昨年12月13日、ブッシュウィックのギャラリー「スーパーチーフ」で「#202_」と名付けられたエキシビジョンが行われた。倉庫を改装した広々とした空間に展示されたのは、ファッションフォトグラファー米良尚泰が1年かけて撮りためたニューヨークの住人100人のポートレイトと、ファッションデザイナー小西翔が手がけたゴミの山のような巨大スカルプチャー。被写体たちは梱包用のプラスチックラップを身にまとい、路上に捨てられた家電、ソファー、ベッドなどを積み上げたオブジェもプラスチックでぐるぐる巻きにされている。その混乱に楚々と、凜と、添えられたのは無数の花だ。

プロジェクト始動当初「#2020」だったタイトルは4桁目をアンダーバーに変えた。そこに来る数字を自由にすることで10年先の都市、人、自然の美学を見通そうとしたのだと言う。それにしても人々が毎日リサイクルに励み、サステナビリティという言葉を意識する中にあって、それに真っ向から抗うような、この大量のプラスチックでの表現は、一体、何を意味するのか?お二人にじっくりとお話を伺った。

小西さんとジュエリー制作でコラボレーションしているキューピッド
Photo by Naoyasu Mera

米良さん、「#202_」の100人のポートレイトは圧巻でした。まずはニューヨークに来たきっかけを教えて下さい。

米良尚泰(以下 米良) 僕はもともとデビッド・シムズ やニック・ナイトが撮っているハイファッション、ハイエンドな写真が好きなんです。でも、日本で大学を卒業して入った撮影スタジオは当時、「赤文字系」と呼ばれる女性誌を多くやっていて、全部カルチャー的には「かわいい」で(笑)僕にはその感じが全くわからなかったんです。一度シムズらが拠点にするロンドンに行ったんですが環境が合わなかったので、だったらエンターテインメントの中心ニューヨークに行くしかないと決めて、2013年にここに来ました。

二人はショッキングなフォトグラファーでしたか?

米良 もう圧倒的な「美」ですよね。強さもあって、パッと見ただけで撮ったのは彼らだなと分かる。だから「海外に行きたい、VOGUEやNuméroのカバーを撮りたい」という目標ができたんです。

それでファッションフォトグラファーに?

米良 母がスタイリストだったので僕の周りにはいつもファッションがあったんです。浪人中、1日予備校で勉強すると家ではもう何もしたくない。だから、ずっとファッション誌を眺めていました。ある時、「僕が撮った方がカッコいいかも」と思っちゃって(笑)

小西さんはなぜファッションデザイナーに?

小西翔(以下 小西) することがなかったんです(笑)僕は夜間の高校に通っていて、卒業する時は「フリーターでいいや」と。でも、親が「何でもいいから進学しろ」と言うので初めて「好きなこと?服?」って想像して、東京モード学園に入りました。

最初は「服を縫うのは縫い子のおばさんだけ。僕は絶対、縫いたくない」って思い込んでいたのでバイヤー志望だったんですが、ここで本来の負けず嫌いが顔をだし、必須の縫製で学年1位になった。そしたら先生が「それだけ縫えるなら」と、2年でデザイナー科にぶち込まれました(笑)

思いがけずデザイナー科に入ったからここを目指したのですか?

小西 いいえ、在学中にモロッコに行って、「ここの人たちと仕事したい!世界中に友達を作りたい!」って思っちゃって。それで担任に「学校、辞めます」と言ったら、「そんなに海外に行きたいなら奨学金に挑戦しなさい」とすごく怒られて(笑)でも、「頑張れば外国に行ける」と夢も広がったので首席取ったんですよ。なのに、奨学金、落とされて(笑)翌年リベンジを果たしましたが、タイミングが合わなくて親の援助でニューヨークに出てきて、1年準備してパリの大学に行き、それからパーソンズに進んだんです、これも奨学金で。

その短期間に2つも奨学金を取るのはすごいです。才能や努力に加えて、なにか運命的なものを感じます。

小西 僕はそれまで何をやっても全部、中途半端。だからファッションに出会って、8年も勉強させてもらって、自分を開花させる場所を見つけられて感謝しています。いまも不思議な感じです。

お二人の出会いは?

米良 最初は居酒屋「べろんべろん」でした(笑)

小西 2年ほど前、僕に米良さんを紹介してくれた人が「その人はパッキパキの写真を撮るよ」と言ったんです。僕、パッキパキの、感覚やニュアンスだけでなく技術が見える写真が大好きで!その頃、スマホで素人感を出すような写真が流行っていて納得してなかったし。でも、米良さんのオールドファッションでオーセンティックな世界には技術がはっきり見えたんです。

それで意気投合したと。

小西 ええ、#202_の前に一緒に別の撮影をしたんですが、どうやら米良さん、それにハマったらしく(笑)

米良 その頃、ファッションモデルしか撮ってなかったんですよ。

え?その撮影のモデルは一般の人だったと?

