サーフィンとビーチカルチャーをバックボーンに持つ、アートと音楽のフェスティバル“Green room festival”。 今年も5月に横浜の赤レンガ倉庫で行われたこのイベントに、アート展示のためオーストラリアからやってきたのは、シドニーのマンリーを拠点に活動する日本人イラストレーター、 Kentaro Yoshida氏。

18歳でシドニーに渡り、グラフィックデザイナーとして働きながらその傍ら、イラストレーターとして約3年半前に本格的に活動を開始したKentaro 氏は、アーティスト活動としては短い期間にも関わらず、2016年に一夜限りの個展「SOLO」を行い、発表した作品は当日全て完売という快挙を遂げた。

現在オーストラリアにて様々な企業やファッションブランド、他のアーティストとのコラボレーションなどを積極的に行い活躍している彼に、これまでの活動や日本では初めてだという今回の展示について話を聞かせてもらった。

Photo by Rumi Matsuzawa

今回は日本での初めての展示ですね。どのような気持ちで日本に着きましたか?

実は凄く緊張しています。18歳の頃からオーストラリア人に囲まれて生活してきた僕にとって、日本人に対してハードルを高く感じてしまうところがあります。日本での展示はオリンピックあたり(2020年)に出来たら良いなと思っていたので、時期的に少し早いかなと思いましたが、Green room festivalに招待していただいたことはとてもありがたいです。10年前からその存在は知っていて、いつか出てみたいなと思っていたフェスティバルだったので。

KENTAROさんのお母さんがガラスアーティストだと伺いました。小さい頃から影響を受けて今につながっていることはありますか?

僕が4歳のときに、母は当時美術の先生をしながら、日本で初めての国立のガラスの専門学校に通っていて、一緒にそこに連れていってもらっていました。ガラス制作は熱くて危ないものなので、自分が作るわけではなかったですが、自分が粘土で作ったポケモンを他の生徒さんが石工で取ってガラスで仕上げて僕にくれたり、そういう環境の中にいました。

小さいころはそれが当たり前の環境だったのですが、ここ3年くらいは自分の仕事や作品について、母に良く相談するようになりました。アーティストとして尊敬していますし、ガラス作家として何十年も自分の工房と窯を守りながら続けていることが単純に凄いなと今になって気づくことがあります。新しく作品が出来たら見せるようにしており、母はそれに対して何も評価はしませんが、父親曰く僕にライバル心を持っているそうです(笑)。

イラストレーターとして活動をはじめたきっかけを教えてください。

シドニー工科大学のビジュアルコミュニケーション科でイラストレーションを専攻し、卒業して現地の広告代理店でグラフィックデザイナーとして働きながら、趣味でイラストを描いていました。サーフィンも好きで、友人のサーフボードにも絵を描くようになり、そのうち地元のサーフショップのお客さんのボードにも描くようになり、気づけば80本近く描いたと思います。

仕事としての活動はどのように始めたのですか?

最初は絵を描いて、ビール1ケースと交換というような感じでした。それでも絵を描いて何かを得ることができたことがとても嬉しかったことを覚えています。趣味だったわけですが、だんだん周りの人たちが自分のことをアーティストとして紹介してくれるようになり、嬉しかった反面、その時全然自分に自信が持てませんでした。本当はそうなりたいと思っていたのになれる気もしなくて。絵を人に見せるのも恥ずかしく感じる時もあり、とにかく自信を持てない自分を変えたい、もっと胸を張って何をしているのか言いたい、けどどうしたら良いかわからないという悶々とした時期が続きました。

その悔しさのおかげでしっかり仕事として始めようという気持ちが強くなりました。そして何よりも描くことがやっぱり好きなのだと再確認しました。それが4年前くらいですね。その後シドニーで知り合うアーティスト達は皆若いときから、個展をしたり、大きなクライアントと仕事をしていたりして、そういう意味では僕はスタートが遅かったのですが、だからこそ自分を客観視することを意識できたり、人に対するアプローチが僕の強みだと今は思っています。

イラストレーターとして嬉しかったことはどんなことですか?

