ワクワクする。
長かった冬が、ようやく終わる。さっき時計を1時間早めた。賛否両論があるサマータイムだが、夕方4時過ぎには暗くなりだす真冬の空に比べれば、全然、いい。日が長くなったことがただただ嬉しい。

そう、今年もまた、春の訪れとともにニューヨークにアートフェアが帰ってきた。

アートが大好きなニューヨークの人々は、この街をあげての一大イベントを心待ちにしている。アートフェアとは、各国に拠点を持つギャラリーなどがブースを構え、作品の展示や販売を行うもの。ニューヨークでは3月に主要なフェアが開かれるが、ヨーロッパやアジアなどでも年間を通じて行われている。

国連本部。今年のスプリングブレイクはここからすぐの場所にあるビルで行われた。

快晴。午後1時。
風があって少し肌寒い。だが、そんなことは気にならない。昨年タイムズスクエアに近いオフィスビルで開かれていた人気のアートフェア「スプリングブレイク・アート・ショー(SPRING/BREAK ART SHOW)」。今回の会場は、イースト川沿いにある国連本部の隣のビルにある。行きやすいのは圧倒的にタイムズスクエアだが、こんな目的でもないと、普段はなかなか国連まで行かないので、散歩もかねてグランドセントラル駅から東へ10分ほど歩く。

スプリングブレイク会場の入口

週末だったからか、到着したビルの入口には列ができていた。
入場料$18はすでにオンラインで支払い済みなので、簡単な荷物検査を受けてエレベーターで2階へ。すると案内の女性がフライヤーを配っていたので、つい聞いてしまった。

「なんで今年はこの場所なの?」
「私はインターンなのでよくわからないけど、スプリングブレイクはこれまでいろんな場所でやってきたから、今年は国連の隣りのこのビルを選んだのね」

確かにスプリングブレイクは、これまでかなり型破りな会場を選んできた。廃校の校舎、使われなくなった郵便局や元出版社のオフィス。まるで、来る人に「まさかこんなところで」と思わせて、そのギャップを楽しんでいるかのようだ。
今年8年目を迎えたスプリングブレイクは、他のアートフェアに比べると新しい。しかしその多くと根本的に違うところがある。

例えば、1994年から続くこの街のアートフェアの代名詞「アーモリー・ショー(The Armory Show)」には毎年、世界の名だたるギャラリーが一堂に会す。今年は3月7日から10日まで開催だったが、私のようなごく普通の客にとっては、入場料52ドルで20世紀から21世紀のあらゆるアートを一気に鑑賞できる楽しいアトラクションだ。

ところがこの一般客への公開前(6日)に行われる招待客向けのプレビューには、コレクター、ギャラリスト、キュレーターなど、プロ中のプロがどっと押し寄せる。一見、華やかなパーティのような光景が繰り広げられるのだが、そこは今後の業界の動向を探る情報交換の場、また作家にとっては新作発表の貴重な機会となる。何百、何千万円という作品がゴロゴロしているというのに、その多くがこのプレビューで売れてしまうという噂もあるから驚きだ。今年は 33ヶ国の198のギャラリーを紹介し、来場者は5万7000人を超えた。

メイン展示場 Section W。使われていないオフィスなので配管もそのまま。しかし広い!

人々は、このニューヨーク最大のアートフェア、アーモリー・ショーがハドソン川の埠頭で開催されている期間を「アーモリー・ウィーク」と呼び、またアートファンの間ではよくこんな会話が交わされる。

「他のショーには行った?」
「いや、まだ」
「どこに行くつもり?」
「このあと○○に行くよ」

つまりアーモリー・ウィークではアーモリー・ショーだけでなく、「Clio Art Fair」「Independent New York」「Scope New York」「Salon Zürcher」などの様々な規模と特徴をもつアートフェアが街中で開かれるのだ。

そのひとつがスプリングブレイクで、ギャラリーではなく、個人、または独立系キュレーターが出展していることが人気の秘密。キュレーターとは、展覧会の企画、運営などをする専門職だ。他のフェアでは高額の出展料がかかるのに対し、スプリングブレイクでは、毎年テーマに沿って出された企画を審査し、それに通ったキュレーターは無料で出展することができる。これまで廃校などを会場にしてきたのは経費をおさえ、その分をこうした活動や支援にまわすためだったのだ。

