存在ではなく、人間は地球環境とうまく共存していかなければならない。この事実は、パンデミックと通じて多くの人が少なからず実感したことではないだろうか。こういう状況だからこそ、アブデルラスールの力強い作品に、多くの人が引き込まれ、自らの感情を投影することができるのではないだろうか。


Maki Nakata

Asian Afrofuturist
アフリカ視点の発信とアドバイザリーを行う。アフリカ・欧州を中心に世界各都市を訪問し、主にクリエイティブ業界の取材、協業、コンセプトデザインなども手がける。『WIRED』日本版、『NEUT』『AXIS』『Forbes Japan』『Business Insider Japan』『Nataal』などで執筆を行う。IG: @maki8383