僕はほぼ毎日サーフィンをするのですが、サーフィンにはローカリズムなところがあるので、毎日海に入って顏を覚えられてもローカルの人たちとの壁を長い間感じていました。10年以上住んでようやくローカルの人たちが心開いてくれるようになった頃、マンリーでお世話になっているサーフショップに大きな壁があるんですが、そこに絵を描かせてもらいました。それがきっかけでローカルのサーファー達にもアーティストとしても認知してもらい出して、マンリーのイラストレーターの大先輩とも一緒に仕事する機会が出来ました。その頃からマンリーだけでなく他の街でも認知してもらえるようになりました。

それにその壁の絵は、以前はすぐに上からスプレーで上書きされていたのですが、僕の絵は3年経った今でも綺麗に残っているんです。それについては本当に嬉しかったですね。時間がかかったけど僕と僕の絵がようやくオーストラリアに、10年住んだ街マンリーに本当の意味で馴染めた、移民関係なく対等に並べたのかなと感じる瞬間でした。絵を描くことも、サーフィンすることも、一つの街に住むこともきっと同じで、3年でも10年でも足りなくて、同じ場所に長くいることは無駄じゃなかった、ここにいて良かったなとその時にやっと思えました。サーフィンも絵も下手で辞めようと思うときも何度もありましたが今はすごく楽しいです。

マンリーのサーフショップにある壁に描いた作品

KENTAROさんの作品はサーフィンをモチーフに描かれている作品が多く見られます。サーフィンからインスパイアーすることはありますか?

僕はただ単純に自分が見たものや経験したものをアウトプットしながら絵を描くことが多いので、おのずとサーフィンだったり、ビールや可愛い女の子が出てくるのはきっと自分のマインドの象徴なんだと思います(笑)。サーフィンしているときは全て忘れて集中できて、他のことを何も考えなくて良いからリフレッシュする時間なので、絵を描くためにもすごく必要な時間なんだと思います。

オーストラリア人と一緒に仕事をしていてどんなことを学びますか?

いつ仕事をしているんだろうと思うくらい、彼らは自分の時間の使い方が上手だと感じます。昼間から飲みに行ったり、波がいいときはサーフィンしに行ってたり、それでも大きなクライアントの仕事もしっかりこなしていたり。オンとオフの切り替え方は毎回学ばされます。日本のように働き詰めで残業ばかりでなく、最終的なアウト管がしっかりしているなら、その過程は自分のやりやすい方法で良いのではと思います。そのライフスタイルが彼らの作るものにもしっかり影響していて、視界が開けているなと感じます。

過去と今の絵を比べると、昔はかなり黒をベースに細かいディティールだったのがだんだんと柔らかくなっている印象がありますが、どういった変化がありましたか?

以前はずっと足す作業をしていたのが、ここ1、2年で引く作業に変化しました。ある時に重いなと感じ、単純化していきたいと思ったんです。今後もっとシンプルに、もしくは逆に昔の作風に戻るかもしれません。今も変化の途中です。僕が日々の経験で変わっていくように絵も変わっていくと思うので、その変化を僕自身も楽しんでいるんだと思います。

色については、最近は僕のカラーパレットが出来てきたねと言ってくれる方もいるんですが、僕の色の作り方の特徴はフォーンという薄い茶色を全部の色に混ぜて使う全ての色をくすませます。例えばピンク色を作るにしても白多めのピンク色を作ってそこにフォーンを混ぜるとくすむんです。そうやって本来の色より薄くくすんだ色が僕のカラーパレットですね。今までは色を使うことが苦手だと思っていたのですが、今は褒められることもあるので純粋に嬉しいです。

今回のGreen room festivalでの展示の絵のコンセプトは何ですか?

