新しいことが好きだった幼少期。映画との出逢い

子どもの頃は「落ち着きがない」と言われるタイプ。同じことをずっとやるよりも新しいことが好きで、変な遊びをつくってみんなで遊んだりしていました。部活も小学校はサッカー、中学は卓球、高校はバスケといろいろやって。高校の終わりの進路相談の時にアメリカへの留学を決意したんですけど、英語ができたわけでもなかったので、秋田にあるミネソタ州立大学の提携校を経由してからミネソタの本校に転入して、卒業後はニューヨークに住んで10年以上になります。

日本では映画業界自体のことを知らなかったし、アートとか表現活動自体にクローズドなイメージがありました。美大へ行くにしても、彫刻やりたくても、デッサンの入試を受けなきゃいけなかったり、「こうじゃなきゃいけない」っていうのが強いという印象だった。でもアメリカではもっとアートが開けたもので、「誰でもやっていいんだ」と思って進めたということがあります。学校で映像作品をつくったら「いいね」と言ってもらえて。映画監督になろうと特に意識したことはなかったんです。

ただ、一から作りたいというのはあって、それって自分が書いて監督してっていうプロセスなんです。それをどうしたら続けられるかというのをやってきました。フリーの映像編集の仕事は生活のためでしたが、将来の監督業につながるものをと考えていました。

好きな監督は今村昌平、イ・チャンドン、ミケランジェロ・アントニオーニ。俯瞰した視点が好きなのかもしれないです。特に今村昌平とイ・チャンドンは似通ってるところがあると思うんですけど、あの二人は近い視点も離れた視点もすごくあるんですよ。もともと好きだったキューブリックもそうだったし。

現実に寄り添うことを目的にした表現方法

僕の作品はドキュメンタリー的とはよく言われるんですが、フィクションを撮ろうと思ってやっている中で自分とは違う背景の主人公の映画を撮っているわけで、その自分とのギャップをどうやったら埋めることができるかということを探った結果、現実に寄り添う形、先入観を入れないようにするにはどうしたらいいかいう中でドキュメンタリー的な手法になったわけです。

これまでの2つの作品でなぜフィクションをやったかっていうと、ちゃんとテーマと描きたいものがあって、それを物語の中で描くっていうのは当然フィクションの方ができる。ストーリーライン、セリフを書く、テイクを重ねる部分も含めて全部そのテーマに沿ってできるわけですよね。でもドキュメンタリーだと、現実があってそれを追いかけて、撮れたらラッキーじゃないけどそういうものなので、テーマがあっても必ずしもそれを撮れるってわけじゃないんですよね。

『アイヌモシㇼ』でいうと後半ファンタジー的な要素があるけど、あれはアイヌの精神世界に基づいた表現です。フィクションだから何が起こってもいいと言っているわけでもなく、ひとつの同じ話であり、映画の中で地続きで描けるわけですけど。

できるだけ現実に寄り添うという点では、たとえ言語が違っても追求できると思います。たとえばリベリアで撮影した時は、現地では英語が話されているから理解できるし、そこがリアルかどうかっていうニュアンスはある程度わかるものです。もっと言えば、映像で観てリアルだったらその映画のなかでリアルなんだと思います。当然、カメラがある時点で現実ではないので。もし自分がわからない言語だとしても、表情とかをみればそこに実在感があるかどうかは判断できると思います。

その、実在感という言葉がキーだなと思っていて。演じている人間がそのキャラクターにリンクして、本人に見えるかということだと思います。たとえば『ロゼッタ』とか、あの子があそこで生きているとしか思えないですよね。映画の中にあるのはあの子の人生のあの部分でしかなくて、オープニングの前とエンディングの先にあの子の世界があるんだとしか思えない。その実在感、リアルさ。そういう映画を見たときの印象・受ける影響ってすごいものなんです。自分の中でキャラクターが生き続けるというか、映画の枠を超えて想像できるんですよね。そういうところを目指しているのはあると思います。

人によってはモヤモヤすると思うんですよ。「これ」というわかりやすいエンディングではないし、続いていく感じで終わるから。でもそれは映画の都合で終わらせることですけれども、観た人のなかに残った体験から生まれる影響って、意識している以上にあると思うんですよ。だからアイヌのことを題材にして、つくって、そのキャラクターにアイヌじゃない人が見て共感を持って、身近に感じることができたら、きっとそこから偏見を持つことにはならないと思うんです。共感を持つということでその人を身近に感じられるし、そこからつながることってきっとあると思います。

海外から日本の映画業界をみると

海外と比較してしまうとキリがないですが、映画に限らず芸術に対しての理解が日本ではまだまだ低いとは感じています。これだけ素晴らしい才能と文化があるにもかかわらず、政府の助成金など含め、保護しようという姿勢があまり見られなかったり、一般的にも「好きなことをやっていれば大変でも当然」という風潮はやっぱり強くて、それが業界の外だけでなく中でもある。労働時間などの問題も大きいですよね。アメリカだとユニオン、欧州や韓国だと助成金も比較的しっかりしているんですが、日本はどちらも無いんですよね。(日本は助成金は存在するもののその金額は他国と比較して圧倒的に少ない)興行のマーケットでいうと世界3位なのにも関わらずです。収益が作り手に回る構造になっていない。興行利益のリクープ(製作費の回収)が終わった後に監督にお金が入らないのは、世界でも他にないくらいだと思いますね。

