デンマークのフォルケホイスコーレ(以下フォルケ)は、民衆の民衆による民衆のための成人教育機関だ。義務教育を終了した者なら性別、年齢、障害の有無、国籍に関わりなく誰でも入学することができる。現在フォルケは、デンマーク国内には70校ほど存在し、哲学や政治、環境、語学、音楽、アート、デザイン、スポーツなど様々な学科があり、デンマークだけに限らずノルウェー、スエーデン、フィンランドにも存在する。

イギリスから広まったギャップイヤーという文化

高校を卒業した後に、将来何がしたいかまだわからない。大学に行きたいけど、どの学科にするか決められない。そんな期間を利用して、海外に住んでみたり、英語の勉強を強化したい場合に、北欧だけに限らず近隣のヨーロッパやアジアの人たちにもフォルケは1つの選択肢となっている。年齢制限もないので、大人になってから人生のギャップイヤーを取りに来たり、知の欲求を充しに来たり、英語やデンマーク語を学びに来たりと用途は様々だ。

デンマークの新しい民族主義を形成するに際して大きな影響を与えた人物

N.F.S.グルントヴィ(以下グルントヴィ)は牧師、作家、詩人、哲学者、教育者でもあり政治家でもあった。グルントヴィがフォルケを構想し、理念的な父とされている。今でもデンマークの国民意識に多大な影響を与えた人物とされているようだ。1844年、その弟子となるグルントヴィ派(Grundtvigianism)の人々によって、第一校目のフォルケは設立された。コペンハーゲンにある最も美しい教会、グルントヴィ教会は彼にちなんで名付けられた教会だ。

当時グルントヴィは、無意味な暗記や立身出世を目指す競争を施していた学校を「死の学校」と呼び、国の形がどのように変わっても、デンマークの精神性を守っていくこと、 生きるモチベーションや、他者を考慮した自己実現の道を探すことをテーマに掲げていた。

基本的に全寮制

生徒も先生も学校の寮に寄宿し、共同生活を通してコミュニティーの在り方や、民主主義的思考、人間として成長するということを学ぶことが共通のコンセプトとしてあるようだ。

今回はデンマークでフォルケに通う渡辺さんにお話を聞いてみた。

なぜフォルケへ行こうと思ったのですか?

フォルケに行きたかったというよりも、映像の勉強をするためにヨーロッパで大学院に行きたかったけど、現実的に難しい状況で、大学院に行くとしてもまずは作品を作らなきゃいけないと思っていたところ、European Film Collegeというフィルム学科のあるフォルケを見つけて。そのフォルケのフィルムスクールは、家賃や食費が全て含まれて9ヶ月で150万くらいだったので、ロンドンの学校に行ったりするよりも、現実的に行きやすかったんですよね。

なぜデンマークにしたのですか?

元々メディアの業界で働いてたんですが、デンマークは注目されてたので興味がありました。あとは英語をもっと仕事で使えるくらい上達させたくて、英語環境に身を置こうと思いました。それともう少しクリエイティブな仕事をしたくて。ちょうど映像や写真を撮りはじめているときに、ここのフォルケの話を聞いて。そこならフリーランスの仕事も続けながら、無理なく生活を送れるし、ヨーロッパのほかの都市にもアクセスしやすいと思いました。

日本で大学には行きましたか?

普通の四大の経営学部に行きました。大学を休学して、カリフォルニアへ半年ほど語学学校に行き、その後NYへ。NYに拠点を置く日本のメディアでインターンとして働きながら、語学学校に行っていました。それまでは英語はほぼゼロでした。NYとカリフォルニアにトータル一年間くらいいましたが、それだけでは英語はそんなに上達しませんでしたね。

1年間語学学校に行けばそれなりに上達しそうですけどね。

アメリカの語学学校って、英語が話せない人が来ているので、ネイティブの人と接触する機会が少ないんですよね。なのでバーに行ったりして、どうにかネイティブの人と友達になろうと試みましたが、それもなかなか自分の英語力では難しくて。なのでスーパーマーケットの前で物乞いしているホームレスと話してました(笑)

気合い入ってますね(笑)

日本に帰ってからも、外国人の人たちが住むシェアハウスに身を置きました。引き続き同じメディアの日本支社で働いていたのですが、その時も仕事で英語が必要だったけど、まだまだ使えるレベルではなかったので、やはり英語の環境に身を置こうと決意しました。

英語が必要だったんですね。

英語が話せた方が選択肢や世界が広がるので。

フォルケでは生徒はどこの国の人が多かったですか?

デンマーク人が半分くらいで、オランダ人が15% 、他のヨーロピアンが10%で、その他アジア人という感じでした。

先生はデンマーク人?

先生はデンマーク人やアメリカ人、イギリス人などです。

そしたら授業は英語で行われてたんですね。

デンマーク語のフィルムスクールもあるようですが、ここの学校は英語でしたね。

生徒の平均年齢は?

一番多いのは22歳前後です。上は30才くらいかな。

結構若いんですね!