自分は日本で生まれ育ち、でも同様に10代後半からはオーストラリアのカルチャーの中で育ったので、2つのカルチャーをミックスさせ、それを4枚に春夏秋冬に分けて描きました。日本で育った思い出やその当時見たものと、オーストラリアで10代20代にサーフィンばかりして過ごし見てきたものや経験を、各季節で整理して絵に落とし込みました。そして丸いサーフボードと全く同じ素材で作ったオブジェのようなものを2枚作り、その2枚には自身が何度も通り過ぎた四季のイントロとコンクルージョンを表現しています。

最初の丸いオブジェにはオーストラリアに行ったばかりのときに何も出来なかった自分。サーフボードが折れてひとりぼっち。テーマは「Kook」。そして四季を何度も過ごし自分が見てきたもの感じてきたものを4枚に、最後の1枚のオブジェには現在の僕を描いています。テーマは「Sliders」。家族が出来て複数形になり、僕、奥さんと子供。子供がリリーという名前なので手にユリの花を持っています。この6枚は僕のオーストラリアの15年での変化を表しています。

アーティストとしてのセルフコーディネートが上手だと感じます。

もしかしたら自分のグラフィックデザイナーとしてのバックグラウンドが少し役に立っているのかもしれません。例えば展示会を1人でするとなると、まずは根本となるコンセプト、そしてポスターを作るのにロゴ、タイトル、コピーライトが必要です。タイトルデザイン、ロゴデザイン、ポスターのデザイン、販売のためのTシャツデザインと印刷、そしてスポンサーや手伝ってくれる人を見つけたり、SNSでPRしたり、その全てを1人 でやらなくてはいけないことに気づきました。

展示を一人で行うということの側面には、グラフィックデザインやマーケティングに必要ないろいろな要素を含むトレーニングのようだなとも感じました。自分の思うコンセプトを描くことはもちろん、その見せ方も重要なので、今後も課題的なアプローチも持ちながら、展示を定期的に行い、自分を鍛えていけたらと思います。それでも個展を開く際に一番大事なことは、自分が何を伝えたいか、描きたいか、だと思うので根底は忘れないようにしたいです。

今年、個展の予定はありますか?

次のオーストラリアでの夏にシドニーのシティでなく、自分の長年住んでいる街マンリーでやろうと思っています。オーストラリアの他の都市でやろうかなとも考えたのですが、よく考えるとマンリーでまだ一度もちゃんと個展をしたことがなかったので。住んでいるローカルの方達や友人達の為にやってみるのも楽しそうだなと思っています。まだアイデアは固まっていませんが、その展示がうまくいきそうだったら、展示をどこか他の都市や街に持って行ってみるのも面白いかなとも考えています。自分の個展を自分が好きな場所に持って回っていけたら良いなと思います。

海外でこれから挑戦しようとしている若者へのメッセージをお願いします。

今はすごく色々なことが便利な時代だと思います。SNSで自分が得たいと思う情報がすぐに手に入るし、誰もが世界中どこでも何かを発信することが出来るし。ただそこでやはり日本人にとっての英語はまだ勉強の科目のような捉え方があるのかなと感じるので、もっとコミュニケーションツールとして単純に世界中の多くの人と会話を楽しむ感覚を吸収して身につけていくと良いのかなと思います。やはり世界中の人の話を聴き自分のことを知ってもらえる助けになると思うので。という僕も今も日々勉強中です。ただ世界中色々なところに友達ができるということは素敵なことだと思います。


Kentaro Yoshida
富山県出身。18歳で渡豪後、サーフィンに魅了されシドニー・ノーザン・ビーチに滞在を決める。シドニー工科大学のビジュアルコミュニケーション学科にてイラストレーションを専攻。卒業後、フリーランスイラストレーター、アーティストとしてオーストラリアで活動を開始。アナログのインクドローイングからデジタルドローイングをもとに作品やクライアントワークを制作。これまで国内外で様々な企業やアパレルブランドとのコラボレーションを手がける傍、個展、グループ展での展示も行なっている。巨大な壁画から紙やキャンバスへの繊細な絵まで精力的に活動している。
https://kentaroyoshida.com


Rumi Matsuzawa / Photographer
福岡で生まれ育ち、2009年に渡仏。
パリで写真を学び、パリを拠点にファッション、カルチャー雑紙、ファッションブランドのルックブック、パリ、ミラノ、ロンドンコレクションでのランウェイやバックステージ等を撮影。2015年に渡豪、2017年に東京を拠点に移し、パリ、シドニーを行き来しながら、旅、コレクション、モデル、役者、ミュージシャン、アーティスト等の撮影を続けている。
www.rumimatsuzawa.com