BEGIN、MAX、HY、ディアマンテス。日本全国で知られている、これらのアーティストグループには彼らの地元、沖縄発祥のオリオンビールのCMソングを歌っているという共通点がある。戦後復興の最中の1957年(ビールそのものの発売は1959年)に誕生したオリオンビールは、沖縄に住む人に希望と元気を与え、県を象徴する存在のひとつとなった。それはオリオンビールの爽快感を表現した快活な歌も然りである。沖縄ではオリオンビールのCMは毎日、欠かさず流れる。つまり、生活の一部として定着しているのだ。

今回紹介するシンガーManamiもその“欠かせない歌”を送っているひとりである。しかし、Manamiも生まれは沖縄なのだが、他のアーティストたちとは異なり、とても幼い頃に東京に引っ越してきたため、沖縄での生活の記憶はほぼないという。しかも、デビュー時は今とは全く異なるスタイルでもあった。デビューのきっかけは2000年代初頭に行われた、ヒップホップシーンに新しい文脈をつくったプロデュースグループ、ザ・ネプチューンズやN*E*R*Dなどの活動でも知られるファレル・ウィリアムスとA BATHING APE®の創業者、NIGO®が主催の「STAR BAPE SEARCH」でのグランプリ受賞。ファレルプロデュースの元、2009年から立て続けにリリースされた「Back Of My Mind」、2010年に「Yellow Stop」、続くセカンド「Miss Little Voice」は現在とは真反対ともいえるほどクールかつダウンテンポで、正統なR&B作品だった。

どうしてそういった変化が起きたのかなどについて、これからインタビューで触れていくわけだが、「躊躇は一切なかった」と彼女は語る。その理由は先に言ってしまうが、実弟の音楽プロデューサー、Daisuke Nakamuraのピュアな才能があったからだった。2人に過去、現在、これから、そして新曲「WANDA」のことについて聞いた。

まずはManamiさんが歌手を志した理由についてお聞かせ下さい。

Manami:大学2年生の頃、ヒップホップやR&Bなどの音楽が好きで歌とダンスをやっていたので、就職するか歌手になるかで悩んだんです。それで何度かオーディションを受けてみたんですが、ことごとく落ちてしまって……。その大きな理由は他の人の曲を歌っていたことで、それで藁をもすがる想いで弟に曲づくりをお願いしたんです。

それ以前からDaisukeさんは曲づくりをされていたんですか?

Daisuke:僕はピアノとバスケットボールをとりあえず続けていて、学生時代、バスケットボールをやり終えたとき、これから何しようかなと思って、ふと、ある本を読んだんです。そこに「ずっと続けていることを仕事にした方が良い」って書いてあって、じゃあピアノで作曲をしてみるか、と。そんなタイミングに姉にお願いをされて、歌ものはやったことがなかったけれど、試しにトライしてみたというのが今に繋がっています。

Photo by Kentaro Yamada

ということは、完全に未知な状態から共同作業がスタートしたわけですね。

Daisuke:そうですね。やっていくうちに段々と形になっていきました。

お互い好きな音楽とかは共通していたんでしょうか。

Daisuke:当時はピアノインストゥルメンタルを作ろうと思っていて、綺麗な曲ばかりを聴いていたので趣味は全く違いましたね。洋楽は曲を依頼されてから聴くようになりました。それで4、5曲作った頃、「STAR BAPE SEARCH」でManamiがグランプリを獲得して、いきなりファレルにプロデュースしてもらえることになり、僕の役目はそこで終わったかなと思っていたんですが……。

Manami:その年の9月、オリオンビールのCM曲に2作目の「Miss Little Voice」が採用されたんです。そこから継続的にやらせて頂くことになったのですが、オリオンビールのなかでも特にすっきりとしているサザンスターっていうラインのCMで、青い海と空がイメージできる曲調を求められて、ガラッと方向転換する必要が出てきたんです。そこで改めて弟の力を借りよう、と。

