日本でも、名前とコンセプトが定着したアール・ブリュット。作り手たちが美術教育を受けたことがないというのが、にわかに信じがたい。誰からも影響を受けず、誰にも邪魔されず、湧き出るアイデアだけが独特な芸術として1つ、また1つと出来上がる。絵画、焼き物、刺繍、紙細工、そしてワックス(蝋)や木や石や貝で作ったオブジェなど、いつ、何度見ても楽しいような悲しいような、とにかく鑑賞する人の心を惹きつける。
このアートは、スイス西部ローザンヌの『アール・ブリュット美術館(Collection de l’Art Brut)』によって、世に広く知られることになった。ほかにもスイスには首都ベルンにある 『Psychiatrie-Museum』、チューリヒの『MUSÉE VISIONNAIRE』、北東部のザンクトガレンに『Museum im Lagerhaus』 など、同様の美術館がある。どの美術館も、「スイス、そして世界中にいる作り手たちを発掘して、作品を保存し展示していこう」という同志だ。
アール・ブリュットとアウトサイダー・アートの違い
アール・ブリュットはフランス語だ。フランスの画家ジャン・デュビュッフェがヨーロッパで収集した膨大な作品にこう名付け、最終的にローザンヌに寄贈したことで、アール・ブリュット美術館が生まれた。
アール・ブリュットは、英語ではアウトサイダー・アートという。が、厳密にいうと全く同じ意味ではない。いまひとつ、その違いがわかりにくいが、ザンクトガレンのラガーハウス美術館(Museum im Lagerhaus)は、同サイトで端的に説明している。
<アール・ブリュット>
芸術的または文化的教育の外側にある、加工されていない芸術作品。学問、そして美術市場に縛られていない。美的で正式な基準とは関係なく、作り手自身の存在意義として作られることがよくある。磨かれていないダイアモンド。
アール・ブリュットは自身の存在意義のために作られる、つまり「自分のために作る」とは、ローザンヌのアール・ブリュット博物館元館長も強調していた。アール・ブリュットが磨かれていないダイアモンドというのは、とてもわかりやすい表現だ。粗野なタッチが漂う作品をよく目にするが、究極には磨かれていないということなのだ。
<アウトサイダー・アート>
アール・ブリュットに近いところにいる人たちによる作品だが、作り手の生活が文化的なことと結びついている。ただし、作り手は、現代芸術のトレンドも、技術的または美的な約束事も気にしない。基本的に、アウトサイダー・アートは、ナイーブ・アートからアール・ブリュットまですべてを網羅していて、どちらかの芸術カテゴリーだけに当てはめるのが疑問視されることが多く、ときには不可能ですらある。
ここで出てきたナイーブ・アートは、日本語では素朴派と言われる。日本ではアンリ・ルソーが知られている。同館の説明はこうだ。
<ナイーブ・アート>
ナイーブ・アートは、作り手の内なる態度を反映している。内なる態度とは、自分の環境との、そして作り出すということとの絶え間ない関係のこと。作り手たちは、現実をできるだけ正確に再現したいと考えつつも、自分らしい認識で現実をとらえる。自分自身の経験だけを通してとらえた主観的な現実だ。ナイーブ・アートは、物語る喜び、創意工夫、想像力を兼ね備えている(こちらは、ナイーブ・アートの作品例)。
アール・ブリュットの典型的なテーマ
ラガーハウス美術館は、1988年、6人の収集家たちによって開館した。目下、アウトサイダー・アート、ナイーブ・アートを含め約3万5千点を所有している。同館は、オープン30周年を記念して、アール・ブリュット、アウトサイダー・アート、ナイーブ・アートの集大成展「バックステージ」を催した(2018年8月~2019年2月)。
準備には2年かかった。保管している作品に隅から隅まで目を通し、これらの変わったアートを違った視点でとらえ直してみた。普通は、個展形式で特定の作り手1人を取り上げたり、割合と知られた複数の作り手の作品をまとめて展示したりする。「バックステージ」では、3つのアート全体のモチーフやテーマをカテゴリー化し、よく見られるテーマを5つ取り出した。
その5つとは、「ポイント・オブ・ビュー」「ボディ&ソウル」「ハロー、ダークネス」「ワンダーランド」「ホーム・スイート・ホーム」だった。
「ポイント・オブ・ビュー」は、自分の観察、自分の反映、自分の感覚といった自分への関心だ。自分とは何かというテーマには誰もが向き合っているだろうが、作り手たちも、実際の自分とは?理想的な自分とは?と葛藤を経験する。その胸中は自画像として表現されることが多い。このカテゴリーでは様々な自画像を壁一面に飾り、その反対側には多数の鏡を並べた。鑑賞者に鏡に映った自分を見つめてもらい、自身を観察してみてほしいというねらいだった。
「ボディ&ソウル」は、体の特徴について、また官能的な経験についての表現だ。作り手たちは、体に関して自分が感じていることを、ときには恐る恐る、ときにはコミカルに形作るという。
「ハロー、ダークネス」は、作り手の人生の暗い面や痛みが表現されている。作り手たちは、精神的に並外れた経験をしたり、自己喪失に陥ったり、自分の内側と外側の世界について過剰なまでに徹底的に感じ取っている。
「ワンダーランド」は、幻想的で美しく、喜びにあふれた作品をまとめた。陽気さや明るさを特徴とした作品は、驚くほどたくさんあるという。
「ホーム・スイート・ホーム」は、スイスの生活の様子が強く表現されている作品だ。農家、牛、行事の様子、地元の大聖堂など、作り手は自分が住んでいる世界をアートで表している。
同館スタッフたちは「母が生前作っていたのですが、処分するにはもったいないように思えて」など、こんな作品が眠っていると連絡を受けるとその家を訪れて、そのアートを吟味する。作り手発掘の旅で受けた感動は、展示期間中のガイドツアーで聞くことができた。「どの町に、今度はどんな作品があるのだろうかと常にワクワクしています」とのこと。
ツアーでは、普段は非公開だが、地下にある作品の保管室も見せてくれるという粋な計らいもあった。大部屋2つ、小部屋1つの計3室にはまだ余裕が見られたが、「将来、また保管室を増やさないといけなくなるでしょう」とスタッフは言った。スタッフたちと、新しい作り手や作品との出会いは、永遠に続いていくだろう。一般の鑑賞者にとっても、新しいアール・ブリュットに出合う楽しみは尽きない。
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All photos by Satomi Iwasawa
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岩澤里美
ライター、エッセイスト | スイス・チューリヒ(ドイツ語圏)在住。
イギリスの大学院で学び、2001年にチーズとアルプスの現在の地へ。
共同通信のチューリヒ通信員として活動したのち、フリーランスで執筆を始める。
ヨーロッパ各地での取材を続け、ファーストクラス機内誌、ビジネス系雑誌/サイト、旬のカルチャーをとらえたサイトなどで連載多数。
おうちごはん好きな家族のために料理にも励んでいる。
HP https://www.satomi-iwasawa.com/