絶えずイノベーションが起こるウォーターフロント都市、コペンハーゲン。昨年5月に突如として海上に現れた人口島は大きな話題を呼んだ。その仕掛け人は、マーシャル・ブリーチャー(31) 建築士。デザイン誌から新聞まで様々な視点で語られた彼の作品には、どんな想いが込められていたのか。そしてオーストラリアからやって来てデンマークに縁がなかった彼がなぜ、コペンハーゲンでパブリックスペースをつくりはじめたのか。その経緯を訊いた。
早速ですが、マーシャルさんが建築の道に進んだきっかけを教えてください。
よく聞かれるんだけど、ものごころがついた時から建築の道にいくものだと思っていて、建築士になろうと思った瞬間は覚えていないんだ。小さい頃から数学と絵を描くのが得意で、周りから建築士になれって言われてた。実際、建築に興味があったから、他の道は考えたことがなかったね。
建築のどういったところに惹かれますか?
なんだか探検をしているような感覚で、言葉にした世界が現実のものになるってことに興奮したね。描いたものがカタチとしてしっかり残るというのも魅力的だった。あとは、建築にはいろんな要素があるから、スケッチを描いたりするクリエイティブな領域と、クライアントやエンジニアと働くビジネス領域どちらも顔を出せるのが楽しかったりもするね。
そして、建築を学びにコペンハーゲンへ。
50-60年代からヨーン・ウツソンやヘニング・ラーセンなどをはじめとしてデンマークの建築は勢いがあったし、2000年代になるとビャルケ・イングレスやCOBEとかが出てきて、デンマークは建築界で大きな影響力を持ってたから、憧れがあった。いまではオランダが特に勢いがあるけど、当時のデンマーク建築は常に世界をリードしてる感があったんだ。もともと、オーストラリアのMogareekaという海岸沿いで育ったから、海の近くというのも大きなポイントだったね。結局会社も立ち上げてデンマークにきてから5年になるんだけど、こんなに長くいることになるとは思ってなかったね(笑)
話は変わりますが、「copenhagenislands」のプロジェクトをはじめたきっかけについて少し教えてください。
ぼくがコペンハーゲンの大学で建築を学びはじめるとなったときに奨学金がもらえることになって。でもここは家賃も高いし、小さい頃からボートの上に住んでみたかったから、奨学金で中古のボートを買って修理して住みはじめたんだよね。そんな時に大学で出会った親友のマグナスも水上生活した経験があったから、ぼくらはいつも水上開発の話をしてた。
あとこれはこっちに住んでから気づいたことなんだけど、コペンハーゲンは港町として発達し続けてきて、大きな工場や倉庫で賑わっていた港が今では活気を失っていて。でも家賃は高騰して地上のスペースもどんどんなくなっているのに、なぜか人々は港に目を向けようとしないんだ。だから、ぼくとマグナスで「もう一度ハーバーに活気を取り戻そう」って考えたのが今回のパブリックスペース。まずはプロトタイプとして小さな公園を作ってみようって。
そうだったんですね。プロトタイプをつくるにあたって、まずはどんなことから始めたんですか?
まず、世界中の浮いている建築を四六時中リサーチしていたね。ただ、調べても情報がなかったから、Google Earthを延々とながめてた(笑)
地道な作業ですね(笑)
そう。そんなときに見つけたのがオーストラリアの奨学金制度で、若者の創作活動を支援するものだったんだ。そこでぼくは世界中の浮遊建築を実際に見て回る計画をプレゼンして、資金協力を受けることができた。自分の目で確かめるためにそのお金で世界をまわったんだ。
素晴らしい行動力。旅したときはどんなところを廻ったんですか?
アムステルダムからハンブルク、そしてカンボジアもいったね。一番いきたかったのはイラクの浮遊住宅に住む民族の生活だったんだけど、イラクには入国できなかったからイランの国境沿いのShadeganというところへいって、その生活を体感することができたよ。
実際に島をつくりはじめてからはどうでしたか?
家を作る経験はあったけど、浮かすとなると話は別だから、最初は不安しかなかった(笑)でも、マグナスは船の知識があるから彼にサポートしてもらいつつ、計算に計算を重ねてつくったね。仕事の空いた時間でやっていたし、マグナスは子どもが生まれたりして忙しくなって、ぼくだけで作ることになったから苦労したね。しかも全部手づくり。
すべて手づくりだったんですね。リサイクルのプラスチックボトルも使ったそうですが。
そう。最初は、捨てられるはずの釣り用具を使おうと思ったんだけど、使い込むと海に流れていくような素材が多くて。海を汚染することになっちゃったら元も子もないからね。浮かすためにリサイクルのプラスチックボトルを使ったけど、他はすべて木材でつくったよ。マグナスはボートづくりの伝統的な技術を知っているから、それを応用したんだ。ぼくはそれほど社会派の人間ではないけど、最低限サステナブルな形でやりたいと思ってる。
作ったあとの周囲のリアクションはどうでした?
みんな興味津々だったね。ハーバーに置いておいたんだけど、みんな乗りたいみたいで、カヤックで来て乗り込む人とか釣り人とか。直後は毎日30件くらいのメールがきて、メディアにも一気に取り上げられて注目されたことでサポーターも現れてきて次のプロジェクトが進めやすくなったよ。プロトタイプとしては大成功だね。
ということは、次の展開も。
うん。いま、まさにデザインを進めているんだけど、複数の島はパズルのように組み合わさるように設計しているんだ。それぞれの島にはカフェやサウナとかいろいろな機能を持たせようと思ってる。
デンマークでは大規模な人工島の計画も進んでいるみたいだけど、地元民の批判の声も大きいと聞きます。
その大きなプロジェクトとはまったく別もので、ぼくのプロジェクトはどちらかというと建築士として未開のスペースを切り開きたいという思いのほうが強いかな。だから、ぼくがやっていることはそれほど大それたものでもないんだ。このプロジェクトをはじめたときからメディアにはよく「新たな解決策」と言われるんだけど、それはとても危険な表現だなと思っていて。海面上昇という問題はすでに深刻で、海面上昇をいかに食い止めるかを考えなければいけない。だから解決策があるからいいやってポジティブには捉えて欲しくないんだよね。
あくまで、建築の可能性の一部としてということですね。
そう。もちろん可能性を広げるという部分では希望を持っているし。現状の問題に向き合うきっかけにはなればいいなと思っているんだけどね。
デンマークではこのようなイノベーションは日常茶飯事に起きている。そして、人々は珍しいものに対して持ち上げすぎることもなければ蔑むこともない。だから地に足をつけながらできることを黙々とやっていく。「誰もが考えもつかないところに場所をつくり続けたい」と語るマーシャルの眼は、コペンハーゲンの水面とともに輝いていた。
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TAKANOBU WATANABE
デンマーク在住・映像作家
東京で出版社に勤務した後、映像作家に転身。2018年よりデンマークを拠点に移す。
オンラインマーケターとしての仕事をする傍ら、ドキュメンタリーをメインとした制作活動を行っている。