ファレル・ウィリアムスプロデュースの元、2009年にリリースされたデビュー曲

Manamiが7年間参加しているというサザンスターのCM。この曲は沖縄のほとんどの人が歌って踊れるほど定着しており、運動会に採用されるくらいの人気を集めている。先の動画と比べると明らかに雰囲気が違うことがわかるだろう。

かなり大きな方向転換ですよね。躊躇はなかったのでしょうか。

Manami:ほとんどなかったですね。ヒップホップがすごく好きだった時代はあったけれど、ニーズがある喜びってとても大きいんだなと思ったんですよね。それに応えてみたくて、元々の考え方を変える決心をしました。ただ、かなりのプレッシャーはありましたが……。

Daisuke:僕たちは生まれが沖縄なだけで育っているのは東京なので(Manamiのみ、4年前に沖縄に移住している)、フェイクになるんじゃないかっていう怖さもありましたね。

Manami:ここ最近じゃないですかね。受け入れてもらえたっていう実感がもてたのは。

沖縄には住んでおらず、しかも沖縄らしい曲を作っていたということでもないわけですよね。そこで象徴ともいえる曲を作るというのは、かなり難易度が高い気が……。

Daisuke:ただ、自分のスタイル自体、当時はまだ探り探りだったんですよね。
携わってはいるけれど、音楽そのものはそんなに聴いてこなくて、何かのジャンルにハマったこともないんです。

つまり、何事もフラットに見ることができるからこそ、作ることができた、と。

Daisuke:外から客観的に見ているから作れるっていうのもあるかもしれないですね。制作は東京の自宅で行うのですが、時々、沖縄に行かせて頂いて、そこでライブをして、空気感を味わって、次の曲を作るための肥やしにしています。その場所で流れることを想像しながら曲を作るというか。

Manami:ここで手拍子して欲しい、指笛吹いて欲しい、エイサーに使って欲しい、とか考えながらね。

Daisuke:沖縄の音楽シーンって野外フェスティバルが多いので、広い場所でビールを飲みながら楽しめる曲を、という考えになってきましたね。沖縄とオリオンビールがそういうスタイルを作ってくれたのは確かだと思います。

Photo by Kentaro Yamada

ただ、イメージはできても実際の引き出し、例えばそういった雰囲気を醸せる音色やメロディを知っていないと具現化することは難しいのでは、と思ってしまうのですが。先ほど、Daisukeさんはあまり音楽を聴かないとおっしゃられていましたが、どのように沖縄らしさを作っているのでしょう?

Daisuke:意識しているのは、いかに沖縄らしいフレーズや三線などを使わずに、その“らしさ”を演出することで、日本のポップスのメロディとアフリカンの民族楽器を合わせてみたら、すごくマッチしたんです。沖縄の空気感ってアジアやアメリカのものが混ざりあったミックスカルチャーな部分があるので、多国籍感があると“らしさ”に繋がるのではないかな、と。

Manami:そういう多国籍感、ミックス感が常に一貫しているというところで認知してもらっているっていう感じはありますね。

Daisuke:あと、2人が共通している引き出しと言ったらゴスペルですかね。

また、思ってもいない話が出てきましたね(笑)

Daisuke:僕はクリスチャンではないんですが、学校に毎日礼拝があって、讃美歌をずっと聴いていたんです。インプットとしてはそれが大きかったと思っています。

Photo by Kentaro Yamada

Manami:私はクリスチャンで、最初に習ったボイストレーニングの先生がアメリカの方だったんですが、ゴスペルのルーツを知っておいた方が良いって言われて、以来、成り立ちを学ぶようになったんです。すべての歌詞に意味があって、それによって歌い、聴く人は元気をもらっている。ゴスペルってゴッドスペルの略称で、聖書を読まないと本当の意味はわからないんだけれど、記されている言葉をみんなで合唱することで高揚感がどんどん増してくるんです。コーラスのハーモニーも教会の礼拝堂の空間が生む倍音(≒オクターブ)からできたんですよ。クリスマスソングとかもそうですけど、讃美歌のメロディって琴線に触れるんです。弟がよくできたと言う曲も、具体的に説明することは難しいんですが、誰もが元気になるような普遍性をもっていて、どこかで聴いたことがあって印象に残っているものに似ていることが多いんです。