だからこそ若いキュレーターや新進気鋭の作家が目立ち、勢いがある。
なかでも人を集めていたのが、キュレーターのLauren Powell(ローレン パウエル)が紹介するShona McAndrew(ショーナ マクアンドリュー)の作品。自身の体験をもとに、等身大またはそれより大きな作品を手がけることが多いという彼女が今回出展した「Sometimes Last Night」は、張り子で作られた男女が裸で寝ているベッドルームのある夜の風景。男女のユニークな寝姿に思わず引き込まれるが、よく見ると食べかけの食事や雑誌など身の回りの物もとても細やかに作り込まれている。

多くの観客を集めていたShona McAndrew作 ‘Sometime Last Night’

Shona McAndrewさん

作品に見入っていると突然、謎の女性が声をかけてきた。こちらをまったく無視して、ポエムなのか演説なのか、それとも単なるぼやきなのか、ともあれよくわからないことを勝手にしゃべりだしたが、どうやらそれは彼女のパフォーマンスらしく、この不意打ちには思わず笑いがでてしまった。

100人以上のキュレーターが400人以上のアーティストの新作を紹介していたスプリングブレイク。その熱気を引きずりながら、その足でもうひとつのアートフェア「アート・オン・ペーパー(Art on Paper)」へ向かった。これはその名の通り「紙」という素材に着目するアートフェアで、絵画や写真はもちろん、立体物などを展示している。

イーストリバーの埠頭、ピア36はマンハッタン・ブリッジのそばにある。その奥に見えるのはブルックリン・ブリッジの綺麗な眺め

それにしても辺鄙な場所だ。「ピア36」。
聞いたこともないので調べてみるとローワーイーストサイドの埠頭にある多目的施設だとわかった。最寄り駅のイーストブロードウェイからもかなりの距離があるが、このエリアにはここ数年、大小様々なギャラリーが集まってきている。ニューヨーク最大のギャラリー街、チェルシーの賃料が高騰し、それを理由に移ってきたところもあるという。

アート・オン・ペーパーの入口

整然と美しく立ち並ぶ出展者のブース。

となれば、この会場も納得だ。入ってすぐのところに展示された大きな洞窟のような作品を見て「ああ、こういうことか」とまた納得させられた。Samuelle Green(サミュエル グリーン)の「Manifestation 4」は、古いペーパーバックのページを1枚ずつ手で円錐形に巻き、それを組み合わせて完成させている。内部に入ると、気の遠くなるような手仕事を間近に見ることができるうえに、その幻想的な世界観に見とれてしまう。

写真のような緻密さで描かれた男性の体と女性の顔を併せ持つポートレイトも衝撃だった。最近「ジェンダーフリー」という言葉をよく耳にするが、1989年生まれのアメリカ人女性作家Clio Newton(クリオ ニュートン)は、まさに「今」の時代が直面するテーマを積極的に取り上げている。
2015年、55のギャラリーから始まったアート・オン・ペーパーは今年、その数を100にした。「ミニ・アーモーリー・ショー」との呼び声も高い。

「ジェンダーフリー」という今の時代のテーマに果敢に挑んだClio Newtonの肖像画

午後7時を回り、気がつけばすっかり日が暮れていた。
帰り道、既存のものとは違うとされる2つのアートフェアを巡って、改めて思った。もはや「既存」とされているアーモーリー・ショーだが、はじまりは25年前に、たった4つのギャラリーがミッドタウンにあるグラマシー・パーク・ホテル上層階を占領して開いたもの。いまと同じく、あの頃の、若くて勢いのある人々が25年の歴史を作ってきたのだ。

そして5月。
ロンドンの現代アート誌が主催する「フリーズ・ニューヨーク(Frieze New York)」がやってきた。ロンドン最大のアートフェアが2012年からニューヨークでも始めたもので、人々はこの期間を「フリーズ・ウイーク」と呼ぶ。そしてまた街のあちらこちらで「Art New York」「Superfine! Art Fair」「The Other Art Fair Brooklyn」などが開かれるのだ。

新しいものが生まれ、成長し、熟成すると、またどこからともなく新しいものがやってきて定着してしまうニューヨークのアートシーン。

底知れない。
だから、どうしたって、ワクワクする。


Nahoko Hayashi

林菜穂子(はやしなほこ)
東京出身。ニューヨークでライター、フォトエディター、撮影コーディネイター、広告制作などに携わる。1997年、独立。現在はブルックリンのブッシュウィックを拠点に、アート関連の活動にも取り組んでいる。
Instagram: @14cube