僕は大それたことはできないのですが映画をつくった後のところまで、できるだけフェアな形をつくって成功例を挙げたいと考えています。成功例を重ねていくところで「あっできるんだ」と言うことを周りに示して、それならやる・できるという人が増えるように。草の根の活動を広げるっていうのは一番現実的に考えられることかなと思います。

あとは若手支援も確実に欠けています。日本では、とても少ない予算の自主制作で一、二本目の長編を作ることが多いですよね。それで必死に国内の登竜門と言われているところに出して、通ったらそこからプロデューサーに探してもらうのを願う、みたいなやり方が多くて。ただ、最初の一本目、二本目が、キャリアでもとても大事になるので、同じクオリティの作品でも、一本目と四本目では注目のされ方が全然違います。

そういったことも含め、外への出し方も知らないし、それを支援するラボとかレジデンスもない。ということで、いい機会をもらって今年から脚本ラボをはじめています。文化庁、経産省の予算で運営されているVIPOという非営利の団体があるんですけど、海外で日本の若手監督の育成事業をやりたいという相談をいただきました。僕自身、いろいろなラボにいかせてもらってすごく勉強させてもらったから。なんなら映画学校よりもそちらのほうがとても勉強になりました。

日本にはそういったものがないので、僕がこれまでのラボで受けてきた経験をベースにつくっています。本来なら、3人を選考してニューヨークへ連れていき、現地の脚本の講師からの指導も受けてというものだったんですが、今年はコロナでオンラインになってしまいましたけれども。

映画づくりとの向き合い方

映画づくりは今でこそやっているのが普通になっていますが、ぼくとしてはあまり仕事とは思っていないんです。やっているのが普通だから、仕事も私生活も境目がない。フリーランスの人はそういう人も多いかと思いますが、どちらかというとライフワークという言葉のほうがしっくりくるんです。

なぜ映画なのかと聞かれると、一言でいったらやっぱり好きなんですね。本当に大変ですが、その大変さも含めて納得してがんばれるし。映画の可能性や価値を信じているからだと思います。

過去2作は自分の中ではかなり一生懸命に向き合ってきました。できるだけ作品に意味を持たせたいと思っていたし、それが自分のモチベーションにもつながっていたんですが、今はそれが全てとも思っていないんです。本当にその映画を作る意味があったか、影響があったかどうかは観た人だったり社会が決めることなんですね。それに関してはコントロールできない。意図してはあっても結局は自分がやりたいからやっているということにはなるのかなと思います。これまでは、少し肩に力が入ってたと思うんですよ。

一生懸命意味があるものをつくろうって。『アイヌモシㇼ』が完成した後に知り合いのアイヌの方と電話で話したとき、「この映画を通して何か良い影響があればと思っています」と言ったときがあって、「そうですね、でも福永さんは福永さんのためにつくっていいと思います」って言われました。

確かにそうだよなと。結果、誰かのためになるならばいいけど、自分がつくりたくてつくったのが最初。同じようだけど、その順番って大事なんだなと思いましたね。この間、「ラミー」というシリーズを見ていたんですがとても面白くて。ソーシャルコメディというか、エンタメに特化しているんだけど社会性もちゃんとあるのって素晴らしいなって。

だから僕も、今までのように肩ひじを張らなくても実は根っこがある作品をつくるやり方もあるなと感じています。何かしらのテーマを絞って、しっかり人間が描けていて、そこに共感していろんなことを感じる体験ができたらそれだけで素晴らしいなって思うし、社会的なテーマにそこまで執着しなくてもいいのかなと思っていますね。

今後は新しいチャンスがありそうなので、いままでとは違うタイプの作品にもチャレンジしてみたいと考えています。


All Photos by Takanobu Watanabe

福永壮志
北海道出身。初長編映画『リベリアの白い血』は、ベルリン国際映画祭パノラマ部門に正式出品され、ロサンゼルス映画祭で最高賞を受賞。長編映画二作目の『アイヌモシㇼ』は、トライベッカ映画祭で審査員特別賞、グアナファト国際映画祭で最優秀作品賞を受賞。現在長編三作目を制作中。


TAKANOBU WATANABE

⼤学を卒業後『HEAPS Magazine』、コンデナスト・ジャパン『GQ JAPAN』を経て映像制作に転⾝。以後2年間、デンマークとフランスを拠点に活動。ジャーナリズムの経験を通した視点と繊細な感情描写が特徴で、ファッションやカルチャーの⽂脈を含めたビジュアル表現を得意としている。

HP
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