小西 僕はその頃、モデルより個人に向き合いたいと思っていたので勝手に被写体を呼んだんです。それがちょうどこのプロジェクトの被写体に繋がるような個性的な人。背がすごく低くてマッチョな人で。で、米良さんが「その人のポージング、ショックだった」って。

今度はどんなショックが?

米良 僕はたいてい構図もモデルのポージングも自分で決めて、監督的な立場で細部までコントロールするんですが、その時は完全に即興。「もう使われなくてもいいや」くらいの気持ちで撮っていたら、相手が気合いの入ったすごいポーズをしてきて、驚いて。それで「僕がコントロールするのではなく、被写体のパッションを捉えたい」と思ったんです。

小西 後日「飲みに行こうよ」って呼ばれて、「あの撮影でグっと来たからシリーズ化したい、写真集も作りたい」って。僕は、「だったら、コンセプトを作りますよ、写真集用に100人撮りましょう、せっかくだからアカデミックな要素も入れましょう、そして、コミュニティを作って僕らがここにいた証しにしましょう」って言ったんです。こうして#202_は始まりました。

アカデミックな要素とは何ですか?

小西 昨年、2年間パーソンズで学んだことをまとめた本を出版したんです。#202_のプラスチックに関するコンセプトはその過程で出会ったもの。自然史の定理とか、どういうものが現代の自然なのか、という。

パーソンズに進む前、パリの大学で「ネットとオートクチュールがどのように繋がるか」という卒論を書きながら、苦労してコレクションも完成させたんですが、これで初めて「ファッションとアカデミックリサーチや哲学がどう結びつけばもっと人に伝わるか」を学べたんです。でもパーソンズは卒論不要。だから最初から本を作ろうと決めていました。

小西さんのMUSE、ブルックス
Photo by Naoyasu Mera

そのコンセプトについて詳しく教えてください。

小西 端的に言うと、これは現代の人間と自然史の図鑑です。アカデミックなリサーチで言うなら、この地球上にはたった3%しか都市と呼ばれる地域はなく、僕らはその3%の一部。歴史的にも異常で、珍しい発達をした生き物です。今回の被写体は「その3%に見合った」とでも言うか、とても珍しくて面白い人たち。ジェンダーを介さず、自分を自分らしく表現でき、昔だったら存在さえ許されなかった人間たち。でも、これを認証できるのもこの3%の都市だけ。#202_は僕の想像する人間の未来予想図なんです。

大量のプラスチックと花を配した理由は?

小西 「これが正に現代の人間史であり自然史」という僕なりの結論だからです。
プラスチックはこの3%の都市ではすでに「自然の一部」なんです。無視も排除もできません。昔の人が言う「花」などの自然も僕からすればすでにプラスチックになっている。それがなかったらいま僕らは何もできません。

ギャラリーの中央にあった巨大スカルプチャーは「ゴミの山」だったのですか?

小西 僕としては「宝の山」として積み上げました。素材の「ゴミ」と呼ばれるものはギャラリーの近所で1週間かけて集めました。扉、ソファー、ベッド、テレビ。道にいっぱい捨てられていましたよ。

でも、どうジャッジするかなんです。例えば、たかが布でもその人にとって大切なら宝物だし、例えば、僕はテレビもレンジも作れないから技術革命の塊の家電が大好き。要は記憶や思い入れです。でも、いまの都市の人間の感覚はひどく鈍っていて、そういう存在を1対1で見つめることすら出来なくなっている。しかもあの「宝の山」のプラスチックも家電もやがて地層になり、僕らが滅びた時に僕らを語る遺跡になるんです。それに対して、いま「ゴミ」と決めつけるってどうなんですか?と問いかけているんです。

トレンドとして多くのファッションデザイナーが意識する「サステナビリティ」。その中でデザイナーとして大量のプラスチックを使う表現は勇気がいることだったのではありませんか?