だいたいみんな高校を卒業後、ギャップイヤーの間に来ている人が多かったです。ヨーロッパのフィルムスクールに入るのはかなり狭き門なので、そこに入るために、一度ここの学校に来て訓練をしている人や、まだ将来何をしていいかわからないから来ている人などが多かったですね。

フォルケならみんなお金を払えば入学できますもんね。

このフォルケは専門的な内容なので、試験があって、論文やコラージュ、過去の映像作品を提出しなければなりませんでした。半分くらいの人は落とされてるんじゃないかと思います。

フォルケの授業内容はどんな感じでしたか?

実際に映画を作る体験をする授業内容でした。全部で120人生徒がいて、最初にクジで8組くらいに分かれて、今日は監督、脚本役、役者、というかんじで毎日役割を変え、全ての役割を体験します。そして簡単な作品をその日のうちに作り、上映会をするっていうのが最初の一週間でした。そこから自分に適している役割、学びたい項目を3つくらい選んで、毎月そのコースの終わりに1つの作品を作るという流れでした。自分はこの学校で、カメラと照明や音声などの機材の使い方を学びたかったので、それらのコースを中心に選びました。

日本の学校環境と比べて違いはありましたか?

みんな意見を積極的に言うし、言いやすい環境だと思います。先生が話している間でもみんな手を上げて、意見があるという意思表示をします。先生は自分が喋りたいことを喋りきってから質問や意見がある人に話させたり、または話してる途中でも意見を言わせたり。日本だと授業の時間にちゃんと遅れずに来ることとか、授業に参加したかってことが大事で、そこで何を学び、得たかってことはそんなに重要視されてないことが多くて。フォルケでは単位とかもなく、他にやらなきゃいけないことがあるなら、授業に出ずにそっちを優先しても咎められないし、自分がその授業を受けることが将来的に大事だと思えば来ればいいし、というスタンスで、先生も形だけの押し付けがなく、生徒自身に自立を求めているようでした。

まさに自分の生きるモチベーション、他者を考慮した自己実現の道を見出すということですね。

先生も自分にしかできないことをやりたい、お金以外の部分でモチベーションを見つけたい、そしてそれが生徒のためになって何かを受け取ってもらえたらいいし、受け取ってもらえなかったらそれはそれでいいし、という感じで、やることはちゃんとやって、仕事を早く終わらせて、そこからは家族の時間、みたいな感じですね。デンマークは労働時間が短いので、そこまで仕事仕事ってならなくていい分、余裕があるしモチベーションも作りやすいのかもしれません。

先生もフォルケでの生活を楽しんでいるようですね。

学校の横に先生たちが寝泊まる場所があって、そこに家族と住み、毎日学校の食堂に家族を連れて来ます。目の前に海があって、自然豊かな場所で、家族ともずっと一緒にいられるので、1つの仕事環境として良いところなんだと思います。

デンマークって幸福度高いって言われてるけど、実際に実感することはありましたか?

みんな焦ってないから、こっちもプレッシャーがないところですかね。日本だと、働いてないと就職決まってないの?とか、バイトしないの?とかって言われる感じがあるけど、こっちだと、みんなどうせいつかは働くし、今はいいんじゃない?みたいな余裕があって。それもきっと、大学に行ってる間、親の元を離れて暮らしバイトをしていると、国からお金が支給されるシステムがあったり、職を失っても4年間はお金が支給されるとか、あまりお金に困るシチュエーションがないから、そういった余裕が生まれるのかなって思います。

フォルケに行ってよかったことは?

デンマーク人はアメリカ英語でもブリティッシュ英語でもない、癖のない英語を話すのでとても聞き取りやすくて。他のヨーロピアンもみんなネイティブで、アメリカの洋画を見て育ってる人は流暢なアメリカ英語を話す人もいたり、今時のスラングをよく知っていたり。そういう環境に身を置けたのは語学力を磨き直すためにすごく良い機会でした。もちろん機材の使い方を覚えて、写真や映像作品を作れたことも、デンマークをもっと好きになったことも、自分にとっては総じて良い経験になりました。ここのフォルケは専門学校なので値段が少し高めですが、他のフォルケだともっと安いところもあるし、英語圏の語学学校に行くよりも環境や条件が良いので、語学学校や留学、デンマークに興味があるという目的で行くにも良いオプションだと思います。

後編に続く。

European Film College
Carl Th. Dreyers Vej 1, 8400 Ebeltoft, Denmark

9ヶ月でおよそ150万、一人部屋と土日も含む食費、野外活動などの費用も込み

NATSUKO

モデル・ライター
東京でのモデル活動後、2014年から拠点を海外に移す。上海、バンコク、シンガポール、NY、ミラノ、LA、ケープタウン、ベルリンと次々と住む場所・仕事をする場所を変えていき、ノマドスタイルとモデル業の両立を実現。2017年からコペンハーゲンをベースに「旅」と「コペンハーゲン」の魅力を伝えるライターとしても活動している。
Instagram : natsuko_natsuyama
blog : natsukonatsuyama.net