Daisuke:Manamiの曲はよくコーラスワークを重ねて録るんですけど、どんどん声が広がっていくゴスペルの雰囲気をあえてポップスに取り入れることが僕たちなりのオリジナリティになっている気はしますね。

高揚感、ハーモニーという点では今回の新曲の「WANDA」は極地と言えるほどにパワフルなものになりました。

Manami:「WANDA」はこれまでの集大成にしたかったんです。沖縄って行事やイベントのルーティーンがちゃんとあって、ずっとそこに合わせるように動いていたから、それを一旦壊して、新しい自分になりたいっていう想いを込めながら作った曲なんです。

なるほど。その想いは歌、曲から十二分に伝わってきますね。

1990年代から沖縄の第一線で活躍しているバンド、ディアマンテスとのコラボレーションシングル「WANDA」

Manami:同時に沖縄に感謝したいっていう意味で、かねてから大ファンだった沖縄の代表的なバンドのディアマンテスさんと一緒にやりたいと思って今回のコラボレーションが実現したんです。ただ、ディアマンテスさんに最初に依頼したのが実は2年も前で……弟が一向に曲を作ってくれなかったんですよ(笑)

Daisuke:仕事だと納期に合わせられるんですが、Manamiとの曲作りはプライヴェートワークに近いのでアウトプットの仕方が違うというか……しっくりくるのをちょっと待っていたら2年経っちゃった(笑)。ずっと怒られ続けていたんですけど、なかなか……。

Manami:まあ、お互いにかなり想い入れがあったっていうことですね(笑)。でも、そのおかげでターニングポイントに相応しい、これまでの私たちとはかなり違う最高の自信作ができたと感じています。


<プロフィール>
Manami
沖縄県那覇市出身、学生時代を東京で過ごし2008年世界的プロデューサーファレル・ウィリアムス(2014年グラミー賞受賞)と世界的デザイナーNIGO®主催の『STAR BAPE SEARCH』でグランプリを受賞。2009年10月にファレルとの楽曲「Back Of My Mind」を23か国のiTunes Storeで配信し、デビュー。2010年6月「Yellow Stop」でCDデビュー。故郷である沖縄でのライブがきっかけとなり、2010年11月、セカンドシングル「Miss Little Voice」がオリオン サザンスターのCMソングに大抜擢され、メインキャラクターとして出演も果たす。スタイリシュなビジュアルとずば抜けた歌唱力で高い評価を得る中、2013年7月「Jungolden night(ジャンゴーデンナイト)」、2016年「踊れティーダ」を発売し、沖縄県内で大ヒットを記録。沖縄のビックイベントには欠かせない存在となり沖縄を代表するシンガーへと成長した。
https://www.manami-sorafune.com/
Instagram: Manami

Daisuke Nakamura
小学生からピアノを習い、青山学院大の時に作曲活動を始める。在学中に姉でシンガーのManamiへの楽曲提供を中心に活動を開始し、2010年にManamiのデビューシングル「Yellow Stop」で作曲家としてデビュー。以来、楽曲すべてを担当。作家としては中川翔子「Lucky Dip」を始め、前田敦子「Selfish」、欅坂46「渋谷川」、Little Glee Monster「はじまりのうた」「No! No! No!」、中島美嘉「恋をする」などの楽曲提供を行っている。その傍らで自作品の制作も行い、2017年11月「Beautiful Night」「Cold Day」の2曲を配信リリース。また「Beautiful Night」ではいしわたり淳治が作詞を担当している。
https://spaceshowermusic.com/artist/12270935/
Instagram: Daisuke


大隅祐輔

1985年、福島県福島市生まれ。武蔵野美術大学 芸術文化学科を卒業後、ウェブマガジン、出版社など数社を経て、2016年にフリーランスの編集ライターとして独立。得意分野は自動車、芸術、エッセイ的なもの。2018年、広義の橋架けをテーマとするbridgeというメディアを立ち上げ、ゆるゆると更新準備中。
http://bridge-magazine.com/