小西 業界でよく言われる「サステナビリティ」は、現実をさておいて「イイ人ぶる」のがいまの流れ。ないと生きていけないのに「プラスチックはダメ!」だと言う。だったら、「ネットもスマホも捨てて森に帰ってください、それで、どうぞ地球のために生きてください」ってことになるんです。でも、都市の人間にはもうそんなこと出来ないんですよ。僕は都市化の現実にもここニューヨークにも美学を感じています。だから、ダメと言うのも分かるけど、基本を理解して、受け入れるべきは受け入れて、極端な暴走は止めましょうと言いたいだけなんです。みんなに「そんなこと言うなんて危ないよ」と批判されてもそこから議論を始めたいんです。

ファッションデザイナーのその発言、貴重ですね。

小西 人は生き物を着ないですよね。ファッションって、何か尊い物が死んで、その死を祭り、それを素材として受け入れて躰を覆うセレブレーション。だから、プラスチックを巻いたあの100のポートレイトは、いまここに生きるユニークな人たちが生き物の死骸を身にまとってそれを祝福する儀式なんです。

プラスチックという生き物の死骸をまとっていたんですね。

小西 はい、恐竜の死骸を。太古の生き物が石油となり、そこからプラスチックが出来ていますから。

ヴァネッサ&デイヴ・モラレス夫妻。「始まり」の意味を込めて今展示のフライヤーなどに使用したメインビジュアルは、生まれてから撮影したご夫婦の赤ちゃん
Photo by Naoyasu Mera

この3月、ニューヨーク市はプラスチック製レジ袋を完全に排除するという極端な動きに出ました。これについてどう思いますか?

小西 例えば将来、世界が「プラスチック全面禁止!」などと極端な動きに出たら、プラスチックはなんと、排除される存在から尊いものへと変わりますよ!だから、僕はいまの流れやシステムがずっと続くとも思っていません。

米良さん、小西さんのコンセプトを受けて100人の「図鑑」を撮り終えたいまのお気持ちは?

米良 このプロジェクトの撮影に関しては表現は向こうがするというところから始まったので、全く何も言わないと決め込んでいました。被写体にこのポーズ、あのポーズと言いたくないと思えた。だから成立したと思っています。

そうそう、そもそもなぜ小西さんだったのですか?

米良 僕はミーハーでマスな人間で、そういう写真を撮る人間なんです(笑)そればかり撮ってきたから「VOUGEやりたい」とか言っている。ショウ君はちょっと変なことを言いがち(笑)でもデザイナーにはそういう部分があって良いし、ダークな部分もジブリ感もある。自分の世界観がものすごく強いので、そこに僕の得意のマスの枠をはめたらもっと見えやすくなるかな?と。

小西翔さん(左)と米良尚泰さん
Photo by Naoyasu Mera

お二人、最高のコンビネーションですね。

小西 #202_は米良さんとでなければやっていないです。写真に対する姿勢と技術を純粋に尊敬しているから一緒にやったんです。そうでなれば100人も撮ってないです(笑)

米良 ショウ君も僕もお酒を飲むのが大好きで、僕としては「飲み友達と一緒に撮った」と思えたのが良かったんです。それにこのプロジェクトは僕がやろうと言い出したし、これで終わりじゃない。

僕の中では「土台を作りたい」というのがあって。例えば、日本人がVOUGEやELLEを撮るとなると文化的に「大変だな」と思うだろうから、僕がその土台に、そういう立場になれれば、と。きっと、ショウ君も学校で先生をしているから「自分が先頭を突っ走る!」というのがあると思います。だから、「このままぶっちぎれ!」と。
僕たちは、そうあるべき、なんでしょうね。

Created by Mrs. RHINO


米良尚泰(めらなおやす)
1987年生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、外苑スタジオに入社、アシスタントを経てフォトグラファーとして独立。2013年よりニューヨークに拠点を移し、活動を続けている。今年クリエイティブプロダクションMrs. RHINOを設立、代表も務める。
naoyasumera.com

小西翔(こにししょう)
1991年高知県生まれ。2015年東京モード学園高度専門士コース卒業後、フリーランスデザイナーとしてニューヨークへ渡り、複数のデザイナーの元でアシスタントとして経験を積む。2017年パリのParis College of Art Haute Technology and Haute Couture Fashion Design進学。卒業後、再びニューヨークに戻り2019年PARSONS Fashion Design and Society にてMaster of Fine Arts in Fashion Designを取得。同年CFDA FASHION FUTURE GRADUATE SHOWCASE in NYを受賞するなど受賞歴多数。現在はニューヨークで教鞭も取り、ファッションデザインの枠にとらわれない活動にも精力的に取り組んでいる。
sho-konishi.com
著書「GARDEN OF EDEN: BOTANICAL MASTERPIECES COLLECTION


林菜穂子(はやしなほこ)
東京出身。ニューヨークでライター、フォトエディター、撮影コーディネイター、広告制作などに携わる。1997年、独立。現在はブルックリンのブッシュウィックを拠点に、アート関連の活動にも取り組んでいる。
Instagram: @14cube