来年の東京オリンピックから正式種目として採用されるスケートボード。カルチャーとして生き続けてきたそれがいま、大きな分岐点を迎えている。今回は、アムステルダムスケートシーンをもっともよく知る人物に話を訊いてみた。
ベニー・コマラ(43)。彼は、この街で最もアイコニックなスケートショップ「Ben-G」のオーナーであり、現役のスケーターでもある。25年前、彼はEnkhuizen(エンカハウゼン)という郊外の町からアムステルダムにやってきた。
スケートに魅了され続けた人生
「5歳からバナナボードに乗り始めて、10歳のときにドイツの叔母さんにLogan earth skiのスラロームボードのおさがりをもらってスケートを本格的にはじめた。最初は、バスケットコートとかで練習していたね。その頃、スケートマガジンを見てカッコよさに圧倒されて。プッシュだけじゃなくていろんな技ができることを知ったんだ。地元の小さな街で年上のスケーターグループの人たちと知り合ってからは、技を教えてもらいながらひたすら練習する日々だったよ」
現在のアムステルダムは、アスファルトの劣化が進みほとんどが粗い道になっている。そのため、クルーザーウィールでないとプッシュが難しく、街中でもスケートで駆け抜ける姿はそれほど見かけない。しかし当時は、アスファルトも舗装されたばかりで、街中を駆け抜けることができたという。
そして、Bennyが20歳のときにアムステルダムに来てからは、学業と両立しながら「Subliminal」というスケートショップやバーでアルバイトをしつつ、スケートをする生活だった。そこから、彼の人生は急展開する。
小さなきっかけで自分のスケートショップをオープン
「バーで一緒に働いていた1人が、とあるビルのオーナーで、そのビルの2階にはPattaというスニーカーショップが入っていた。だけど1階が空きスペースになっていたんだ。それである日、バーで酔っ払ったときに『1階空いてるならスケートショップやらせてよ』って無意識のうちに彼に言ってたんだ。その4ヶ月にはショップをオープンしていたよ(笑)」
ショップがオープンしたのは2005年。当時は、友人のジオベルトと一緒に店をやろうと考えていたことから、2人の頭文字をとってBEN-Gとなった。しかし、結局ジオベルトは家業の関係で参画できず。ベニー1人で店をまわしていくことになった。
「大変な時期もあった。スケートショップといっても、スケート自体は利益を生みずらいからね。当初は売り上げの80%がシューズだったんだけど、みんなオンラインで買っちゃうようになって。今では服が80%。それでも服だってオンラインで買えるから、セレクションだったりオリジナル商品で勝負しなければいけない。1足の靴を売る分をとり返すにはTシャツを3枚売らなきゃいけない」
スケーターショップといえども、常にスケートの周りにあるファッションがショップを成立させてきた。ただ、ファッションが1人歩きしてきたこの時代の流れもあるのも事実である。
「つねにファッションとスケートは繋がってるよね。スケーターのファッションを見ると、カッコよくてすべて基本的にレトロ。でも、トレンドのスピードが10-15年だったのがSNSとかの出現でかなり早くなっている。前はトレンドが顕著でバギーパンツが流行った時は誰もが履いてたりしたけど、いまはもうちょっと多様性もある気がするしね。
昔はファッションって、小さなグループの中でしかなかったからね。例えばOld Skoolを仲間がレッドとブルーを持ってたりしたから、黒を買ったんだ。友達と被りたくなかったからさ。でもいまはみんな黒だよね。まあSNSとかの影響が大きいと思うんだけど。だから“あのセレブが着てたから”って理由だけで服を買う人も多いよね。Supremeきてる人でもほとんどスケートしていない(笑)でも、いい意味でも悪い意味でも、ファッションがスケートのイメージを大きくつくってきたとは思う」
カルチャーとしてのスケートからファッションとしての一面が注目されて、かたちを変えてきたこの20年。そしていま、スポーツとしてのスケートが注目されようとしている。
「スケートのスタイルも大きく変わっている。ボードの種類も増えたり、GX Crewとかのダウンヒルをする奴らだったりボウルライダーとかいろいろ。ロングボードだって一応スケボーだからね。昔はみんな一緒だったけど。まあ、どれが上でどれが下とかはないんだけど、好みはあるよね。ただただフリップイン&フリップアウトしてる映像とかはつまんないし、Gino Pushとか観る方が僕は好きだよ。
いまSLS(STREET LEAGUE SKATEBOARDING)やってるけど、インスタを見ればそれだらけになってるよね。自分は興味ないけど、それも今のスケボー多様化の一種だとは思う。オリンピックだってそう。賛否あるけど、最低限スケボーの認知には繋がってはいるからね。
自分たちからすると、オリンピックはフィギュアスケートみたいな感じ。第3者の主観で評価するってこと自体がちょっと違うし、サッカーとかと違って誰もがみて勝敗がハッキリするわけじゃないからね。まあ楽しくはなるんじゃないかな、オリンピック。たぶん観ないと思うけど(笑)」
アムステルダムのスケートシーンの変移
「昔はイースト、ウエスト、それぞれのエリアにシーンがあってその場所にいればそれぞれのクルーがいた。いまはオリンピアスクエアがスケーターの集合場所になってるけど、昔と違ってグループチャットとかでどこでも集まれるようになってるからね。それが一番の違いかもしれないな。そこからはみんなバラバラにスケートするようになって、前ほど大きな1つのスケートシーンとしてはなくなったのかもしれない」
スケートは形を変えて成長し続けているものの、スケートショップは増えるどころか減り続けている。そのなか、新しい世代がカルチャーをつくろうと立ち上げたのがPOP TRADING COMPANYというブランド。Bennyがショップを初めて以来14年、幾つかのスケートショップはシャッターを閉める中、それ以降の世代が出てくることがなかった。その中で、ついに現れた新世代。
「彼らには頑張って欲しいんだ。若者がスケートカルチャーに関わって新しいことをすることがとても大事だから。うちの店でも積極的に取り扱ったりしてるよ」と、BennyはPOPの全面的なサポートを約束。
ブランドが成長すれば、路面店を持つことができる。
アムステルダムは小さな街で、BEN-Gで働く若いスタッフや地元のスケーター達はほとんどが顔見知り。幼少期からお互いを知る彼らの絆も深く、このショップはとても貴重な集合場所となっている。その場所の重要さを知るBennyだからこそ、次の世代を担う若者に対する思いも強い。
カルチャー、ファッション、スポーツと時代を経て変化していくスケートのすべてを支えるショップ。それはまた、かたちを変えたとしても、街に残り続けていくのだろう。
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All Photos by Takanobu Watanabe
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TAKANOBU WATANABE
デンマーク在住・映像作家
東京で出版社に勤務した後、映像作家に転身。2018年よりデンマークを拠点に移す。
オンラインマーケターとしての仕事をする傍ら、ドキュメンタリーをメインとした制作活動を行っている。